ホセ・ムヒカに学ぶシンプリズム
「ホセ・ムヒカ」をご存知ですか?わたしは、ついこの間、その存在を知りました(笑)。
ウルグアイの元大統領で、自分の給料の多くを寄付したり、大統領用の豪華な家に住むことを拒否したり。古い車を愛し、愛する妻とともに農作業して暮らす。
そんなライフスタイルや考え方が人気のようです。
日本では「世界一貧しい大統領」として知られるようですが、下記の対談の冒頭で、池上さんが「世界一豊かな大統領」と表現していて、その表現のほうがしっくり来るな〜と思いました。
だって、ムヒカさん本人は、貧しいだなんて思っていないんだから。
少しだけムヒカさんの演説動画を見ると、とてもゆっくり、かつシンプルなスペイン語で話されていて、スペイン語学習者のわたしにとっては「彼の言葉をスペイン語で知りたい!」と思うようになりました(おかえり!わたしの学習意欲!!笑)。
下のブログはとても分かりやすく、参考にさせていただきました。
ごく一部ですが、気に入った言葉を抜粋いたします☻
少ないもので幸せに
わたしなりの解釈は、「私は『少ない物で幸せになれないのなら、物がたくさんあったとしても幸せになることはできない』ということを学んだ」。
この気づきは、トイレもない、まともな食事も与えてもらえない酷い獄中生活の中で生まれたものだそうです。
今、日本ではミニマリズムが流行っていて、私もミニマリストやシンプリストの記事を興味深く読んでいます。
なぜ流行るのか?そこには「より幸せになりたい」という、とてもシンプルな望みがあるからなのかもしれません。
わたしにとっては「当たり前」のこと
わたしなりの解釈は
「なぜ世界は私に注目しているんだい?目新しいから?だとしたら、この世はクレイジーだね。だって、当たり前の感覚に驚かされているだけだからさ。」
ふー、なるほど〜。彼にとって、シンプル、ミニマルに生きることはとても「当たり前」のことなんですね。
彼だけでなく、消費社会以前の人間は、ムヒカさんのような価値観で生きていたのでしょう。
なぜ彼に注目するのか。
それは、彼への憧れなのではないでしょうか?みんなが彼のような生き方をしたいと思っているから。
そして、彼のような人に上に立って欲しいと願っているから。
物に自由を奪われないために
わたし的解釈は
「わたしは貧しいのではない。わたしは、物に自由を奪われないために、質素に、荷物を軽くしているだけなんだ。」
物があることは豊かなのかもしれないし、物のありがたみを感じることもたくさんあります。
だけど、その物に支配されては、本末転倒!
自分が選び取る、その意思を忘れてはいけない。
最近は、ミニマリストを否定するような考え方も出てきました。物が少ないのが心地よい人もいる、というだけ。人それぞれの「適量」があるのです。
もし、減らすことに支配されているのなら、それもまた本末転倒。幸せからは遠ざかってしまいます。
ひとりひとりが、物や思考への執着を手放し、自ら選ぶ権利を取り戻せた時。物に幸せにしてもらうことをやめた時。
世の中はきっと平和になるのでしょうね。
ムヒカさんは獄中生活の中で、唯一の楽しみとして許された読書から、多くのことを学んでいます。
そして、自分の考えは特別ではなく、紀元前の考え方もベースにしている、とも話されていました。
ここ最近、わたしが感じている「誰が言うかは重要ではない」という感覚。
ムヒカさんの言葉を通して、人間の本質や大切にすべきことは昔も今もとてもシンプルなはず、と確信しました。
ムヒカさんの妻も「この人は特別な人なのではない。シンプルに表現するのが上手だから、広く人に伝わるんだ。」というニュアンスで話されていて、これが表現者の本質だな、と強く感じました。
よりシンプルな感覚と言葉にすること。
わたし自身、まだまだ探求していきたいです☺︎