一定の親は、現代の背景から毒親になるしかないのでは?
はじめに
近年、いやかなり前から、『毒親』という言葉が使われるようになりました。
確かに、『この親はそうだよ』という場合もありますが、最近の傾向はいきすぎな気がしています。
そこで、今日はこの辺りを書いてみることにしました。
毒親とは
ウィキペディアによれば、
『毒親(どくおや、英: toxic parents)は、毒になる親の略で、毒と比喩されるような悪影響を子供に及ぼす親、子どもが厄介と感じるような親を指す俗的概念である。1989年にスーザン・フォワード(Susan Forward)が作った言葉である。』
と紹介されています。
引用元:ウィキペディア 『毒親』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%92%E8%A6%AA
責任はすべて親
日本では、責任はすべて親にあります。
だからこそ、親は子どもをしっかり育てようと努力すると思うのです。
しかし、近年は、少し厳しくすれば全て毒親の傾向とされるようです。
ほったらかしで自立する?
人は、誰かから教わりながら成長していきます。
それは、しっかりと形のある教育の場という場合もあれば、日ごろの生活から感じ取ってもらう場合もあります。
また、友人や知人、社会から学ぶこともあるわけです。
しかし、細かいところは、うまく伝わらないこともあり、どこか厳しさを伴い教えていかなければならない場面もあるのです。
親が何も言わなくても、厳しく言う機会が一度も無くても、自立できる人もいるかもしれませんが、若いうちに周りから読み取っていくことはなかなか難しく、親は多少なり、悪者になるしかないのではないでしょうか?
成人するために試験は無い
『18歳成人にした意味に疑問しかない。成人年齢は、むしろ引き上げるべきでは?』先日書いた記事です。
18歳での自立を促すのであれば、そのための教育が必要ですが、そうした機会はなく、子どもは強制的に大人になるしかない状況となっているのが現状です。
毒親の整理が必要
子どもに対して『毒になる親』にも種類があると思うのです。
ネグレストや家庭内暴力は、場合によっては命に係わるわけです。
しかし、過干渉では、状況に応じては、子どもの側からも都合が良い場合もありますし、親を毒親というには乱暴すぎる場合もあると思うのです。
過干渉や、言動が厳しい親のケースであれば、子どもの受け止め方でも変わります。
よって、何でも毒親と一括りにせずに、整理をする必要を感じています。
最後に
何度も書いていますが、親は子に責任があります。世間はやさしく語り掛けてくれますが、支援が中途半端な場合もありますし、支援施設や支援者に、別の意図が隠れている場合もあります。
現状の毒親のチェックリストなど見れば、誰でも毒親を心配するようなチェック項目が並んでいます。親がこのチェックリストを見れば、親は委縮してしまうでしょうし、子どもが見れば、自らも毒親になるかもしれないと、親になることを望まない子どもが増えるのではないかと心配です。
人ですから、誰もが望みどおりに生きていくことはできず、多少、親に厳しいことを言われながら、世間の荒波に出ていく準備をすることが必要なのではないでしょうか?