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『まちづくり』は「まち」のためではなくまず「自分」のために行いたいと思った話

こんにちは👋
埼玉県小川町 地域おこし協力隊のおだぎりです🍙

2024年9月2日に小川町で地域おこし協力隊に着任し早くも1ヶ月半が終わりました。

左から1年先輩の徳竹さん、島田康弘町長、同期のりかこちゃん、キノコ頭の自分

まちづくりは素人

前職は鍼灸師。協力隊の任務である「まちづくり」に関しては全くの素人。

右も左も分からない。

そのくせ協力隊での仕事はフリーミッション(自分で仕事を作るタイプの任務)。0から活動を始める必要がある。

焦りを感じてまずは情報収集から始めることにし、まちづくり系のカンファレンスやイベントに参加しました。

沢山の方のお話を聞かせてもらうなかで、素敵だなと思った方たちの考え方は共通していることに気がつきました。


そのまちづくりは誰のため?

自分は大きく勘違いしていたのかもしれません。

まちづくりとは「住民のため」の活動であって、自分がやりたいことはそこから切り離さなければいけないと。

町のためには自分勝手ではいけないし、利他的でなければならない。

住民が必要としていることを聞いて、自分の意見と異なった場合は住民の言うことを優先するべきである。

それがまちづくりの”キホン”であると思っていました。

しかしまちづくりをする「先輩」の話を聞くなかで、自分の考え方に疑問を抱くようになりました。

「まちのためって誰のためなんだろう?」
「もしかして自分という主体性が欠けてる?」

そう思うようになったのです。


利己と利他はグラデーションである

そんなこんなで問いを考え続けて1ヶ月が経過したところで、一つの答えに辿り着きました。

「まちづくりは自分のためでもあり相手のためでもある」と。

自己から始める活動は当然自分事。だから自分のためであっていい。でも同時に誰かのためにもなったらいい。「町のため」「住民のために」と強制されるような価値観でなくていいんだと。

そのくらいの加減でいいことに気がつきました。

自分がやることは自分勝手になっていないかな?社会的な価値があるかな?そんなことばかりを考えていたけどそんなことは気にしてもしょうがない。

そもそも町をつくろうなんて烏滸がましい。

移住をして、その町で暮らして、自分が感じたことを自分らしく表現するくらいの温度感が丁度いいのだろう。

そしてその先に他者貢献が広がっているのだと思えるようになりました。

たしかアブラハム・マズローさんも自己実現の先に他者貢献があると言っていたことを思い出しました。やっぱりこれでいいんだ。

https://theories.co.jp/terms-maslows-five-step-desire/

まちづくりは「利己」か「利他」かという白か黒の問題ではなく、利己的でもあり利他的でもあるのだろう。そう思えるようになりました。


好きな言葉たちの紹介

そう思えるようになったことは自分にとって非常に大きな成長でした。

最後にそんな影響を与えてくれた好きな言葉たちをシェアさせてください。

※記憶とメモの走り書きから書き起こした言葉のためにニュアンスが違うかもしれないことはご了承ください

社会的な意味や目的から始めると自分が楽しめない。
遊びから起点を始めたら結果issueに繋がることもある。
遊びと社会的意義、利己と利他は後から繋がってくる。

丑田 俊輔 さん(私立新留小学校設立準備財団)

大人が本気で遊べばビジネスになる。

井本 喜久 さん(農ライファーズ株式会社)

にぎわいやコミュニティを作ろうとしていない。結果人が集まるようなっただけ。

市来 広一郎 さん(株式会社machimori)

町をつくろう、コミュニティを作ろうとして思い描いた青写真通りに人を動かすなんて悲劇だ

田中 元子 さん(株式会社グランドレベル)

我がままに。

青木 純 さん(株式会社nest・株式会社都電家守舎)


青木純さん「PUBLIC LIFE」出版トークイベントでの一枚 @東久留米 Sense Of Building


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