私の親孝行
信じるか、信じないかは、あなた次第です。
私の両親は、私が小学生の時に離婚をして、それ以来母と暮らしてきました。
母はとても気が強くて、いわゆる毒親のような存在でした。
ですから、母に対しての気持ちは、歳を重ねても何とかしてあげたいというような事は、ほとんどずっと思っていませんでした。
しかし、私が本当に親孝行をしたなと思うことお話します。
母は7年前に、脳梗塞になりました。
その前の年くらいに気がまぎれるし、元々交通事故を起こして足が不自由でしたので、お風呂に入れてもらえるので、デイサービスに行くように難儀でしたが、説得しました。
その日はデイサービスに行く日でした。
私が仕事に出掛けた後に、ヘルパーさんが迎えに来て下さったのですが、様子がおかしいと気づいて、救急搬送の手配をして頂きました。
もし、その日がデイサービスに行く日で無ければ、そのまま自宅で亡くなって、私が仕事から帰宅するまで分からなかったと思います。
また、警察の方が来て大騒動になっていたと思います。
市民病院に入院して3ヶ月、ここは急性期の病院ですから出なくてはなりません。
幸いにも、自宅近くのリハビリの病院に転院する事が出来て良かったです。
しかし、この病院も3ヶ月したら出なくてはなりません。
老人施設を探さなくてはならないのですが、母は脳梗塞のため食事の時に嚥下の心配があり食事が摂れなければ老人施設にいく事は出来ません。
担当のケアマネジャーさんも色々相談に乗って下さいました。
体の動きは入院時と変わりませんが、何とか食事は摂る事が出来たので、ショートステイの施設に行ける事になりました。
この時は、母が行くところが有ったので、本当にホッとしました。
施設にはコロナの影響もあり、あまり行きませんでした。
施設に入りたい老人はたくさんいらしゃるので、養護老人ホームに変わりたい旨の申し込みをしていましたが、期待はしていませんでした。
すると、突如デイサービスの提携先の養護老人ホームに空きが出来たという事で、その施設に変わる事になりました。
その時は、驚きが隠せませんでした。こんな事も有るんだと。
不思議だなと思ったのですが、更に不思議な事が起きました。
特養老人ホームに移って2~3日したら、職員の方から母の体調が弱って来ていると電話が有りました。
もう母も80代後半の年齢なので、ここまま自然にという思いで、職員の方にもそのように伝えていました。
特養の場合は、主治医がいらしゃいますので、希望が言いやすいです。
もし、デイサービスの施設のままの場合は、救急搬送が基本なので病院送りです。
特に母は血管が細く、採血の時にはいつも看護師さんが苦労されていましたので、もう苦痛を味合わせたくないと思っていました。
そして、特養に移ってから1ヶ月の短期間で他界しました。
それが2年前の事です。
諭しながら、49日を過ごしました。
その中で、親孝行として最後の外食したいと思い、祭壇にいる母に声を掛けて肩に乗ってもらい、電車に乗って都会の食堂に行きました。
生前、美味しい鯖が食べたいと言っていたので鯖の専門店に入り、2人前の料理を注文し、母を反対側の椅子座らせて、食事を楽しみました。
当然、話をする事は出来ませんが、声を掛けながら食事をして、終わった後に母の食べたと思われるものを味見と称して食べましたら、若干の味が変わっていたので、食べてくれたんだなと思いました。
感無量の気持ちになりました。
とても嫌な気持ちを一杯させる母でしたが、亡くなってからくらいは自分に納得のできる親孝行をしようと思っていたので、良かったと思います。
そして無事に49日も過ぎて、母は自宅の祭壇から旅だって行きました。