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一種の成功なのか。それとも...10年間経営した会社の功罪とこれからの世界

 思い返しても成功したなんて瞬間はいまだかつてないし、現在進行形で問題は山積み。思ってたんと全然違う。それがこのミライユという会社に対しての僕自身の評価だ。その一方で社員数は100人を超え、「会社」という100人100色の人格を持つモンスターは、どうやら岡田という個人の想いや力ではどうにもコントロールできないんじゃないか?という不安も(いや実際リアルなんだろう。)最近はビシビシ感じる。

 話は昔、15年近く前のこと。当時会社員をしていた自分が初めて持ったチーム。20人いたメンバー。自分の力不足で意欲ある大切なメンバーの雇用を守ることができなかった。彼らの未来の選択肢を自分が奪ってしまった。そんな事実への贖罪から、もし自分が企業をした際には「社員の雇用を守る、選択肢を提供し続ける」現実を知らない若者がただの熱量とわけのわからない過信によりミライユという会社のコンセプトは決まっていった。

 そしてミライユという法人格は岡田という個人の人格を強烈に反映し、無力を想いでカバーできると勘違いしながら、若さという無知を原動力に人を巻き込み苦しめ、救うはずだったメンバーの未来を自らの手で消してしまう経験を繰り返しながら10年という期間をただただ歩いてきた。傷ついている自分のダメージよりもメンバーに与えてしまったダメージの総量の方が多いという圧倒的な事実と15年前のコンセプトとはあまりにかけ離れたリアルに吐きそうになったことは数え切れない。

時系列をギューンと最近に戻して一昨日のこと。役員と二人で食事に言ってあれやこれやと他愛もない話をしていく中で、忙しさに加減を失った店員さんのあまりにも濃いウーロン杯のおかげもありついつい本音でぽつりと言ってしまった一言がある。

「よくこの不安定な体制やこの未経験の若者だけの100人の組織で利益出てますよね・・・」

本音だった。

「想いはあるけど力がない若者に力をつける」そんな選択肢を増やすことを目的とした学校を謳う会社は、結局は生徒に力をつけよう!!という校長先生の力不足により、期待に胸を膨らませた生徒はそのギャップに苦しみ、軽蔑にも似た感情で転校することも多かった。
それでも岡田という校長の耳障りの良いキラキラした未来図や、個人面談で語る重すぎる期待を聞いてしまった生徒などはさらに苦しみ転校するという言葉も発せず潰れていった。

会社なんて学校でいいというこの会社のスローガンは僕の贖罪を美化したことばだ。あと何人苦しめたら。。。そう思うと10周年のパーティーなんかを煌びやかにしている外から見た期待されている自分と、本当の自分のギャップに恐怖すら感じていた。そんな精神状況と濃いめのウーロン杯が先ほどのセリフを誘発した。多分。

 ここだけの話、熱量だけを持った未経験の人達を100人抱えるって結構大変なんです。そりゃ営業経験がガッツリある人「優秀層」とか「実績」なんてものをぶら下げた人達でカイシャをやる方が売上利益は伸びやすいんでしょう。でもこの会社は贖罪をベースに作られているので「想いある、力ない」人だけを採用していくんです。それは既存で事業責任者や管理職をやっているメンバーも例外ではなく全員育成して(勝手に育って??)今のポジションについています。

100人以上の社員がいて、管理職は全員が未経験の20代前半とか半ばみたいな状態って想像してもらえるとイメージがつくかもしれません。意思決定もまだまだ不安定だし、思考力だって発展途上。自分のモチベーションとやらすら時にブレて傷つきながら這い上がる。を繰り返している管理職陣です。
そうなるとやっぱりメンバーの育成も少し遠回りになってしまいます。すると成長したいという想いが強かったメンバーも、成果が出ない期間が続くと自信を失い、想いも弱まっていきます。それでもそんな瞬間、管理職陣は一人ひとりのメンバーと面談し、ひたすらに時間をとり話を聴きキャリアを共に考え、未来への原動力を再度整理していきます。要するに利益率MAXでは動けてないし、生産性を考えるにはあまりにもコミュニケーションコストをかける会社だし、他の経営者の人にはマネしてほしくない組織かも知れません。

まぁそんなカオスで学校みたいな動物園みたいなぐちゃぐちゃハチャメチャ組織を10年やってみた結果、結構ちゃんと利益が出るようにはなったんですよね。なんだろうな。ビッグバンの後に奇跡的なバランスで原子が結びついて地球に生命が生まれましたぐらいの絶妙なバランスと、確信にも似た絶対的な結びつきでミライユという会社はどうやら成立しているみたいです。

 確かにまだまだ人を苦しめてしまうし、病んで辞めてしまう人もいる。そのたびに立ち上げれなくなりそうなぐらい今でも傷つくし、過去守れなかった20人を今の組織なら守ってあげられるか?って聞かれたらまだ自信はない。ただ一つ言えるのはこんな未熟なメンバーだけの組織。しかも最近は会社の中の意思決定も僕はほとんどしていない。彼らに全て任せてる。

