丁寧な暮らしなんて貧乏くさいと思っていたけれど
育児と仕事の両立に煮詰まってきたら、こっそり東京を離れよう。新幹線と30分に1本しか来ない電車を乗り継いで、3時間半。少し寂れた小さな漁師町が私の地元だ。
地元といっても私が生まれ育った町ではない。今年春、母が退職を機に別荘を購入してひとりで移り住んだ。だから、実はまだ地元歴は半年ほど。
港が見下ろせる高台にある家は、どの部屋の窓からも海が見える。天気がいい日は小さく富士山が見える時もあり、とてもとても気分が良い。
さて、そんなわけで一週間ほど母の家にお世話になってみると、見えてきたのは母の「生活力」の高さだった。
圧倒的な母のパワーオブ生活
初日は回覧板に挟んであったチラシで見つけた、町内の盆踊りの会費が千円もするという話題が母の沸騰ワードだった。かなり衝撃的だったらしく、同じ話を滞在中3回くらいされた。
ショッピングモールに行った時は私が買い物する間に、息子とプレイルームで遊んでくれていた。気づいたら同じ月齢くらいの子どもを連れたママさんと結構しっかり話し込んでいたようだ。
あちらのお子さんは◯ヶ月で、海苔巻きが気に入ってるみたいで作り方を聞いちゃった、最近の人はいろんなメニューを作るのねぇ、と感心していた。
冷蔵庫を開いて、わー今日は何もないじゃん!と言う割に、テレビを見ながら手際良く3~4品を作る。じゃがいもをレンジであっためて、マヨネーズとカニカマとめんつゆを混ぜた、ポテトサラダ風の名前もない料理。
これ何?と聞くと大概「煮もの」「和えもん(混ぜたもの)」とざっくりした返事しかない。感激するような味ではないけれど、それなりに美味しい。
ワンオペで二人の子育てをしながら教員として働いて、いつも忙しなく動いていた母。当時はこれといった趣味もなく、お金がないわけじゃないのに食事も身なりもよく言えば質素、悪く言えば飾り気がない。
スマホとパソコンが苦手な、どこにでもいる初老のオバサン。それが長い間、母のイメージだった。
それでも、この海の見える家で同じ時間を過ごしていると随分見方が変わってきた。少しの工夫と知恵が、派手じゃないけど豊かな生活を作っているようだった。
お金があれば幸せになれると思っていた20代
私が20代の頃は、とにかく「お金がない」が悩みの種だった。お金があればもっと豊かに暮らせるはず、だから必死に働いて独立したし、確かに経済力を得ることで選択肢は増えたと思う。
でも、私に足りなかったのは経済力よりも生活力だったんじゃない?日々の生活をクリエイトする力=生活力という感じ。
ポテトサラダに必ずきゅうりとハムが入ってなきゃいけない、なんてことはない。買ってきたお惣菜でもお皿に移して、レタスとトマトを添えるだけで彩りが増える。その”ひと手間”を加えることができる人は生活力が高いと思う。
丁寧な暮らしというのは全部手作りしましょうとか、瞑想せよとか、そういうことじゃない。
確かにお金があれば美味しいデリを購入することもできる。けれど、お金に頼りっぱなしの人生は本当に豊かと言えるのかな?何でもかんでも札束で殴ればいいってもんじゃない。
そういえば、ゆっくり海を眺めたの久しぶりだった。暮らしという土台を整えずに表面だけきれいに取り繕ったとて、いずれバランスが崩れてしまうのではないか。
昔の自分に笑われたって、今の幸せを愛そう
東京へ戻る新幹線の中で、思い立って千葉や埼玉、東京郊外の中古マンションを調べてみた。
当初考えていた都心の家に比べると価格は驚くほど安く広さもある。それでいて子育て支援が充実していたり、緑が豊かだったりと今の私にはとても魅力的に映った。もちろん、まだ決定事項じゃないけれど…。
幸せの形は少しずつ変わっていく。足りないものにばかり目を向けて、都会や経済力に憧れていた昔の私が今の私を見たら、きっと鼻で笑うだろうなぁ。あんなに嫌だった田舎に惹かれてるの?なんてね。
それでもいい。大切なものは、きっとずっと前から、自分の足元にあったのだろう。
母の生活力も、退職して突然開花したわけではなく、私が気づかなかっただけで昔から少しずつ積み上げられてきたはずだ。
遠くの憧れを追い求めていた時には見えなかったものに、やっと気づけるようになってきたのかもしれない。
家族が増えてそう感じるのか、はたまた、これが老いというものか。ただ、変化していく自分を見届けることができるのは、長生きの醍醐味でしょ?
それでは、明日もいい日になりますように!
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