ある、ミライ③
3.智恵理 十二才
このくにの人たちは、ほんとうにサクラが好きだ。
その季節がすぎると、公園からは、とたんに人がいなくなる。
この場合の〈人〉というのは、おとなってこと。子どもにとって、公園は公園。遊ぶところ。サクラなんて関係ない。
ぎょうぎよく花だんにならぶ色とりどりの花たちも、リアル色鬼のときくらいしか目に入らない。
この公園で〈すごくむかし〉に、たくさんの人が死んだのだという。
それを知った時は、おどろいた。そんな場所を公園にするなんて、どうかしている。
わたしにそのことを教えてくれたのは、シグレちゃんだ。
『いやじゃないの? 気にならない?』
その時わたしたちは、さくらの花びらのホログラムを、てのひらでどれだけ受け止められるかっていうゲームをしていた。
わたしが25区に来てから、まだそんなにたっていなかったはず。それでも、シグレちゃんと遊んでいたということは、邦守智恵理になった後だ。
『ねえってば。』
花びらを追いかけるのをやめて、わたしがもう一度よびかけると、シグレちゃんは、『べつに、なんとも。』と肩をすくめた。
『だってわたしたち、むかしからここで遊んでるもん。』
『でもそれは、知らなかったからだよね。』
まあねそりゃ、ちょっとは気になるけど。わたしは、シグレちゃんがそんなようなことを言うのをまった。けれど、シグレちゃんはひとりで花びらを追いかけ続けた。
『べつに。それに、そういうのがあったのって、すっごくむかしだし。』
わたしの目の前を、にじ色に輝く花びらが、ふぅわりとよぎっていった。
のろのろと伸ばしたわたしの手は、ぜんぜんとどかなかった。光っているのはレアだから、キャッチに成功したら高得点がもらえたのに。
〈むかし〉と〈すごくむかし〉。
このふたつのちがいは?
――〈すごく〉だ。
じゃあ、あのことは?
7区で起きたあれは、それだと〈むかし〉のほうのできごと、ということになる。それもいつか、〈すごくむかし〉になるのだろうか。それは、いつ?
そんなのはゆるさない、ゆるされない、という気もちと。
早くそうなればいい、という気もち。
あのときはまだ、どちらの気もちも強くあって、せめぎ合っていた。
今ならわかる。わたしは、まぬけだった。
〈すごくむかし〉は、〈すこし先〉。
すぐそこにある未来。
今、このクニは、戦争をしている。
始まったのがいつなのか、だれも知らない。おとなにきいても同じ。
なんとなく、ニュースで「ミサイル」とか「げいげき」などと読み上げられることが、ふえていって。
そのうちミサイルは海の上や、山の中に落ちるようになった。でも被害は、ないか、どうってことのないほどだった。
どうってことのある被害が出はじめたのは、そのあと間もなくだ。
だれでも知っているメーカーの食品加工工場が被弾したときには、大きなニュースになった。でもそのあとすぐ、情報戦対策だとかで、被害のくわしい内容は、ニュースで取り上げないことになった。警報は鳴っても、そのミサイルがどこに落ちたかは、人づてのうわさや、食料品や生活用品の配給の種類や量で想像するしかない。
7区であったできごとについて、またたく間にひろがっていったのもこのころだった。だれにも教えてはいけなかったはずなのに。
気がつけば、みんなが知っていた。
『かつて我がクニがほこった世界最先端の国際スマートシティであり、クニの制定した科学技術戦略特区、通称7区は、その輝かしい発展ゆえに四年前、敵の攻撃を受けた。主に被弾したとされるのはクリーンエネルギー施設であり、この施設職員及び関係者、周辺住民に若干名の死傷者が出たのは大変に遺憾なことであった。
しかしクニ主導による迅速かつ的確な対応により、被害は最小限に留められた。とはいえ現在、該当地域は深刻な汚染が懸念されている。ただちに人体に影響することはないと見られるも、万全を期すため、一般の立ち入りは厳しく制限されている。』
「クニモリさんが住んでた家ってどうなったの? こわれちゃったの?」
「知り合いで、死んだ人って他にもだれかいる?」
「ミサイルが落ちると、どうなるんだ? けっきょく。」
「爆発するに決まってるじゃん。」
「いや、そうだけど。ほら、光るとか燃えるとか。」
「だから、爆発でしょ。」
「でもさ7区って、すごくきれいな街だったんだね。動画で見たよ。」
「あ、おれも見た。なんかいっぱいあるよな、最近。むかしのが。」
「前はなかったよね。なんでだろう。今さら。」
