“自分に誇りを持つ”って何だ?
きっと答えなんてない。
それを前提に考えたいと思って今回の題とする。
最近研修を受けて、
「自分の価値を決めるのは自分」
ということに衝撃を受けた。
確かにそうだよな、と。
自分の限界も、自分のすることも、
自分の仕事も、自分の食べるものも、自分の考え方も。
そこから自分の価値を自分でつくって決めている。
「あ、私にはこれくらいの仕事しか難しいだろうな」
「これくらいのことまでならできる」
「この私には別にこんな食事でもいいだろう」
とか諸々。
でも最近思うことがある。
誇りを持ちすぎると弊害があるのではないか?と。
例えば、
「こんな仕事自分がやる仕事じゃない!」
って思って一生仕事を見つけられない、
やっている人に対して偏見が生まれてくる、とか。
誇りを持つって心が大切ではあるけど、
結局持つだけじゃなくて行動が伴っているかどうか。
また、今の自分自身を客観的に見れているかどうか。
今の自分のできるところ、できないところ、
伸ばしたいところがきちんとわかっているかどうか。
誇りを持ちすぎているだけじゃ私の中ではモヤモヤする。
誇りに値するだけのことできているのかな?って。
誇りの強さとそれに伴う行動
両方のバランスが大事なような気がする。
でもそれは自分を無条件で愛する自己愛ではなく、
自分の経験から基づく自己概念になるのか?
無条件で自分には価値がある、自分にとって自分は誇りだ!
って思うことは何も悪くないし、
むしろそう思えていた方がハッピーだよね。
でもそのために行動は大切になってくるんだよな。
んーーーーなんだか思考がまとまらん!!!!
あ、こういうことか?
想いが先、行動はその価値分!!
っていうのが私にとってしっくりくるかも。
自分には価値がある!
だからこそこれをやろう!
自分にこんな経験をさせてあげよう!
みたいな。
なるほどな。
そう考えると今の私は、
誇りが持ててきた!と思っているけど
まだまだだね~!のビギナー状態ってことか。
もしくは誇りの重量結構あるけど、
それをビビッてしまって行動に移せてない心に監禁タイプか。
私の人生、このままでいいの?
この会社で本当にいいの?
素直に自信がない。
失敗してそこから怖くて動けない。
心に声を傾けるといろんな私が語りかけてくれる。
今のところビビりマンが大量発生してますね。
私だからこそ歩める人生があるって思ってるけど、
果たしてそうなのか?
そう生きることの方が大変だし、そう考える方が苦しい。
あたりを見渡せばそう生きていない人の方が断然多い。
もう何も考えないで生きていた方が、諦めた方が楽じゃないか?
めっちゃくちゃ思う。
正直日々その葛藤してる。
理想を追い求めるか、目の前のことだけ考えて生きるか。
未来ってなんだ、キャリアってなんだ。
未来のことを考えれば考えるほど
自分の選択肢に自信が持てないし、
辛い、苦しいなって思ってしまう。
生きるって選択肢が多くて選ぶことに苦労する。
選ぶことが楽しい!って思えるようになりたい。
未来に対してワクワク!を取り戻したい。
まだまだ書き足りないし、
言語化できてない部分が多すぎてモヤってるけど、
いったん終了!
また気持ちを書きにこよう。