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耳に沁む #旬杯
ずいぶん前になりますが、これでもはははさんと漫画のお話をしたつながりで、幸年吉日サークルの短歌か俳句の時に「みん杯」さんへのお誘いをいただいたことがあります。
俳句も短歌も苦手な私には無理、と今まで一度も参加させていただいたことがないのですが、今回、この「旬杯」が最後と聞き、うーん、一度だけでも参加だけでも、しておきたいなと思いました。
お作法も何もわかりませんが、短歌で参加させていただきます。
7月25日 20時までだそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1690167010178-UO3r2N12Ib.png?width=1200)
蝉は長い間土の中で暮らします。
暮らすといっても樹液を吸って成長しているだけなので文字通り餌を求めて動き回るような「活動」はどうやらないようです。
ひとたび外に出て繁殖活動をしたら、最期の時を迎えます。
再び土の中に帰っていくことはありません。
今だ、と思い定めて出てくるのですね。誰に聞くでもなく。
長い間土の中で過ごし、地上での命が短いため、地中の蝉は「長い下積み生活」にも喩えられたりします。
もうすぐ誕生日を迎える私もいよいよ50半ばになろうとしています。にもかかわらずまだどこかで「下積み」感があります。子供がこれから社会に出て行こうというのにおかしいですが、自分の人生が本番を迎えている、あるいは盛りを過ぎそろそろ去り際を考える時期という気概がどうも足りないようです。
「下積み」は、陽の目を見るまでの長い年月。でもその年月の間に、確かなものを積み上げられているかどうか。
自分はほんとに物を知らない、と日々痛感します。
地表に出てひと夏を越えることのできない蝉と違って、毎年いろんなことを学んでいるはずなのに、少しも賢くなっている気がしません。失敗だけが積み重なり、小さな成功があっても覆い隠されて、時に呆然とするのです。
また夏が来てまたひとつ年を取ります。
猛暑の中、蝉の声もひときわ大きく聞こえます。