未婚率の上昇や少子化についての私見
このところ、子育て関連のことを書いています。
近年、未婚率が上昇し少子化が進んでいると言われています。そこで、私見を書くことにしました。
未婚率上昇や少子化は経済的な理由?
未婚率上昇や少子化は経済的な理由が挙げられることが多く、様々な支援が登場しました。
しかし、未婚率も少子化も進むばかりな気がしています。
支援が追いついていないということが言われて、確かに、子どもを大学まで入れたいと思えば、経済的にゆとりは無いと感じますが、私が子ども時代よりも支援は厚くなったように感じます。
未婚率上昇や少子化は、経済的な理由も確かに存在するとは思うのですが、本当にそれだけでしょうか?
私はむしろ、社会的背景が未婚率上昇や少子化を進めていると感じています。
卒業
子育ての卒業
たまに『子育て終えました』という話題を耳にしますが、子育ての卒業はいつでしょうか?
成人したとか、経済的な支援をする責任が一般的に無くなっただけで、子育てはいったいどこが終わりと言えるのか私にはわかりません。
成人したら、子どもが就職したら、子育て終了と、仮に定義されたとしても、何らかの責任は残っていくからです。
家族に卒業は無い
例えば、子どもが成長し、物理的に家を出るということはできても、家族であることは変わりありません。家族でいる以上、家族は家族が困ったときに支える義務が残ります。
例えば、子どもが手術をするような場合、子どもが未婚の場合、親に同意書のサインが求められます。
また、親が高齢となり、介護が必要になれば、子どもは面倒を見なければならない場合があります。
また、例え疎遠にしていたとしても、財産を残せば、それを相続する権利もあります。
お互い、それれを回避したいと思っても、特別な事情が無い場合は、回避できないのが現状となっているようです。
要するには、家族は卒業ができないのです。
責任も負担もしんどい
結婚すると、次に来るのが子どものことです。
自分とは違う、『個』をおもった通りに育てていくことは困難です。
また、大切な我が子に、親の面倒を見る義務を残すのも忍びない気がします。
結局のところ、子どもに対し、責任もある一方で、高齢になれば負担になる心配も抱え、どちらもしんどいものだと感じるようになりました。
しつけもしにくい昨今
『産んでくれた、育ててくれた親だから、家族だから』大切にして当たり前という時代ではなくなってしまった気がしています。
しつけのつもりでも、子どもの感じ方によっては、イマドキは虐待とされることも増えました。
これは社会でもどうようです。○○ハラスメントとさえることが増えましたね。
当然、過度な場合は問題なのですが、少し行き過ぎている部分があるように感じます。
しかし、現状は、家庭では子どもの意見を聞き、肯定することが推奨され、社会でも、ソフトに対応することが求められています。
お互いそれでもうまくいくときには良いのですが、そうもいきませんね。
その時になりが起こるのでしょう?
最後に
私は若い頃、考えが浅かったから、結婚し、子どもも設けてしまったのかもしれませんが、孫が生まれても良いような年齢になってみて、子どもは生まれた時に、親という大きな荷物を持って生きなければいけないことに気がつきました。
生命の営みで、子育てや介護は順番なのだという理解もあると思いますが、近年、『個』を大切にする社会で、子どもには『親』という存在は負担でしかないだろうということを考えるわけです。
また反対側からは、子どもがどこかに迷惑をかけるようなことがあったとき、『しつけが悪かった』と思うことがあるとおもうのです。その時、『強くしからなかったこと』や『肯定してきたこと』を後悔するかもしれません。しかし、現代社会では、しつけがともてしにくい社会です。
責任があるのに、責任が無い人と同じ対応が親などの保護者にも求めらえる現在、人とのかかわりを最小限に、次世代につながないことが安全になりつつあると感じています。
その結果、未婚率の上昇や少子化は必然となっているのではないかと、悲しくなっています。