だとしたらまぁまぁ会社として、学校として、新しい形の機関として成立してきているのかもしれないという自覚も少しは芽生えてきた。力は無いけど想いがあるっていう状態は、想いがあればあるほど時に人を苦しめ、と同時に自分も苦しむ。そんな経験を今彼らは繰り返し、成長し泣きながら苦しみ、泣きながら喜んで、毎日僕を飽きさせることのないドキュメンタリーを見せてくれる。

あまりにも尊いと思うんですよ。自分の人生と不確定な未来と不安定な今と戦おうとする若者の姿って。そんな人たちを集めて自分が触媒になって彼らの未来に対してのモヤを取り払い、突き進む力をつける。それが僕のやりたかったこと。「そんなぬるい考えでは利益は出ないし、会社としてすぐつぶれるよ」的なアドバイスにも似た嘲笑をいただいたことは5回や10回ではないけれど、ここに来てようやく会社として成立できた気もしている。

これって冷静に考えると結構成果だと思っています。ウーロン杯を飲んでからは。例えば世の中の学生が新卒でうちに入ってくれたらどんな人でも半年以内に収益化する人に変えられるし、正しい価値観で社会貢献させられる自負もあります。誠実な想いさえあれば。

多分理想形態に近づいてきているんですよ。ミライユという組織が。自分が思ってたよりもわりと。10年間の会社の経営で自己肯定感が高まったことは一度もないし、誰かを幸福にした実感も一度もなかったけど濃いめのウーロン杯は少しだけそれを緩和してくれた気がします。アルコールで麻痺していただけの可能性は否定しませんが。

ということでダラダラと手直しもなく思い付き10分で書いたこの文章ですが、ちょっとこれからの世界についても触れておきます。

僕の人生のテーマはやっぱりどこまでいっても「想いある人の選択肢を増やす」です。100万回ぐらい考えなおしましたが、やっぱりこれ以外見当たりませんでした。この10年はミライユというものに全て捧げてきたつもりです。ただ前述のとおり彼らはミライユという「法人格」はやっと自立してくれました。もちろんミライユはその速度を上げ、爆速で成長をさせようと思います。

一方で社内のメンバーを育ててくれる次世代の管理職に現場は任せようと思います。僕のやることは三つ。

①ミライユの新規事業を彼らと創り続けること
②ミライユ以外の人たちでも想いあって力を欲している人の支援をする
③ミライユという会社の経営を言語化し世の中に広める

こんなことを考えています。
①ミライユの新規事業を彼らと創り続けること
これはたくさんすでに仕込まれてます。ワインバーやるらしいし。

②ミライユ以外の人たちでも想いあって力を欲している人の支援をする
こいつも少し進んできているもののまだまだこれから。僕がXやYouTubeを必死にやる目的は実はここにあります。多少でも誰かの未来を幸福にできるかもしれない自負があるなら、影響力を持つって言うのは義務だと思うんですよね。少しでも自分の認知が広がって支援を求めてくれる人が増えれば幸せになる人も増えるんじゃないか?って考えてます。何を偉そうに!って思われてもそう思ってます。

③ミライユという会社の経営を言語化し世の中に広める
これはね~今仕込んでいるYouTubeがその1つ。先ほど言及していた管理職陣が織りなす日々の感情ぐちゃぐちゃ成長ストーリーをドキュメンタリーとして配信していくのと、僕なりの組織論を発信していこうと思っています。

全ては自分の過去の過ちから始まったこの会社。自分の個人的な感情や贖罪にこれ以上彼らをつきあわすわけにはいきません。法人格と個人格を切り分けることが創業者として最低限やらないといけないことで、実は一番難しかったりすることです。純粋で強くまっすぐで、でも不安定なミライユのメンバーは僕がこの10年で唯一誇れるものです。彼らが悩みながらも創り出していくこれからのストーリーをぜひ楽しみしてください。

そして、去って行ったミライユのメンバーも含めていままで関わってくれたすべての人たちのおかげで今の僕があります。彼らの頑張りのおかげで少しだけ僕にも時間的にも精神的にも余力が出てきました。これを外に外に発信活動を拡げ、少しでも関わる人の選択肢を増やしていければと思います。

「優秀である自覚を持ちなさい」
「何者でもない無力な自分を自覚しなさい」

僕がよく管理職に言う言葉です。いつまでも過去のトラウマに捉われ客観的に自分を見れていなかったのは自分だと改めて感じました。自分ができることもあると理解したならば、ただひたすらに前向きに真っすぐに行動してみようと思います。想いがあって、力もあると偉そうに言うならばそれが義務なんだと思います。

一方でまだまだ何者でもない自分を理解しながら、謙虚に弱さと無力に向き合い、苦手なことを克服し、嫌いな人すら好きになり人としての幅や深さ、そしてしなやかさのようなものを身につけていこうと思っています。

僕の育成方針を最後に伝えます。

答えは教えません。自分で決めなさい。
決めるための考え方は伝えます、意思決定の場数はどこよりも提供します。
だから全力で苦しんでください。今は。

どなたかウーロン杯飲みにいきませんか?ちょっと濃いめですけどね。


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