教育虐待が起こる背景とそれによる影響

近年、家庭内外さまざまな子どもへの虐待問題が取り上げられるようになりました。

小さな子供が養育者により、命を奪われたり、脅かされてきたというニュースを見るたびに、心が痛みます。

虐待の理由として、「しつけのため」であったり、「将来のための教育」ということが、加害者から発せられることが多いですね。


そこで、あくまでも私見となりますが、教育虐待が起こる背景とそれによる影響について、私が思うところを書いてみたいと思いました。

しかし、誰にも誤解を生まずに書くことはなかなか難しいかと思いタイプを止めることにしました。

それでも少しだけ書いておきたいと思います。

日本の現状から、度が過ぎてはいけませんが、教育熱は必然ですね。もしも、教育虐待にならないようにと保護者が何も口を出さなければ、もっとよく考えて導いてほしかったとなる(いわゆる情報格差)でしょう。

保護者が期待したような成績が取れない、志望校に合格できなかったことなどを理由に、暴力や食事や生活の制限などを行うことは絶対にあってはいけませんが、自分の思い描いた通りの人生を、誰もが生きられる世界なら良いですが、うまくいかないこともあります。親がそれを全てフォローできれば良いですが、現実には難しいですね。そこで、親だから厳しいことを言わなければなら場面がどうしてもあるということす。

教育虐待の問題が取り上げられると、子は親から生まれてくるとはいえ別人格であり、子どもの立場、親の立場それぞれの立場を尊重し、現代社会での子育てに向き合おうとすれば、少子化は必然だと感じずにはいられないですね。あくまでも、私見です。


読んでいて気持ちの良いお話では無かったと思いますが、最後までお読みいただきありがとうございました。



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