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人生の棚卸し~小学生まで編

引き続き、
人生の棚卸しワークをしていきます。
ここからはどちらかといえば
人生の振り返りです。

おてんば幼稚園時代

バスで通っていた幼稚園の頃は、
仲良しの影響もありおてんばで活発。
男の子にもよくケンカを挑んでいたらしい
(日記に「今日は○○をまちぶせパンチした」「○○とけっとうした」などとあちこちに書いてある、、、何をそんなに争っていたのだろうか)。

キリスト教の幼稚園で、園長先生は
とてもやさしい話し方をする
素敵なおじいちゃんだった。
その後は全く信仰していないのに、
「天にまします~」のお祈りは
いまだにそらんじられる。
折にふれて園長先生から聴かされていた
「あなた方は地の塩である あなた方は世の光である」
という言葉が、幼心にも
「自分たちはみな大切な存在なんだなあ」
と印象的で、よく覚えている。

卒園式で「おもいでのアルバム」を
歌ったときには、これまでの日々が懐かしく
思い出されて号泣していたっけ。
おてんばすぎて、なぜかこの年齢で
磯野カツオのように
廊下に立たされたりした経験もあったけど
(昭和がなせる業なのか)
ここに通ってよかったな、
と思える幼稚園だった。

動物好きな優等生だった低学年

小学校に入ってからは、
3年生までは優等生。
作文が得意で
よく褒められていた記憶がある。
スポーツもなぜか割とできて、
ドッジボールで
速い球を投げる男子のボールが
受け止められるとすごく誇らしかった。
その頃は、なんとなく万能感があった。
ただし、前に出ること、目立つことは苦手。
いつも学級委員に推薦されるのも嫌だった。

また、父親の影響もあり動物好きで、
1年生で初めて
うさぎをもらってきて飼うことになった。
何経由だったのか覚えていないが、
既に大きくなっていた白うさぎで、
夜に近くの原っぱに散歩に連れていくと
(今はそんなことをする人いないだろうけど)
楽しそうにぴょんぴょん飛び回っていた。

白うさぎがなくなってからは
ミニウサギ2匹を飼ったり、
その後も猫、犬と
常に何かしらの動物を飼っていた。
他にも、インコや文鳥を
ヒナから育てたりもしていた。
当時近くに広大な野原があり
(今は開発されて跡形もない)、
よく父とそこへ散策に行き、
地面にあるヒバリの巣を
見つけたりもしたなあ。

そんな影響もあり動物好きだった私は、
当時テレビでよく放送していた
北海道にある「ムツゴロウ動物王国」に、
将来は働きに行こうと思っていた。

そうじゃなかったら、
マザーテレサのところに行って
弟子にしてもらって働こうと思っていた
(動物関係なくなってるけど・・・
既に始まっていた24時間テレビの影響。
それほどテレビの影響は絶大だったのだ)。

でも、その頃から、
小さいもの、
弱い立場にあるもの、
困難を抱えている人など
誰かの役に立ちたい
という想いが大きくなっていた
のだと思う。

人生は思うようにならないことを知る高学年

さて、小学4年生で、
学校生活はだいぶ状況が変わる。

担任の先生と
まったくソリが合わなかったのだ。

担任となった先生を生徒たちが囲み、
いろんな質問をしていた際に、私が、
当時その担任が
バスケ部の顧問をしていたことから
「先生はバスケが好きなの?」と聞いた。
とくにすごく知りたかったわけでもなく
仲良くなるための軽い気持ちの質問だったと思う。

そのときの担任の言葉は今でも忘れられない。
担任は私に向かって
え?どこからどこまでが好きってことなの?
そういう質問には答えられないわ」

そんな回答が返ってくることにびっくりだった。
大きなショックを受けた。
なぜか最初から嫌われているんだと思った。

その後は案の定さまざまな面で相性が悪く、
成績もダダ下がりとなった(当時は中学年でも5段階評価があった)。
父親が怒って通知表をビリビリに破ったことも、怖くて悲しかった。