「いいじゃん。それより、ほんときれいなんだってば。7区。車があまり走ってなくてね、電線もなくて、あと、空から撮った画像がね、すっごく緑! 屋上緑化するのがきまりだったんだって。」
「緑っていうかあれって畑ってやつじゃん? 肉食べないのがはやってたみたいだし。」
「お肉を食べないと身体にいいんだってね。」
「ちがうって。環境にいいんだよ。」
「なんか、進んでるよね。すごいよねぇ。」
「すごくたってしょうがないよ。もう、ないんだからさ。」
わたしは毎日いろんな子に囲まれて、質問攻めにあった。どうしてか、その中にユウヒはいなかった。サクラも。
サクラは、もともとわたしのことも7区も、嫌いだったから、べつにおかしくはない。ユウヒは――きっと、わたしに興味がなくなったのだ。わたしというか、7区に。
とうぜんだ。7区がもうないのも同じだったというのを、知ったのだから。
それか、怒ったのかもしれない。
ずっと、もうない場所について知りたがっていたことになるわけだから。それを知っていて教えなかったわたしのことを、ユウヒが怒るのは、あたりまえだ。
「クニモリさんの家族って、それで、いなかったんだね。」
「でも死んだ人、すごく少ないんでしょ。ミサイルが落ちたところの、よほど近くに住んでたってこと?」
「運が悪かったんだね。」
「でもクニモリさんは助かってよかったよね。」
「そのおかげで、この学校のみんなとこうして会えたわけだからさ。」
「なやみとか、じゃんじゃんきくからさ。言ってよね。」
「わたしも。相談にのるよ。」
「そうだよ。同じクニにいる同士、ささえ合わないと。」
初めて話すのに近いような子が、わたしの顔を見てかけ寄ってきて、そんなことを言っては手を取ったりしてきた。
今はこんなふうに、大変な時期だから。
力を合わせないと。
おとなたちが、そんなふうに言い合うのを、近くに聞いていたせいだろう。
いつ始まったのかがわからないのと同じで、だれが戦っているのか、というのも最初はわからなかった。
「そういうのは、AIがやるだろ。」
クラスのだれかが言って、ほとんどの子がそれを信じた。ありそうなことだったし、そのほうがいいから。
でも、それはちがっていた。
ある日学校へ行くと、みんなが集まっていた。あれ、と思った。
輪の中心にいたのは、日ごろは目立たないというか、はしっこにいるようなイメージの男の子だったから。ちょうど、わたしみたいな。
男の子の親せきのおじさんが、戦地に行くことになったという。
「ヒデくん、結婚してないんだ。だから。」
だから。わたしは、そのあとに続く言葉をまった。
しかし、ほかの子が口ぐちに話しかけたので、その子は鼻をふくらませたまま、続きを口にすることができない。
「おじさんに、よろしく。」
「がんばってくださいって、言ってね。」
「それを言うなら、ありがとうございます、だよ。」
「あ、そうか。」
わたしは、少しぼうっとしていたかもしれない。
「でもさ。じゃあおれ、だれでもいいからぜったい結婚しよう。してないと、ソンだよな。」
だれかが言って。ほかのだれかが、「うわ。」と声を上げた。
「おまえな。」「サイテイ。」
「いくら、戦争行きたくないからって。」
責められた子が、あわてて言いわけをする。
「行きたくないわけじゃないよ。行けって言われたら、ちゃんと行くって。みんながまだ行かないのに先に行くのは、何かやだなって。それだけだよ!」
だれも、何も言わないからか、だんだんとムキになって、しまいにはさけんでいるみたいになった。
みんな、どうしてだまったままなのだろう。
親せきが戦地に行くことになった子に、遠慮しているのだろうか。
「なんだよ。おまえら、こわくないわけ? 死ぬかもしれないんだぞ!」
肩をつかまれた子が、しぶしぶといったふうに答えた。
「こわいけど……。」
「ねえ。」
「しかたないよね。」「うん。」
みんなが目を見交わす中、わたしも何か言わなくちゃと思った。それで、小さい声で「決まりだもんね。」と合わせた。
そうしたら、やけにくっきりと響いたのでぎょっとした。
タイミングが悪かったみたいだ。ああ失敗した。首をすくめていたら。
「そうだよね。」
温かな調子におどろいて、そっちを見た。
すると女の子がひとり、にっこりとほほ笑んでくれていた。わたしはドキリとした。富沢……ええと、マドカさん。クラスでも目立つほうの、華やかな女の子。ちゃんと話したことなんて、たぶん今まではない。
とにかく。そこから、みんなが一気に盛り上がった。
「そうだ。しかたないんだよ。このクニではそういうふうに決まってるんだから。」
