渡辺真知子というひと。(6)
案を練ったまま、ほったらかしにしていたネタ候補がいくつかある。それらに一切手をつけないまま、まったく違う曲から新たなネタ候補を思いついて書き進めていたが、導入がないのも寂しいと思った。
じゃあいっそ、ほっといていたネタでちょうど良い長さの文を導入部分に使ってしまえ。と書き足していたら、これがまた予想以上に長くなり、どちらも大差がなくなってしまった。
今回はそんなわけで、短いのを2本まとめて。
不便だからこその恋愛模様「ガラスごしの言葉」
「ガラスごしの言葉」は、1982年に発表されたLP「そっとふりむいて」の9曲目に収録されている。もどかしくて、せつない、初めて聴いてからとても好きな曲。
かつて愛しあったふたりが、昔とは名前が変わった店で再会する。気取らず昔のままで話しかけてくる彼に、つい彼女は「もうすぐ人が来る」と嘘をつく。彼は「うまくやれ」と席を立ち、もうひとこと何かを言うが、どうやら「さよなら」ではなさそうだった。
心のどこかに彼への想いを残した彼女は、彼が何を言ったのかもう一度聞きたくてしかたないが、ガラスを隔てた彼の言葉は聞こえない。
一応あらすじを簡単に書いたけれど、わたしが曲を聴いて受けたイメージも混じっているところがあるので、デリケートなニュアンスはぜひ、実際に聴いて味わっていただけたらと思う。
「ガラスごしの言葉」は、もどかしさがたまらない。連絡手段が少なかった頃だからできたドラマチックな曲である。すんなり彼の言葉がわかってしまったら、3分8秒のドラマは成り立たなくなってしまう。
現在ではSNSで「なんて言ったの?」って即座に問いただせてしまう。便利になった分、味気なくなってしまったと感じるときもある。まあ、通信手段の発達した現代にも、また違った恋愛模様はあるようだけれど。
CD選書「そっとふりむいて」は1998年にリリースされている。当時はまだPHSユーザーも多く、携帯電話は初期型より小さくなったストレート型。ポケベルは衰退しはじめる頃である。
現在と違って通信ツールを持っていない人も、不便な時代を体感して覚えている人もまだ多かったため、CD選書収録の「ガラスごしの言葉」を聴いた、わたしと同じような後追い世代でも、このもどかしさに共感できたと思われる。
★真知子さんの場合「ねえッ、今なんて言ったの?!教えなさいよ~!」とガラスをどんどん叩いて大声で聞きそうな感じもしますが(誤解)
「メリー」と呼ばれたかった真知子さん?
なんだか、どの雑誌やネットで読んだか忘れてしまったけど……なぜか真知子さんは、自分の英語名は「メリー」なのではないかと思っていたらしい。
【8/31追記】「海と愛(p.54)」で見つけた。小学生時代に、英語で「渡辺真知子」をどう書くのかな?「メリー」みたいな外国名になるのかな?と思っていたようだ。
わたしは英訳したら「…… 書くと本名がわかるのでやめておこう。
――「みずき」の場合は「ジャイアント・ドッグウッド(giant dogwood)」だそうな。なんだか、巨人にしろ犬の木にしろ、ちっとも色気のない名前。わたし自身はねこ派だしな……ねこに「ちゅ~る」あげてみたい(強調する箇所を間違えている)
ところで、渡辺真知子さんで「メリー」といえば、真っ先に思いつくのはやはり、9thアルバム「メリーさんは知らない」であろう。
わたしは真知子さんの人となりやエピソードに関する予備知識が少ない頃にこのアルバム(CD選書)を買ったので、初めてタイトル曲でもある「メリーさんは知らない」を聴いたとき、
――ひょっとして、実際にメリーって呼ばれてたのかなあ……
と思ってしまったんだけど、まるで見当違いだったようで。キリスト教系の学校に通っていた頃も、メリーと呼ばれることはなかったそうだ。
真知子さんは、そんなこともあってか、とうとう「メリーさんは知らない」でご自分をメリーと呼ばせてしまったようである。
「メリーという名で私を呼んだ 幼い日のあいつの声がする」
この9thアルバムには真知子さんのメッセージが書いてあって、いつも「どういう意味なんだろう?なにか大きな変化があったのかなぁ?」と不思議だった。特にこの一文。
「メリーさんは知らない」は、私の転機を過ぎてから第一歩の作品です。
しかし、先日拾い聞きしたFMライブ動画(渡辺真知子 ライブイン'84)で謎が少し解けた気がした。「メリーさんは知らない」は、初のセルフプロデュースLPだったのだ。
なるほどねえ、「第一歩」ってそういう意味だったのか。これは帯にも書いてなかったので驚いた。現代ならともかく、LPが出たのは1983年だからなあ。
……待てよ、真知子さんの転機ってなんだったんだ。これまた、わからないのはもどかしい。