メガネを外したら別の世界
子どもたちと話してたりワークしてたり
やることの苦手意識ってやっぱりあって
字がきれいに書けないことが嫌で
文字を書きたくない子がいる
きれいにかけなくてもぜんっぜん平気で
なんて書いてるの?って聞かれても
ぜんっぜん平気な子どももいて
めっちゃきれいに字を書けるのに
コンプレックス持ってる子どももいる
絵なんかもそうで、すごく素敵に子どもらしい絵を描くのに
きれいに描けないといって描けない子がいる
何を得意とするかもだけど
きれいって何?上手って何?そこから掘っていくといいよね。
味わい深い絵を描く子もいるし
独特の感性で思いのままを表現する子どももいる
何かと聞いて説明を聞かないと分からないけど聞いたら妙に納得する絵だったりする
めちゃ雑だけど、大胆にとても上手に描けていたりする
うちの子も習字を習っていたけど
何枚も同じように寸分狂わず繊細に書く子もいたら
うちの子どもたちは、ゆったりと堂々とのびのびと書く方だった
それぞれに上手できれいな字
どれが好きか?の話
ピカソの絵を見てから
子どもたちの表現で私はよく使うんだけど
ピカソは、こんなふうに見えてたんじゃないのかな?と思うようになった
そう見えたように、そのままキャンバスに描き写す
ほんと至極、普通のことじゃないかと思うようになった
子どもたちの見えている世界ももしかしたら、こんなふうに見えているのかもしれない
同じものを見たとて感じ方も違えば
脳への信号も人それぞれ違うのかもしれない
そもそも、そこから違うなら
この世界は、見えている本人の見え方しか受け取れない
見たいように見て聞きたいように聞く
もあれば
見えているように見えてアウトプットし
聞こえているように聞こえてアウトプットする
そのように見える、聞こえる特性がみんなにそれぞれあるから
そもそもにおいてまるで、世界が違う
受け入れてみると
もしかしたら大人の私もそう見えてくるかも
私たちの世界はおもしろく歪んでいる
楽しんだらどこまででもどこへでも行けそうで
こないだ、ある子と話していて
なんで言葉は 文字の羅列だけなのに
そのことを表現しているのか
そもそも言葉を作った人って誰だろう?
そんな話をしてくれた
私も小学生の低学年で
なんで、「おはよう」は 「お・は・よ・う」 の文字がくっついて
「おはよう」 を構成して意味をなすのか?
さっぱりわからなくて
なんで?って思ってた時期があった
おんなじ子を見つけて
だよねー!!!! ってめっちゃ共感した
最初になぜそう言葉を作ったのか?
忘れてた子どものころを思い出した
そういう世界があることを
ちらっと知ってると
子どものなぜ?が少しはわかるかも
そもそもなぜなんだ?ろうね(笑)
子どもの世界を
大人と合わせるのは
ほんとにもったいないと思う
子どもがどうしてそう見えたのか
そう感じたのか
いろいろ考えてみると おもしろくなる
私の夜の世界はこんな世界
メガネがない方が
きれいに見えるよ
そんな世界があるってこと