生活が安定しているからか、メンタルが安定しているからか、何かを生み出したい気持ちがムクムクと。 だからといって、何をするかは決まっていない。漠然とした気持ちが、そこにはあるだけだ。 自分は何がしたいのか。 何ができるのか。 ネガティブの世界にいるときには、自問自答の闇へと続く道へとなるが、ポジティブの世界にいるときは、こんなにも希望に満ちた気持ちでいられるのか。 何をするか思考を巡らしているだけでも、満たされる気持ちになれることは、良いことであろう。 さぁ 今の私は
昨年から手話を習い始めましたが(市が開いている講座を受けています)少しずつ、読み取りや表現ができるようになってきたように思います。 昨年度は手話の基礎を、今年度はそれをさらに聾者に伝わるように表現するにはどうしたらいいかを詳しく練習する講座に通っています。 なかなか思ったように表現できず、悩むことも多く、覚える単語も沢山なので、あたふたはしますが、新しいことを学ぶという事はとても楽しく、たくさんのいい刺激をもらっています。 言語ですから、そう簡単に身につくとは思っていませ
きちんと心療内科で診断されたわけではないが(心療内科に通っていた時期はあるが、病名は何も告げられていない)自分の症状を調べると、強迫性障害に当てはまる項目がいくつもあった。 出かける前に、ガスの元栓が気になり、閉まっているか何度も確認してしまう。玄関のドアもしかり。 鍵をかけている時に、ふと、別のことを考えていたりすると、鍵をかけたのか不安になる。ドアをガチャガチャして確認しても、ドアを離れた後『もし、今の確認は勘違いで開いていたら?なぜか自然に開いてしまったら?』と想像す
空を見上げる 雲ひとつない 青い空を じっと見つめる 海の彼方を そっと目を閉じる こころに決めたこの思いを 怖れなくていい その思い まっすぐに 己の目で見極めてゆけ
今年は、年明けから大きな震災が起こった。 あの地域には、知り合いも住んでおり、地震情報を見てすぐに心配になった。震度7の数値を目にして、すぐにニュースやSNSをチェックした。 自分自身が、震度6弱を経験したことがあったが、私が体験した地震より強い地震。大津波情報の文字を見た時に、東日本大震災の津波の映像が頭をよぎった。 幸い、私の知り合いは全員ケガもなく、家族も無事の連絡をもらい、胸をなでおろした。 ニュースやSNSでは震源地近くの地域の悲惨な状況が随時アップされ、被災
無性に寂しい気持ちに飲み込まれた 何かきっかけがあったのか、自分自身でもわからない その場にいることさえも 少し耐え難く感じるような なんとも言えない感情の渦に ひとり うずくまる 自分の心の動きさえコントロールできない どうすることもできずに ただ身を任せるしかないのだろうか
心境の変化は突然にやってくる 特に気にも留めていなかったことが急に気になったり 心を支配していた思いが、スッと霧が晴れるように消え去ったり 何が切っ掛けになるかわからない 友人との会話だったり ふとした気づきだったり 今苦しい時を過ごしているならば 何か新しいきっかけを探すといい 今が充実しているならば さらに充実させるために 様々なことに興味を持つのもいい 人は、少しのきっかけで さまざまに変わっていけると思う
今年の秋は、あっという間でした。 カレンダーで『秋』のシーズンに入っても夏日は続き、涼しくなってきたなと思ったら、一気に寒くなり、あっと言う間に『冬』に。 秋が短かった為に、体は寒さに慣れておらず、体調を崩すこともありました。 久しぶりに声が出なくなるほどでした。 ただでさえ、季節の変わり目は、体調管理が難しいのに、こんなに激しい移り変わりでは、余計に体はしんどくなりますね。 そのうち、日本に四季がなくなってしまったらどうしようかと考えてしまうことも。 季節それぞれ楽
