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海外で出産した娘(後半)
実家で楽しく暮らしていた私でしたが、
片道の航空券を手に、
彼の元へ帰る日が来てしまいました。
空港での母や姉妹との別れが辛かったのですが、
ふと、母がホッとしてるような表情を見せていることに
気がつきました。
母子共に無事に何事もなく、
送り出すことが、
母の務めだと、母が気遣っていたのかもしれません。
母に気苦労をさせて、申し訳ないような気持ちになり、
これでやっと母がそのことから解放されて、
通常の生活に戻れると思うと、
やっぱり彼(夫)の元に帰ることが正解だったと
確信したのでした。
彼(夫)の家に戻ると、
結婚式の準備に追われました。
お腹が大きくなる前に結婚式をした方がいいと言われ、
戻って2ヶ月後に結婚式を挙げました。
母や私側の家族は誰も参加できなかったので、
彼の家族と友達合わせて10人の小さな結婚式でした。
初めて行った産院で、
赤ちゃんの心音を聞いた時、
涙が流れました。
本当に、私のお腹の中にいるのだと感激しました。
妊娠後期に、
医師から、お腹の赤ちゃんに思うような成長が
見られないことを指摘され、
毎週、産院に通うことになりました。
産院に行く度に、
インド系、ヨーロッパ系など、
違う医師が診察して、
指摘することもコロコロ変わるので、
信用できなくなり、
とても不安を感じました。
そして、
地域性のこともあり、
あまり私のようなアジア人妊婦を診察したことがない医師ばかりだったので、
医師達も私をどう扱えばいいのか、
わからないようでした。
胎児の頭の成長とお腹の成長に相違があり、
不安要素がある。
今、赤ちゃんを取り出した方が安全と言われ、
出産予定の二週間前に、陣痛促進剤での出産を
勧められました。
今、産んでも、二週間後でも、変わらないからと
医師から言われ、
夫と相談して、赤ちゃんにリスクがあるなら、
今、産もうという決断をしました。
娘の出産は、こちらに戻ってきた5ヶ月後でした。
計画出産なので、入院して、
陣痛促進剤が投入され、
何もないまま、1日が過ぎ、
そして、2回目の陣痛促進剤が投入されても、
何もなかったので、
夜になり、夫が家に帰ってしまいました。
慣れない土地での陣痛は、
夫が帰った2時間後に襲ってきました。
死ぬほどの辛さで、
ブザーを押してもなかなか誰も来てくれません。
廊下に出て、
看護師を必死に探しました。
真夜中の病院は、ひっそりとしていて、
私だけが一人そこに残されたかのように、
とても不安な気持ちになりました。
そして、何度も押し寄せる陣痛を堪えながら、
一人廊下を歩き続けました。
ようやく、産院のスタッフが通りかかり、
私に気がつくと、
急いで車椅子を持ってきて、
くれました。
私は、廊下で破水しました。
産室にそのまま連れて行かれ、
かなり年配の助産師が後から入ってきました。
診察して、まだまだ時間がかかるようだね、と言われました。
産室の中には、ラジオがあるようで、
音楽が聞こえました。
助産婦は、私に背を向け、
机に向かって何かをしているのが見えました。
押し寄せる激しい陣痛に少しずつ慣れてきて、
だんだんと産みたい感覚になってきました。
いきんでもいいですか?
助産婦に聞くと、助産婦は振り向き、
私の方を見て、
いいけれど、あんたの夫が来るまで待ってたら?と話したら、
また、背を向けました。
私がもし今、いきんでしまったら、
赤ちゃんが飛び出して、受け止める人がいなくて、
大変なことになってしまう、と思い、
必死に堪えました。
いきみたいピークを超えて、
しばらく経った後に、夫が産室に入ってきました。
背を向けていた助産婦が私の側に寄り、
いきんでいいよ、と言いましたが、
ピークが過ぎたので、
いきむ力が残っていません。
赤ちゃんの心拍数がどんどん低下していき、
医師を呼んでくると
言われました。
遠くから、口笛を吹いたあの医師が
近づいてくるのが聞こえました。
見た目がエディマーフィのようで、
お調子者でアバウトな感じがする医師だったので、
この人だけには絶対に嫌!
その前に産む、と即座に決めて
いきんだら、娘が生まれました。
その娘が今月、22歳になりました。