「こわいのがいやなら、出て行かないとでしょ? このクニにいるってことは、ここを守らなきゃだもん。」
「だよな。むこうから攻めてきたら? だまってやられるのか?」
「ぜってーいやだ。おれは戦うねっ。」
そのときはどうやって戦うか。武器は何にするか。
男の子も女の子も、目を輝かせそれぞれ、いきいきと語り合った。
水をあびせたのは、サクラだった。
「おまえら、バッカじゃねえの。戦うとか守るとか、自分で決められると思ってんの? 武器とか言って、ゲームじゃないっつーの。」
「わかってるよ。それくらい。」
「そうだよ。前向きに考えようってしてるだけでしょ。」
みんなはもごもごと言い返したけど、本気でサクラとけんかしようって子はいないみたいだ。教室を、白けた、気まずいふんいきがただよった。
そんな中、とりなすみたいな声を上げたのが、またしても富沢マドカさんだった。
「サクラくんは、戦うなら剣でしょ。剣道、強かったもんね。」
そんなふうに言うのを聞いたら、思い出した。たしか前に、シグレちゃんが言っていた。
『マドカの好きな人って、サクラくんなんだ。だいじょうぶ。ないしょじゃないから。超有名な、みんな知っている話だよ。』
その時は、いったい、サクラのどこがいいんだろうってふしぎだった。今もそうだ。わたしにはわからない。
「うるせえよ。次それ言ったら、なぐるぞ。」
サクラが、富沢さんにすごんで見せた。富沢さんはもちろん、その場にいた子が全員固まった。わたしも。
ひどい。せっかく、助けてくれようとしたのに。
富沢さんは、真っ赤な顔でうつむいたまま、友達に引っぱられて出て行った。
サクラは、剣道をやっていたのか。
富沢さんの言っていたことを改めて思い出して、わたしは意外だな、と思った。
わたしの知っているサクラは、何かをいっしょうけんめいにやるって感じではない。
そのサクラは、何ごともなかったかのように、ユウヒと話している。そのようすをぼんやりながめていたら、着ている服のそでを引っぱられた。
「ねえ。さっきのって、ひどいよね。」
シグレちゃんだ。ひどいって。
「サクラ……くんのこと? 富沢さんに。」
「ちがうちがう。あの子はね、ジゴージトク。いいかげん、サクラくんに嫌われてるって、わからないのかね。って、それはどうでもよくて。自分の、クニモリさんのことだってば。」
「わたし?」
そう言われても、何のことだか、さっぱりわからない。サクラに嫌われているっていうのは、わたしもそうだけれど。
「え、だって。みんな、先に戦争に行くのはイヤだとか、結婚しなくちゃソンとかって。クニモリさんもいるところで、ひどくない?」
言われたことについて、わたしは少し考えてみた。
「……ああ。」
意味がわかって、なるほどと思った。「ううん。べつに。」
わたしは、だれかのおじさんの――結婚していない人の――話をしているだけだと思って聞いていた。けど、わたしにも関係のある話だと思って聞いていた人もいたのだ。そういえば、たしかにチラチラと見られていたような気もする。
わたしのこたえを聞いて、シグレちゃんは、なぜかむっとしたように鼻をならした。
「そうなの? 強いんだね。」
「そんなこと、ないけど。」
「あたしはこわいよ。ぜったい、ムリ。」
うで組みをしてそう言い切って。シグレちゃんは、気を取り直したようにしゃんと胸をはり直した。「だからもしそうなったら、ここじゃない国で暮らすんだ。だいじょうぶ。ウチのママもパパも、英語が得意だから。あたしも勉強するし。それに今はタブレットがあれば何とかなるし、ね。」
まるで休みの前に、家族旅行について話しているみたいな口ぶりに、わたしはひやりとした。おとなに聞かれでもしたら、大変なことになる。そんなことは、シグレちゃんだって知っているはずなのに。
どうしちゃったのだろう。
「……ねえ。わかったから。もうやめよう。」
わたしが小声で頼むと、シグレちゃんは、「あっ。」と口もとをおさえた。
「ごめんね。あたしってば。クニモリさんはそういうの、できないのにね。」
「そうじゃなくて。」
声だって大きすぎる。
「え? だって区外には旅行もできないんでしょ。ママが言ってたよ。」
わたしはさけび声をあげるところだった。
――〈クニモリ〉の子でも、前もって〈申請〉をして〈審査〉を受ければ、友好関係にある他の区に遊びに行くことはできるんだから。
そのことを、ちゃんと説明したかった。〈申請〉なんてものをしたことも、する予定もなかったけれど、それでも。
