不足感から幸福感へ
今、世界は米国一極から多極化の世界へ向かっています。いや、もうすでに多極化していると言えるかもしれません。
2024年、2025年とそれはより鮮明になっていくように思います。2024年は米国大統領選挙の年です。また、3月にはロシアの大統領選挙があります。ロシアはプーチン大統領で固いでしょう。引き続き、ロシアはBRICSを中心に世界への影響力を伸ばしていくと思われます。
注目は米国でトランプ氏の人気は現職のバイデンを上回っています。そして、バイデン側はなりふり構わず選挙にトランプ氏が立てないようにする戦術を展開しますが、ことごとく裏目で、やればやるほど、トランプ氏の人気が高まるという始末です。
二日前にこんな記事を書きました。実体経済VS金融経済。米国や欧州、そして日本など西側社会と言われる国々で展開されているのは、もはや実体経済を大きく乖離した金融経済です。日本でも来年からNISAが新しくなり、投資が大いに注目されています。それがすべて悪いことではないのですが、実体から乖離して誰かが買うから上がる、上がるから買う、買うから上がる・・・この状態の典型が米国株式市場だと私は思います。
それが実体からあまりにも離れていると、バブルとなり崩壊します。リーマンショック以降、そしてコロナパンデミック以降、世界中の金融緩和の後始末を現在しているわけですが、それが実体経済を上回っている分をバブルと考えると、巨大なバブルが今なお、続いていると言えます。
バフェット指数なる指標があります。バフェット指数は、世界的に知られている米国の投資家であるウォーレン・バフェット氏が重視するとされているものです。バフェット氏の名前をとって、バフェット指数と呼ばれています。バフェット指数を活用して判断の参考にできるのは、一国の経済の実態と株価を比較して現在の株価が割高なのか、割安なのかという点です。
バフェット指数とは、ある国の株価がその国の経済規模と比べて割高か割安かを判断するための指標です。判断しようとする国の上場株式の時価総額の合計を、物価変動を考慮しない名目GDP(国内総生産)で割ることで求められます。
つまりバフェット指数は、個別の銘柄ではなく、その国の株式市場全体が実体経済と比較した時に適正水準にあるのか(株価が割高なのか、割安なのか)を表す指数です。
<バフェット指数の計算式>
バフェット指数(%) = 当該国の上場株式時価総額合計 ÷ 名目GDP × 100
一般的にはバフェット指数の数値が100%を超えるとその国の株価は割高だと判断され、100%を下回れば割安だと判断されます。
これは日米共に、100%を超えています。2023年12月20日のバフェット指数は米国が172.20、日本が153.70です。
これが高いから株価はすぐに暴落するというものではありませんが、バフェット氏が重視している指標からすると、割高観があるということです。
すなわちこれは金融経済が実体経済を上回っているということを示しています。
なぜ、私たちは「お金持ち」になりたいのでしょうか。そういう私もお金持ちになりたくないと思っているわけではないです。そういった解脱の心に到達しているわけではありません。
ただ、冷静になって考えてみると、なぜなのだろう、と。そして、日本人も多くの人がもっとお金が欲しい、あるいはお金があればと考えているのではないでしょうか。
でも、なぜ?
私がたどり着いた、今、思うことは「不足感」です。
それは「お金」ということに象徴されているだけであり、根本には不足感があると思うのです。不足しているから、もっと欲しい、満たされたい、と。
これは現実的な不足ではなく、「感」、つまり感じているということです。だから、永遠に満たされることはない。なぜなら、自分の感覚として常に「不足している」という感覚があるからです。
だから、「もっと」となる。
しかし、それは幸福を生み出してくれるものなのか?それは違いますよね。
1兆円のお金を持とうが、「自分が不足している」と感じれば「もっと」「これじゃ足りない」ということです。
この地球には存在している人に幸福感を与えてくれる材料は不足しているのでしょうか。実は私たちはすでにこの地球に存在し、生きているわけですから、何かが「不足」はしていないはずです。
仮に1兆円のお金があったとしても、すぐに今、すべてが必要なわけではありません。今という時は、実は満たされていて、何かが不足しているということはないはずです。
私たちはもうすでに満たされている。その満たされているという考えは「幸福感」を与えてくれます。それは「感」ですから、自分が感じることです。感じればいいということ。
グローバルな世界で考えると結局、一極集中の世界は不足があるから、求め続け「一極」に集中させようとした世界。一方、多極化した世界は自己の不足感のためだけではなく相互に尊重し合う世界。そこには自国の伝統や文化を重んじるという考えがあります。相手を重んじることは、自己も尊重していなければできません。それは自分の満たされている部分も理解していくことではないでしょうか。
不足感がもたらしたのが金融経済だとすると、終わりなき不足の追及、それは他者から奪うということになってしまいます。それが今、音を立てて、崩れているのではないでしょうか。
亡くなったわが師の杉村太郎氏の動画を久しぶりに見ました。若い時、こんなすごい人が世の中に居るんだと思わされました。その師よりも長く生きることになった私は、改めて師の言葉を聞き、自分の生き方を考えさせられました。ご興味がある方はぜひ、ご覧下さい。