ふと、知り合いのSNSをみて、充実した内容の投稿をみると、つい、嫉妬してしまう。 自分自身の人生が充実していないわけではない。旦那もいるし、こどももいる。義実家との仲も悪くない。 日々の生活も裕福ではないが、至極一般的な生活はできていると思う。 しかし、知り合いの、仕事をしながらも趣味も楽しんでいるなどの投稿を見ると、私は仕事もせず、趣味を楽しんだり、日々こどものフォローと家のことしかしていない。しかも家のことも完璧にできておらず、自宅も散らかっていたりする。 それを比
コロナが流行ってから、実家には帰っていない。もう今年で4年は私の親戚の顔、みてないなぁ。 そろそろ顔でも見せに行くかと思っても、両親がいい顔をしない。 コロナが落ち着いたらと、言葉を濁される。 交流がないわけではない。 プレゼントを送り合ったり、たまに電話をしたり。 あと何年このままだろうか。 コロナが無くなることはない。 特効薬ができることもないだろう。 インフルエンザでもそうなのだから。 となると、冠婚葬祭でしか会わなくなるんだろうか。 私としては、以前少し私の心
「ねぇ、あの雲はどこへいくの?」 「あのシャボン玉は、どこから飛んできたの?」 「カッコいい車、どこか行っちゃった」 目の前に起こる様々なことに興味津々な年頃。 一つ一つ丁寧に答えていく私。 できる限り、曖昧ではなく、私の分かる範囲で、真実を伝えられるようにしている。 すぐには理解できなくても、曖昧な言葉で誤魔化すのは、きちんと一人の「人」としての見方をしていない気がして、私は好きではない。 君には、自由であってほしいし、自分で選んだ道を楽しんでほしい。明らかにおかしな
今日も帰宅が遅くなってしまった。 定時間際に至急の仕事が入ってしまったからだ。このところ、終電ばかりの毎日だ。何故上司は定時間際に私に仕事を回すのだろう。いい加減にしてほしいものだ。 私はそんなことを思いながら、終電間際の電車に飛び乗った。 乗った車両には人はおらず、私1人だった。 電車のガタゴトと走る音だけが響いている。 座席に座り、ほっと一息つく。 今日も本当によく働いた。 私はあまりに疲れ果て、うたた寝をしてしまった。 しばらくして目を覚ますと、車両の中には私1人の
人の気持ちというものは、他人がどうにもできないものの一つです。 その人を思っての言葉だったり、行動だったとしても、その人にとっては、迷惑でしかないことは多々あります。 親が子を思う気持ちも、なかなか子にはうまく伝わりません。 自分が体験した過去の失敗を子には味わってほしくないから、早めに対処していたら後に楽になるからとの思いなど、様々ありますが 素直にその思いが伝わることは、難しいことが多いことでしょう。 何を言っても、やはりその人が自分自身で気づかない事には、何も始ま
私は趣味で楽器を吹いています。 子どもの時に小学校のクラブで始めたことがきっかけです。 音楽は特別好きというわけでもなく、どちらかといえば苦手な分野でした。 クラシックを聞いて感想を書く音楽の授業が苦手だったので。楽譜もまともに読めないような子が、たまたま友達に誘われたからと、楽器を始めることに。 しかも、年度始めからではなく、途中入部という形だったため、担当楽器も残り物という状態でした。 もともと、楽器に詳しいわけでも、音楽がすごく好きというわけでもなかったので「これ
春はアナタにとって どんな季節ですか? 出会いの季節 別れの季節 新しい未来へ続く季節 少し寂しくなる季節 人それぞれ 想いが違うように 季節に感じるものも 変わってくるでしょう 春は今年もやってくる 私達の想いを呼び覚ましながら
人の心はわからない わかったように感じるだけ 本当のところはわからない 人に見せている心も 本当の心とは違っているかもしれない 自分自身の心だって 本当にちゃんとわかっているだろうか? 心は 誰にも見えないものなのかもしれない