ここではないどこかへ
「未来の私はどんな環境でどんな生活をしているのだろう」
私が中学生・高校生の頃に、自分の将来を考えた時、必ずと言っていいほど明るい未来を想像した。
興味のない必修科目のテスト勉強であったり、マラソン選手になりたいわけではないのに走らされる持久走であったり、こういった楽しくないことからは(将来)解放されて、自分のやりたいことに囲まれているんだろうな。
ここではないどこかで、私はいきいきと生きるんだろうな。
そう思いながら、時間が過ぎていった。
中学生・高校生の頃に「どんなに楽しい時間が待っているのだろうか」と思い描いた大学生活は、今までの私の生活と大差なかった。
中学・高校で同じ部活の先輩が入ったサークルに入り、つまらないと思う必修の授業も受けた。ただ、つまらないと思う授業の割合は格段に低かった。そして、その割合は学年が上がるにつれてさらに減っていった。
中学・高校ではしてこなかったバイトも経験した。遊びを知らなかった私が友達を誘ってライブに行った。
就活生になった私は、自己分析なるものを始め、自分のこれまでを振り返った。
そして、感じた。
私の人生、つまらないな、と。
未来の私はこんなふうになれているだろう、とか思い描いたものの、それを目標として意識することは決してなかった。
ここではないどこかに、未来の私が連れていってくれるだろう、と。
もちろん、未来の私が、それまでの私を連れて行くことなんて起こらなかった。
ここではないどこか、なんて、存在しないのだ。
自分がいる場所が、常に「ここ」で、別の場所「どこか」に着いてしまったら、もうそこは「どこか」ではないのだ。
この言葉、漫画で見た。
咲坂伊緒先生の『思い、思われ、ふり、ふられ』だ。
ここではないどこかに行けば、きっと今の悩みからは解放される、そう考えていたけど、そんな都合の良い「どこか」なんて存在しないんだ、という場面。
だから、もうパラレルワールドの「私」に、「どこか」へ連れていってもらおうなんて考えはやめよう。
今の私が、幸せをつかむんだ。