わたしとシグレちゃんの会話を、ユウヒが聞いているのに気が付いてしまったからだ。
でもシグレちゃんはわたしのようすには構わず続けた。「クニモリさんがもしも外に出られるとしたら、それって〈橋を渡る〉時だって。」
この日、わたしは初めて、シグレちゃんのことをきらいだと思った。
*****
サクラが剣道をやめたのは、どうしてなんだろう。
夜、ストレッチをしながら、考えた。
レッスンの始まりにやる方ではなくて、終わりにやるストレッチ。
始める時にも、もちろんしっかりとストレッチをやった。朝起きた時にも。筋トレは一日一回だけだけど、ストレッチは一日に何回でもやる。
バレエって、そういうものだ。地味な基礎トレーニングなしには、何も踊れない。
今日はさらに、基本の動きをじっくりとやった。ソナチネを二回。
クニモリになったときに、バレエを続けるのはあきらめた。それまでのように、先生についてレッスンをつけてもらい、舞台いっぱいを使って踊ることを目指すのは。
戸賀智恵理にとってバレエは習いごとで、特技だった。だれかにじまんしたい気分になったら、バレエをやっている話をすればよかった。
邦守智恵理という子は、踊らない。
そうでなければ、と思った。「踊ったらだめだ。」とはだれからも、クニからさえ言われてはいないけれど。
ふさわしくない。
それでもやっぱり、全くやめてしまうなんてできなかった。
――サクラは、どうなんだろう。
剣道をしたくなることはないんだろうか。バレエとはちがうのだろうけど……。
ストレッチを終え、ベランダの窓ガラスに向かって優雅におじぎをする。ガラスは、鏡のかわりだった。
カーテンを閉めてから、たっぷりの水をコップにそそぎ、ゆっくりと飲み干す。
あとは、トイレに行ってベッドに入れば、わたしの一日が終わる。
ちょうど、もうすぐ日づけも変わる。
ふだんから、ねむりにつくのはこのくらいの時間になることが多い。もっとおそい日だってある。
十二歳という年齢からするとたぶん、身体とかによくないんじゃないかと思う。けど、朝はきちんとひとりで起きられるし。
ただ、ねむるのが下手なだけ。
ケースワーカーの人は、「それも、PSDの症状のうちかもしれないね。」なんて言っていたけど。ちがう。小さいときからずっと、こんなふうだから。
一時間や二時間ねつけないことなんてザラで、起きているのを見つかっては、よくママやパパにしかられていた。
『目をつむって、じっとしてたらいいの。』って。
わたしだって、ひとまずは言われた通りにやってみてはいた。
けど、いくらもしないうちに足のうらがムズムズしたり、息が苦しいような気がしてくるのだ。そして起き上がったり、寝返りをうってしまうのだった。そして、「まだ起きていたの。」とあきれられていた。足のうら以外にも、かみの毛がさわっているおでこや首すじだとか、耳の中だとか、くすぐったくなる場所はその日によってちがった。毎日、早く夜が終わって朝がくるといい、と願っていた。
今ではひとりきりの家で、好きなだけ起きていてもいいようになった。
家というよりは、部屋とよぶべきかもしれない。
この部屋は、クニがお金をはらって、かりてくれている。
クニモリになる前は、美鈴(みすず)ちゃんがお金をはらってくれていた。美鈴ちゃんはママの妹。おばあちゃんの娘。
わたしにとってはおばさんだけど、おばさんとよんだことはない。
わたしがまだ7区でパパとママと暮らしていたころ。美鈴ちゃんは、たまに遊びにきてくれる優しいお姉さんだった。
わたしがエデュケーションエイジになって学習を始めるのと、美鈴ちゃんが学生ではなくなったのが、ほとんど同時だった。
そして7区が、あんなことになった時には。
『ごめんね。チェリちゃん。ほんとうに、ごめんなさい。』
美鈴ちゃんは結婚していて、おなかには赤ちゃんがいた。わたしのいとこが。
今、その赤ちゃん、理鈴(りりん)ちゃんは二才になった。
元気な女の子、と言いたいところだけど、理鈴ちゃんはすぐ熱を出すような子だ。
だから、よかったと思う。美鈴ちゃんがあの時、わたしといっしょに住もうなんて考えなくて。いっしょに住んでいたら、理鈴ちゃんが病気ばかりするのは、自分のせいだと思ったかもしれない。
あの時は、わたしも美鈴ちゃんも、そしてクニも、7区で何が起こったのか、ちゃんとはわかっていなかった。それを知っていて、きちんと話せるような人は、今も見つかっていない。
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