37歳、オザキホウサイとの邂逅。
久しぶりの旅行。ほんの少しの申し訳なさ。
同僚には旅行することを伝えずに、ずらして取った夏季休暇の申し送りをする。GOTOトラベルキャンペーンにより、後ろめたさをチャラにして堂々と旅行できるかな…と思いきや、案外小心者な自分に気づく。
今回は母・弟夫婦と4人で小豆島への旅行だ。梅田から2キロ圏内を出ない生活を半年以上続けている身としては、青い空、海、オリーブ、醤油、そして尾崎放哉の終の棲家がある小豆島は、近くて遠い憧れの地だ。
…ん? 尾崎放哉って誰だっけ… 「登っても登っても山」の人?
(正しくは「分け入っても分け入っても青い山」であり、かつそれは種田山頭火の句である)
咳をしても一人
一番有名な放哉の句。国語の授業で習った。自由律俳句というやつだ。
そう、私のオザキホウサイ知識はこの程度だった。
小豆島国際ホテル、夕食付一泊二日で17800円の格安の旅。往路の高松で栗林公園に寄りうどんを食べ、小豆島のオリーブ園で遊び、醤油の町を歩く予定。
尾崎放哉記念館は母の希望により旅程に組み込んだのだが、結局、今回の旅行で一番印象に残る場所となったため、ここに書いておこうと思う。
※※※※※
当日は曇り空で雨を心配したが、何とか持ちこたえた。
母と二人で来た栗林公園は平日のためか閑散としており、手漕ぎ船でゆったりめぐる園内と、涼しい風と滝の音を聞きながらくつろいだ掬月亭からの眺めは、それは素晴らしかった。
栗林公園近くのうどん屋、上原屋本店に立ち寄る。平常時なら必ず行列だそうだが、私たちが入った時には店内に一組しかおらずコロナ影響を感じる。うどんはもちろん、コロッケが思いのほか美味しく、得した気分。
高松からフェリーで小豆島の土庄港へ。小豆島国際ホテルに到着後、日が沈む直前に瀬戸内海を見渡す露天風呂を楽しみ弟夫婦と合流。久しぶりの家族団らんを過ごす。
※※※※※
翌朝は良く晴れた。朝食後、ホテルから直結するエンジェルロードを散歩。
そして、尾崎放哉記念館はホテルから徒歩数分のところにあった。
まずこの句が目に入り、思わず立ち止まってしまった。
海も暮れ切る。
敢えて言葉にするなら、その時「潔い諦め」を感じた。
ポジティブかネガティブか、どっちとも言えない。なんだろう、この感じ。尾崎放哉のこと下調べせずに来て良かった。この感覚の答え合わせ、できるかな…
中に入ると、放哉や関係者の書簡、句、関連書籍が所狭しと並ぶ。
滞在時間は30分程度だったが、そこで放哉の意外な人生を知ることになる。
東大卒の超エリートが、酒癖の悪さから会社で降格し辞職。妻に離縁され、サラリーマンを諦め寺男になるも、体力のなさや酒のせいでロクに務まらず寺を転々とする。胸の病気で最期を悟り、師匠で友人の荻原井泉水に頼み込んで紹介された小豆島の家(南郷庵)に移った8か月後、42歳で死ぬ。
私と同い年、37歳からの転落人生。
そこから死ぬまでの5年間、どういう心持ちで2000以上の膨大な数の句を詠んだのか。
後悔や絶望に苛まれながら?恨みつらみに苦しみながら?はたまた圧倒的な空虚感と共に?時にかすかな希望を見出しながら?
どのような感情で、こんなにプレーンで率直な句を詠み続けたのだろうか。
転落人生の晩年にこのような句が生みだされていることについて、なんだかしっくりこない感じを受け、印象に残る句を何度か読みなおしてみる。
ここ迄来てしまって急な手紙書いてゐる
素晴らしい乳房だ蚊が居る
花火があがる空の方が町だよ
あらしがすつかり青空にしてしまつた
墓のうらに廻る
入れものが無い両手で受ける
寂しい寝る本がない
非常にシンプルでそっけないようにも思うが、惹きつける力強さは何だろうか。もう先の無い逆境の中、放哉は過去にも未来にも囚われていなかった。自分の周りのものやことをありのままに受け止め、自分の感情を殺すことも無かった。その心の在り方がプレーンで率直な句に表れており、句を詠むことを通じ、彼は最期まで自由であったのではないか。
放哉はきっと、諦観の境地にいたんだろう。そう思った。
「諦観」 見たことがあるが使ったことのない言葉だったけど、私の中の放哉像にしっくり来た。
ふむ。最初に感じた「潔い諦め」の答え合わせができたかもしれない。
※※※※※
記念館を後にしてからは、オリーブ園で空を飛んだり、
醤油記念館からの鄙びた眺めを楽しんだり、
the小豆島の観光を楽しんだ。
普段、旅行で買い物をすることはほぼ無いのだが、この度はエコバッグ一杯にお土産を買うほど大満足のGOTOトラベルとなった。
※※※※※
大阪に帰って数日、彼の句をしみじみと読み返している。
ちょっと調べただけでも、私が感じた放哉像とは異なるエピソードや解釈が多く、興味深い。
37歳の時に尾崎放哉に出会えて良かった。
この先辛く苦しいこともたくさんあるだろうけど、自分の感情に押しつぶされず、出来る限り率直で、自由でありたいと思う。
※※※※※
おまけで現代の自由律俳句を2つ。
記憶が無い付いて出る(ホテルの部屋の階数が分からず前の人に付いてエレベーターを降りかけたアラセブ母の句)
流れてないけどラテンの血が騒ぐ(帰りの電車、マリンライナーに乗っていた男性のTシャツにプリントされていた句)
おあとがよろしいようで。