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いつかは琥珀かオパールか。もし叶うなら、水光になれたなら。それは不可侵の幸福であると思う。

ハローハロー。拝啓、皆様ごきげんよう。
 急な気温の変化の他、気候も不安定で中々落ち着かぬ日々が続きますね。皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 俺は中々何とか、先日の闇へ堕ちかけしながらも、ひいこらと言いながら生にしがみついて生きています。

 さて、休日。それも三連休の昼間。何か生産性のある行動を取りたくなるものです。生産性なぞなくとも、何でも良いからとにかく取りあえず動きたい。
 そう頭では思いながらも、温くて柔らかに抱き込めて離さないでいてくれる布団へ甘えて包まりいる今ですが、画面の向こうの皆さんは一体どうでしょう。

 よろしければ休憩ついでにお隣いらっしゃいますか。お体を労ろうのもまた必要なことでございます。
直訳をしますと、つまり皆さん方も共犯者になりませんか?と、いうことです。

 俺のことを否定も肯定もせず、ただ純粋に存在していることを許されているような気になる。布団というものは、いつまでもここへ甘んじていたいものだ。と思わせる、なんとも恐ろしいものです。
 しかし現実に戻らなくてはならない。現実は厳しいが、だからといって時計の針も止まってはくれないのです。

……と、落とし所を見失いつつ良い感じに納めたつもりになったものの、俺はこう綴る中。一切布団から出ること無く、なんなら掛けていた眼鏡も外して完全に寝入るようなゆるゆるとした体勢で書いています。
 これを読んでくださってる皆さんもダル~ッとした楽な体勢、楽なスタンスでこの文章を受け取ってくださいな。


 俺には不変の願いがある。
『綺麗な人間になりたい。叶うならば水光のような人間に。』
というような願いだ。

 綺麗な人間になりたいのだ。または、美しい人間に。美しい、うつくしい人間に。
 綺麗な男、綺麗な女、美しい男、美しい女になりたいのか。と聞かれれば忽ちと速やかに答えられる。ノーであると。

 ただ、綺麗な、美しい人間になりたいのだ。うつくしい人間に。人間にある性別の観念など超越したような綺麗な存在になりたいのだ。この際、美しさは不必要かもしれない。綺麗な存在になりたい。
 言葉に例え表すならば、この世で決してなることなど叶わぬだろう自然美に。水光などになりたい。あくまでも、人間の規範から外れることなどは叶わないから、願うならば水光のような人間に。

 振り返ってみれば、いつだって俺の思う美しさは人ではなく無生物に向けられることが多かったように思う。
 花や星々や音楽。
人へ向いたと思えば、女優や俳優よりも絵画や石像、アニメや漫画の2次元キャラ。そこに生の無い人間。無生物。
 いつか俺が心を震わせた。否、震わせ続けている無生物的な美、生の存在し得ない美しさに今も捕らわれ、離されずにいる。
 と、まぁそう考えれば昔からの地続きである今の俺が水光に憧れるのもまた、順当だろう。

 生物が嫌いな訳でも美しく無いわけでもない。花は生物であるし、他好む海洋生物などもれっきとした生き物だ。生きている。なにより美しい。
 いつか人間は醜く愚かだと吐露したが、それでも俺は人間を美しいとも思っている。

 長々と様々なことを、つらつらと書いたが簡単に言ってしまえばそうだ。
生きているものは皆美しいが、その中でも特に無生物的な、人間である限り絶対に叶わぬ水光などの自然に存在する美に憧れている。

 水光の他、何か良いものはあるかと色々と考えてみたが、そうだな。オパールや琥珀。叶うならば、あれらもまた良い。
 オパールの、角度によって表情を大きく変え、石によっても大きく変わる、小さな宇宙を内包したかのような美しさ。
 琥珀の、蜂蜜をコトコト煮詰めたような甘い艶やかな煌めき。
憧れるのは、この身に余る分不相応の願いだろうか。

 でも、もしかしたら水光になることよりは現実的な願いかもしれない。
 聞いた所によるとオパールは、例えその身が泥の中であっても……否、泥の中だからこそ、なれるらしい。どれほどの確率か、他にどのような条件があるのか必要なのかも知れぬが、そこに土と水分とケイ素があるとオパールになれる可能性があるらしい。
 泥の中にある身から、数万年、数百万年の年月の後、美しく輝くオパールへとなる。なんとも夢溢れ、ロマン溢れる話じゃないか。
 または琥珀。琥珀はオパールの成り立ちよりはポピュラーなのではなかろうか。ケイ素だとか難しいものは必要ない。数百万年先まで樹脂に触れていれば良い。
 そう。琥珀とは、一言で言えば樹脂の化石である。
樹脂に混じって年月を過ごしてしまえば。長い年月の後、その己の身の混じった樹脂が化石になってしまえば。そうしたならば、数百万年後には甘く煌めく琥珀になれる。自然の中に存在している奇跡の結晶に。
 恐竜の化石に溢れる世界だ。そう考えれば樹脂の化石になることは幾分あり得る未来に思えないだろうか。

 どんな身の上だろうと、どんな人間だろうと、どんな姿であろうと、どんな場所であろうとも。数万年か数百万年過ぎれば誰かの宝玉だ。

 琥珀かオパールか。もし叶うなら、水光になれたなら。それは不可侵の幸福であると思う。
 しかし。いつか水光そのものにはなれずとも。今は琥珀やオパールにはなれずとも。俺に希望と共に射したあの光のようにはなれずとも。

 いつか誰かにとっての水光になれる日がくれば。それはまた、それも素敵なものだと思える。思うことができる。そう信じている。


拝啓あなた。これをお読みくださっているあなた。
どうかあなたの元へも美しい陽射しが水光が。陽光が。
辛い日々の先を照る陽光がありますことを。心より願っております。
どうぞ、どうか良き1日を。


美味しい何かや気になる本など、やりきれない日を支えてくれる糧となります。