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【前編】4月着任!新スタッフ五百川くんの、自分で選ぶ生き方

みなさんこんにちは!
みらいずworksインターン生の鈴木妃奈乃(ひなちゃん)です🐣

みらいずworksは、「自分から 自分らしく みんなとともに、社会をつくる人を育てる」をミッションに掲げ、新潟市西区を拠点に活動する教育支援団体です。

さて、そんなみらいずworksで働くメンバーは、これまで歩んできた道のりも様々で、とても面白い人たちが集まっているのです…🤭

今回は、今年4月から新たにみらいずworksにスタッフとして加入してくれた五百川くんにインタビュー。

JICA海外協力隊、佐渡市地域おこし協力隊など、様々な形で教育に携わってきた五百川くん。
この記事では、そんな五百川くんのライフヒストリーを紐解きます🧶
ぜひ最後までお楽しみください!


五百川 将(いおかわ たすく)
1994年生まれ。新潟県五泉市出身。高等学校教諭一種免所持。大学時代に国内外の教育ボランティアに参加して、海外の子どもたちの学びに興味をもち、卒業後、JICA海外協力隊として、ブータンの学校に体育教師として派遣される。帰国後は、日本の子どもたちの学ぶ環境に疑問をもち、「学校と連携し地域や社会で自分らしく生きる子どもたちを育てる」ことを実践するため、佐渡市で地域おこし協力隊として、放課後子ども教室や地域未来塾などの社会教育に取り組む。現在は、佐渡市の中学生×地元企業を繋ぐ「課題解決型職場体験」の企画・運営やコミュニティ・スクール事業、地域学校協働活動の支援を担当している。自主活動として、子どもたちが自分で考え、自分で行動できるように佐渡市をフィールドにした探究的な学びのプログラム「創るプロジェクト」を進行中。


子どもの頃に感じた、自分で選ぶことが出来る楽しさと責任感

ーーー学生時代の五百川くんは、どんな生徒でしたか?
小学生のときは、宿題はしないし、授業中は話しまくるし、自分が先生だったら絶対に担任したくないタイプの子どもでした。今振り返ると、学ぶ意味や楽しさみたいなものが分からない小学生だったのかなと思います。
そんな中、学ぶ楽しさを自覚したのが学校の自学ノートでした。
自学ノートは与えられた課題ではあるけど、自由に、何をしてもいいというところが自分に響いたんだと思います。拡大解釈しがちな小学生でした(笑)

自学ノートには世界の国旗のイラストを描いていたという五百川くん。白いページに5秒で赤い丸を描いて提出したときに、受け入れてくれた先生の存在も大きかったんだとか。

そこから新しいことを色々知っていくことが楽しくなりました。何かを自分で選べるという感覚を、小学生なりに無意識的に感じたのかなと思います。
中学校は自分の地元にある学校に進学するのが普通だと思っていたけど、そうではない選択もできるということに気がついて、中学校受験にもチャレンジしました。

ーーー受けてみよう、チャレンジしてみようって思えたのは、どうしてですか?
これは両親のおかげだと思うのですが、私の父親が、「自分はずっと地元にいたから、自分の息子にはちゃんと広い外の世界を見て育ってほしい」という想いを持っていたらしく…。
大学を卒業して、一緒にお酒を飲んでるときに教えてくれました(笑)

ーーーご両親は「選択肢をくれる」という関わりだったのですね。
両親が色んな提案をしてくれて、でも、最終的に決めるのは自分自身でした。自分で選んだからには、最後までやり切るんだという責任感も生まれてました。小・中・高ずっと野球をやっていたのですが、自分で選んだことだから上手くなって周りから認めてもらえることをしていくしかないと思って。しんどくても逃げずにやり切ろうと思っていました。

ーーー他に、学生時代の印象的なエピソードはありますか?
中学生の後半から高校にかけて野球では食べていけないと気がついて、高校生のときに「自分は将来何をするんだろう」と悩んでました。
高校生のときは毎日1時間弱くらいかけて電車通学をしていたのですが、野球の練習帰りだと、ちょうど仕事終わりの社会人の方たちと乗り合わせるんです。その人たちの表情を見ると、いつも疲れていて、覇気が無くて。「このまま大学を卒業して日本で社会人になったら、自分も暗い顔をして働くのかな…それっていいのかな…」という想いが自分の中に芽生え始めました。
そこから海外に興味が湧いてきて、「海外で働けばいいのでは?」と思うようになりました。