当時の仲良しとの交換日記は、
人の悪口ばかり書いていたような気がする。
とにかく自分に自信がなくなり、
なんとなく荒れていたのかもしれない。

5、6年となってからは担任も変わり、
クラス替えがあったことで
前に仲良しだった友だちと一緒になり、
安定した友人関係が築けていけたことで
少しずつ落ち着きを取り戻していった。

低学年の頃に同じクラスだった友だちが
高学年で久々に一緒になったら
自分よりもすごく成績が良くなって
自信をもって色々できるようになっていて、
もちろん個人の努力や才能もあるけれど
この間の担任との相性の差をすごく感じたことを覚えている。

5年の林間学校では
クラスの全く関心がない男子と噂になり、
周りにはやし立てられたり
からかわれることが嫌すぎて、
誰も味方がいないように感じて、
夏休み中に自●を考えたことがあった。

当時父親の本棚にあった
哲学書や宗教的な本など読み漁り、
最終的には、
まだやってみたいことがある、
成人式を迎えてみたい
なんてことを思いつき、
それを糧になんとか事なきを得た。

しばらくして状況は少しずつ落ち着き、
いつの間にか自分が
クラスの中心にいるようになっていった。

6年の頃には
なぜかおしゃれ好き系女子グループとも仲良くなり
(私の属していたグループはほのぼの外遊び女子)
一目置かれる存在になっていた。
この頃は、毎日学校に行くのがめちゃめちゃ楽しかった。

好きなこと、得意なこと

ちなみに、この頃よく読んでいた本は
南総里見八犬伝、水滸伝、三国志など。
使命を持って集まった勇者たちが
それぞれの持つ力を合わせて
目的を達成する
、という物語。
なぜかこういう話が好きで、憧れだった。
キャプテン翼やドラゴンボールも
同様の理由からハマっていたのだと思う。

それから、映画インディ・ジョーンズシリーズ。
ハラハラドキドキのアドベンチャー系の物語も大好きだった。
(とくに2作目の魔宮の伝説は好きすぎて何度観たかわからないほどで、ビデオを借りてきて友人たちを集めて上映会まで開催した)

あとは、もともと小さい頃から
日記をつけるのが好きだったが
小学校の高学年の頃には
小説のようなものを書くのも好きになっていた。

自分や友人たちを主人公にした
冒険もののストーリーを書いたり
卒業前にはクラスでやった劇の脚本を書いたりもした。
将来は作家にもなりたいな、なんて思うようにもなっていた。

そんなこんなで
色々な経験をした小学生時代だったが
当時はヤンキー全盛期で、
地元の中学はトイレのドアが全部ない
と噂されるほど荒れており、
当たり前のように私立中学を受験した。

第一志望校はなんとなくのイメージで
選んでいたため見事に玉砕
(大変なお嬢様学校だったため行けなくて正解だったが)。
自分で行きたいと選んだキリスト教系の学校
(とはいえ週休2日だったのが決め手)は
二次募集の難関をくぐり抜けたにもかかわらず、
親が手続き日を間違えて!入学出来ず、
結局親が勝手に気に入ってすべり止めに
選んだ都内の学校に入学することになった。
今考えると、親がここに行かせたかったから
私の希望した学校の入学手続きをしなかったのかもしれない。
(その後も親からは納得のいく答えはなかった)

いずれにしても、
自分で人生を選び取った歓びがないまま
中学生活に突入した。

経験から持つようになった意識・信念

ここまでのなかで培われたと思われる意識・信念は

動物や人間以外の生きものの世話をするのが好き、楽しい
そんな動物たちと関わる仕事がしたい
困っている人を助けたい
使命感を持ち、みんなで力を合わせて大きな目的を果たすのはかっこいい
いろんな価値観の人と仲良くするのが得意だ
文章やお話を書いたりするのが好き
作家になりたい

でも

私は嫌われている
私は頭がよくない
私は運が悪い
私が望んだものは手に入れられない

かな。。

すでにだいぶネガティブだ。
いや、学校教育が功を奏しているというべきか(逆の意味で)。

次は中学生から20歳編です。

書いているうちに、意外とそのときの感情が思い出されるなあ。
ひとつひとつ、自分に大丈夫だよ、声をかけてあげたい。

ついつい余計なことも書いてしまうけど、
なかなか面白いワークで、これおすすめです。