自分の鬱が少しひどくなって、家にいることが増えた。 家にいることが増えたというか、仕事にいけなくなったというか…。 やたらと時間だけはあるので家にいる時間で自分のことや、どうして鬱なんか生まれてしまったのか考えてみた。 私が思うに、私たち人間は文明、知能を持ちすぎてしまったのではないかと思う。 多分、生物として生きていくうえで必要以上にありとあらゆるものを持ちすぎてしまったがために生きることにあまり関係のないことでいさかいだったり悩みだったりが生まれてしまったのではないか
自分の書いているものは人生感想日記なのかもしれないと思い始めた。
ふと頭を空っぽにして何もかも投げ出したくなった。 何も考えずに一週間ぐらい旅行に行きたい。 一週間旅行に行って温泉に入ったり美味しいものを食べたり観光地に行かないで旅館に一日中こもって好きなことをしたり、自分のために時間を使いたい。 でも現実それは難しい。 それをするためにはお金を稼がなきゃいけないしお金を稼ぐためには仕事をしなきゃいけない。 仕事をするということは自分の時間を捧げなければいけないし時間を捧げると自分の好きなことをする時間が減ってしまう。 そう考え始めると
夕方6時 日も沈み始めだんだんと暗くなっていく外 窓を開けているとどこからかお夕飯の匂いがしてくる。 今日は、カレーかな。今日は揚げ物かな。 そんなことを考える。 外から漂う香りをかぎながら自分の夕飯を考えると虚しくなってくる。 ふっと母の作ったご飯の匂いが鼻をかすめた気がした。
人間の執着心はどれぐらいまで大きくなることができるのだろうか。 物に執着をする人や、趣味に執着する人、そして人に執着する人がいると思う。 執着する理由も様々だろう。 物や趣味、人に出会うきっかけは本当に軽いものだったとしても次第にそれは執着心へと変わっていく。 初めは単純な感情だったはずなのに次第に重くなっていく。 物や趣味への執着心ならばまだ自己完結できたりもするので突き詰めることができるのだが人への執着はそう簡単にはいかない。 例えば恋愛感情。 それがいつまでも恋愛感情
最近電車に乗るのがしんどくなってきてる。 元々人が多い場所は苦手だし軽い潔癖症のために人と接触すること自体好きじゃない。 そんな私にとって駅や電車は地獄のような場所だった。 あそこは平気で人と密着するし犯罪の温床にはなるしマナーもルールもないに等しい。 よくここまで治安が悪くなるなというぐらいには人の汚い部分が集まる場所だと思ってる。 ドンキの次に劣悪な場所じゃないかとすら思う。 そんな駅や電車で仕事をしている人たちは本当に尊敬に値する。マジですごい。いつもありがとうございま
ある日突然人間は死んだらどうなるのか気になった。 気になると同時に未知のものに対する恐怖も抱いた。 当時小学二年生だった私はその日から漠然とした恐怖を抱えながら生活しなければいけなくなった。 それから数年がたち、私は二十歳を迎えた。 あの頃のような純粋な死に対する恐怖というものはないが、自分の人生に期待ができなくなってしまった。 そもそも何がしたかったのか、何のために生きているのかもわからなくなってしまった。 まだ小学校二年生の時のほうが純粋に生に執着していたかもしれない。
私はいったいいつになったら悩みから解放されるのだろうか。 いい加減人の目を気にした生活も自己嫌悪に陥る状況も無能さを実感する場面も何もかもから解放されたい。 ただこれを見た人は「そんなの自分の考え方を変えればいいだけじゃないか」と言いそうなものだが簡単に出来たらもうすでにしている。 死ぬ以外の方法で悩みから解放されるためにいろいろ調べ、自分の考える方向をマイナスからポジティブにする方法や自己肯定感の上げ方、あとは人はそんなに自分のことなど見ていないと頑張って思い込むなどいろい
考えても仕方がないのに将来について考えてしまう。 この間人と話したときに将来の話になったのだが特にやりたいことがないからフリーターをやっていると私が言うと相手は「どうせだったら稼ぎのいい仕事をやればいいのに」と言って紹介しようか、とも言ってくれた。 だがその人が紹介しようとした仕事はどれも体力勝負といったものだったので晩年インドア人間の私には向いてなと思った。 やりたいことを見つけるのは本当に難しい。 特技があってもそれを生かせる仕事というのはなかなか見つからないし見つかっ
最近暑くなってきましたね。 一歩外に出ただけでじんわり汗をかくようになりました。 外と室内との温度差にもやられてしまいそうです。 こんなことでこれから先の季節を乗り越えられるのか不安です。 最近思ったのですがもうそろそろノートに書くことがなくなってきました。 日記とかだったらいくらでも書けるのですが自分の常日頃から考えていることや思っていることを文章化しようとするとこれがなかなか難しいんです。 極端に長くなったり短くなってしまうのでうまい具合にまとめるというのは本当に難しい
私はお酒が飲めない。 けど、この世の中は意識を飛ばさないとやっていけない場面というのは多々ある。 どうしてこうもストレスと隣り合わせの世界になってしまったのか。 それとも私が考えすぎているだけなのか。 先述の通り私はお酒が飲めないため意識を失うまでお酒を飲んだことがない。 別にアレルギーというわけではないのだがお酒の味が好きじゃないのだ。 そして炭酸も飲むとおなかを壊すためコンビニで売っているほろよいなどは絶対に飲めない。 こういうやつが居酒屋に行くとかなり困る。 お酒の
人間って知能を持ってしまったがゆえに一番生物の中で残酷ないきものになってしまった気がする。哀れだね。
私は自分のことを本当に矛盾している人間だと思っている。 なぜかというと仕事をしているときは仕事をしたくない、家に引きこもって自分の好きなことをずっとやっていたい。と思うくせにいざ仕事を辞めて半引きこもり生活をやっていた時は「早く仕事を見つけなきゃ…早く何かやらなきゃ…」と趣味どころじゃなくなっていたので本当に矛盾をしている。 世の中、ニートになりたいとか引きこもりになりたいという声をよく聞くが実際ニートも引きこもりもかなりの才能を要すると思う。 普通の感覚の持ち主だったら発
将来の夢ってありますか。 私は小学校一年生の時、甘くておいしいものをたくさん食べたいからという理由でケーキ屋さんになりたいと言っていました。 そのあとピアノを習い始めてピアニストになりたい、と言ったり本を読むのが好きだったので小説家になりたいと言ってみたり小学生の時はいろんなものに憧れを抱いていました。 ですが不思議なもので大きくなるにつれて色々な物事を知っていき、自分の才能や学力、技術力、色々なものも認識していき最終的に気づくとなりたいものはなくなっていました。 今はた