同時期に、「やりたいことリスト」も作ってました。野球と勉強以外に、自分のできること、やりたいことって何だろうって思って。
とりあえず受験期は野球と勉強をやりきろうと思って、大学生になったらやりたいことを色々やっていってみようと考えていました。

やりたいことを見つめた学生時代

ーーー大学生のときはどんなふうに過ごしていたのでしょうか?
学部では、体育の教員免許を取りつつも、スポーツを支える側(選手のケア、試合をリアルタイムで分析して指示を出すなど)の勉強をしていました。
高校生のときは自分の周りにいる身近な大人が先生だけだったので、自然と教師という仕事に目が向いて、教員免許が取れる大学を選択しました。ただ、浪人期間のときにやりたいことを見つめ直した結果、自分はスポーツが好きだと気づいて、どちらも勉強できる大学を選びました。
中高生のときに尊敬できる大人ともっと出会っていたら、また全然違う道に進んでいたのかもしれないですね。


佐渡島の探究的な学びの場での1コマ。
尊敬できる大人と中高生の出会いをつくる、世界を広げるということは、五百川くんがキャリア教育や探究学習で関わる上で大切にしていること。

ーーー高校生のときに海外に興味を持ったとのことでしたが…
大学の長期休みのときは、基本的に半分以上海外に行っている学生でした(笑)
初めて海外に行ったのも、大学生のときでしたね。

大学1年生のときは友達と遊んでばかりだったのですが、自分と同じように遊んでいる人たちを見て「いや、違う!このままでいいのか…?」と思い直して、高校生のときに作った「やりたいことリスト」を見返しました。ちょうど同時期にアメリカの大学との交換留学プログラムの募集があったので、そこに応募・参加しました。

ーーー初めて海外に行ったときは何を感じましたか?
1番に出てくるのは、ずっと体調が悪かった思い出です(笑)
ですが、日本人だけではなくて、サウジアラビアやメキシコ、日本以外のアジア人もいるクラスで一緒に勉強をしていたときに、人のスタンスが日本とこんなにも違うのかと驚いたことを覚えています。日本だと遅刻したときは「ごめんなさい」と言うけれど、海外の人は「自分は悪くない」というスタンスで教室に入ったり、海外の人は話す英語は得意だけど、書くことに意外と難しさを覚えていたり…。
人の多様さに面白さを感じて、さらに色んな国を見てみたいなって思いました。

ーーー在学中は他に海外でどんなことをしたのですか?
発展途上国で現地の日本人が運営しているNPO団体のボランティアで、子どもと一緒に運動会を創るプログラムに参加しました。
初めて発展途上国という土地に行って現地の子どもたちの教育状況や生活環境を目の当たりにしたとき、学校に行くことや安全な水があることなど、私たちにとっての当たり前が当たり前ではないことを身をもって実感しました。
スラム街での生活から抜け出したくても抜け出せない人たちとも対面して、どうしようもないもどかしさも感じて。
だからこそ、日本に帰ってきたときに、1日1日を真面目に、真剣に生きようと思うようになりました。

ーーー日本に帰って来てからはどんなことをしていたんですか?
防災と遊び場を掛け合わせたまちづくりのNPO団体が東京にあったので、よくそこでボランティアをしていました。
そのボランティアには他大学の学生や多様な生き方をしてきた社会人の人も多く関わっていて、たくさんの人たちと話す機会があったのは良かったですね。
色々な生き方にどれだけ出会えるかがとても大事だなと、そのときに感じました。

▼記事後編はコチラ!


執筆担当:鈴木妃奈乃(ひなちゃん)/学生インターン
新潟県柏崎市出身、新潟大学教育学部4年次在学中。専攻は教育哲学。小学校・特別支援学校教員免許状を現在取得中。地域活動をきっかけに越境学習やコミュニティ活性化に興味を持ち、大学1年次3月よりみらいずworksインターン生として従事。現在は通信制高校にもジョインし、生徒の探究伴走を行っている。自分の知らない世界に出会い、誰もが心のままに生きることができる未来の実現を目指して、学校内外の視点から教育に携わっている。





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