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ミライは、ここから、|ミライカイギをひらいて思うこと

 2022年3月13日(日)、ミライカイギをおかげさまで無事開催することができました。ご参加いただいたみなさま、さまざまな形で応援・協力いただいたみなさま、本当にありがとうございました。

 6時間の長丁場、「あっという間だった!」という声も、「久しぶりの対面イベントでたのしかったぶん、少しつかれた...」という声もありました。多くのイベントがオンライン化するなかで、感染症対策をおこないながら、なんとか29名(社会人16名、学生13名)の同世代と、対面でおなじ空間につどい、密度ある時間をともにすることができたことを、まずは本当にうれしく思っています。

当日の光景

 地縁や血縁といったつながりが弱まった、関係を自由に選ぶことのできる時代に、不要不急のひとことで関係が遠のき、居合わせるという思わぬ出会いの機会が失われる時流が重なったこの2年。変化せざるを得ない時代だからこそ、他方で、ありつづけてるものや、そこにいつづけるひとの意味が見直されてきているようにも感じます。

 2017-2019年にかけて開催していた「近江の国ミライ会議」も、コロナも相まって2年間の活動をお休みしていました。一度何かを途切れさせてしまったものを、もう一度はじめるのは容易ではありません。ミライカイギが今回、新たな名前で息を吹き返すことができた有難さには、胸に迫るものがあります。

当日の朝

 ミライカイギにふたたび血がかよい、あたたかなものとして蘇ることができたわけ。それは、「脈」が途絶えていなかったからだと思います。

 「出会い」と「関係」を軸にして「ミライ」を考えた今年のミライカイギのなかで、こんな2つの問いを囲みました。

「いままでおおきな影響を受けたひとは?」

「いままで自分が影響を与えたと思うひとは?」

 これらが話される様子をのぞいていてハッとしたのは、「受けた影響」はスッと出てくるのに、「与えた影響」はすんなり出てこないということです。考えてみれば、これはすごくふつうのことで、ミライカイギについても
同じことが言えます。

模造紙の問いを囲む

 ミライカイギにかかわってきた自分の受けた影響は実感値があるけれど、ミライカイギが及ぼした影響には肌感がない。ミライカイギの「脈」がこれまでぼく自身イマイチピンときていなかったんだと思います。

 ミライカイギをつうじて生まれた人脈を大切に思っているひとたちがいること。ミライカイギを1つの原点や転換点として、その文脈に生きているひとがいること。この半年、改めてミライカイギに取り組んで、そういうことがやっと少しわかったような気がします。そして、あたらしくなにか生み出すだけでなく、つづけていくことに意義があることが。

 "わたしたち" が、そしてまだ見ぬ "わたしたち" が、大切なものを大切にして生きていけるよう、「かえるところ」としてミライカイギを細くても脈々と継いでいきたい。

 かえるところがあって、ひとは離れることができるのだから。
 かえるところがあって、ひとは変わることができるのだから。

ワークの様子

 ミライはなにをせずともおとずれるけれど、関係がうまれ、うまれ直すことで、向こう側にひろがる景色は変わっていく。

 今後についてはまだあまり具体的に決めているわけではありませんが、0313をとおして、むすび、むすびなおしたものをたよりに、ゆったりとほがらかに歩んでいきたいと思います。

 ミライカイギは単発のイベントではなく、継続的なプロジェクト。出会いという非日常におわらない、つどい、かかわり、日常という名の "わたしたちのミライ" をともにたずねる旅。

2022.03.13. @ あまがいけプラザ

そう。

ミライは、ここから、


2022.03.25. 大澤


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