010.つい「考えすぎてしまう人」へ贈りたい言葉
私たち現代人は、日々の仕事や生活の中で、無意識のうちに「何かを考えながら」暮らしているのではないでしょうか。
ある研究によれば、人は1日に6万回以上の物事を思考するといわれています。
さらに驚くべきことに、その多くは前日と同じような内容であり、悩みや心配事が繰り返されているというのです。
皆さんはいかがでしょうか?
もし、私たちの思考が「楽観的」で、心がワクワクするような内容ばかりであれば良いのかもしれません。しかし、多くの人は過去の後悔や未来への漠然とした「不安」や「恐れ」に思考を支配されているのではないでしょうか。
例えば、「失敗するかもしれない」という不安な思考が続くと、新しい挑戦をためらったり、自分を否定的に捉えたりしてしまうことがあります。ここに、現代を生きる日本人の多くが感じている「生きづらさ」の原因があるのではないかと思うのです。
こうした状況を「頭」で理解しようとすると、「思考」が働きます。思考は、過去の経験や学んだことから、「そんなことはもう知っている」と解釈しがちです。しかし、この『知っている』という思考こそが、実は「可能性や価値観を小さく見積もらせてしまう」大きな原因なのです。
どういうことかというと、「思考」というのは、「過去」や「未来」のいずれかを基にして物事を判断する仕組みになっています。
「今この瞬間の現在」、つまり禅でいう「今、ここ」という概念は、思考の中には存在しません。
仮に、1秒1秒の瞬間を切り取ることができるとするならば、「今、ここ」の現在しかこの地球には存在しないはずです。たとえば、次の1秒に何が起こるのか(未来)を正確に想像できる人はいないはずです。
本来、未来は誰にも想像できないものであるにもかかわらず、思考はそれを「知っている」と解釈します。
そして出来事を「いつものパターンだ」「知っている」「分かる」といった形で、過去の行動パターンや学んだことと結びつけてしまいます。
つまり、「今、ここ」から先は常に「未知」のはずなのに、思考はそれを「既知」の出来事として、いつものパターンに当てはめようとします。
これを例えると、「思考」はまるで古い地図を頼りに旅をしているようなものです。
たとえば、新しい場所を訪れるとしましょう。そこには美しい景色や未知の発見がたくさん待っています。しかし、古い地図だけを見ながら旅を進めると、「この道は危険かもしれない」「ここには何もないだろう」と先入観にとらわれてしまい、実際には見逃している景色やチャンスに気づけないことがあります。
この古い地図は、私たちの「思考」が過去の経験や学んだことに基づいて作り上げたものです。
一見役に立ちそうに見えますが、それに頼りすぎると未来の新しい可能性や、「今、この瞬間」の魅力を体験できなくなります。
一方で、「今、ここ」を生きるというのは、目の前に広がる風景を地図に頼らず、そのまま感じ取るようなものです。
その場の空気や光、色彩、音に身を委ね、何があるかを一つ一つ発見する旅です。そこには過去の制限や未来の不安は存在せず、「未知」の可能性を最大限に広げ、人生を楽しむヒント、新しい発見と自由を味わうことができます。
この例え話から言えるのは、「思考」が過去や未来に囚われてしまうと、目の前の現実を正確に捉えることが難しくなるということです。
新しい挑戦や幸せを見つけるためには、古い地図に頼らず、未知の可能性を信じることこそ未来の扉が開かれていくのではないでしょうか。
「未知」に広がる未来の可能性があるはずなのに、その可能性の芽を自らの思考が摘んでしまう。せっかくのチャンスや人とのご縁をを逃してしまうという可能性も出てきます。
「今、ここ」に意識を向け、思考に振り回されるのではなく、瞬間をそのまま受け入れる姿勢を日常に取り入れて欲しいと思います。
今日は少し難しい話になったかもしれませんが、「頭で理解しよう」とせず、心で感じてみてください。
「分からないこと」は分かろうとせず、そのままで大丈夫です。
いつか、ふと分かるときが来るはずです。
そんなふうに、「今」を大切にする時間を持ってみてください。
今日の文章だけでは、今の悩みや不安、心配ごとが消えたり、考える時間を減らすことはまだ無理かもしれません…ですが、今後の投稿でも少しずつ心が軽くなるヒントを公開していきたいと思います。
この文章をここまで読んでいただきありがとうございます
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