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Fan letter 14 乾いた郷愁と物語を降らせる雨☆スピッツ

 流れ星、と聞くと、スピッツの『流れ星』を思い出します。
 エレカシの『流れ星のような人生』も同時に思い出すのですが、やっぱり私の中では「流れ星」と言えばスピッツが優勢です。エレカシとミヤジファンの皆様、すみません。宮本さんといえば、以前「はてな」ブログに記事を書きました。『流れ星のような人生』は出てきません・・・

 流れ星 流れ星
 すぐに消えちゃう君が好きで
 流れ星 流れ星
 本当の神様が 
 同じ顔で僕の窓辺に現れても

スピッツ『流れ星』
音と歌詞が強く結びついている感じ

 スピッツは、私にとって雨のような存在です。

 雨はいろんな降り方をします。日本語は豊かで、雨を表す単語はそれこそ雨粒ほど、星粒ほどあって―――小雨、春雨、秋雨、驟雨、五月雨、小ぬか雨、時雨、半夏雨、慈雨、夕立、桜雨、涙雨、霧雨、狐の嫁入り、やらず雨、通り雨、氷雨・・・きりがない。スピッツはそんなふうに私に降ってきます。

 さっと降って上がったり、今来ている台風のように長雨のように居座ったり。集中豪雨のように篠突く雨となって降り注ぐことも。

 でも止むのです。聴かないときはさっぱり聴きません。だからファン、ではないのです。私にとってスピッツは、気象現象のようにあたりまえで気まぐれ。

 一番最初に聴いたスピッツの曲は『ロビンソン』。
 1995年。覚えているのは、ちょうど結婚した年だったからです。

 インディーズで活躍していたスピッツのメジャーデビューは1991年なのですね。2021年が30周年、と言っていました。

 そういえば、私も来年、結婚して30年です。
 30周年は真珠婚式ですね。
 あ。やべ。25年で銀婚でしたが、すっとばしました。

#なんのはなしですか
#どうでもいいか

 『ロビンソン』に関しては、「ゲスの極み乙女。」の川谷絵音さんが「亡くなった彼女を追った歌なのでは」と考察されたりしているようです。それについてマサムネさんが何と言っているかはわかりません。

 私自身は初めて聴いた時、なんて懐かしい曲なんだと思いました。初めて聴いたのに。音楽が懐メロ風ということはなく、むしろ新しい音。にもかかわらず「懐かしい」と感じて惹きつけられました。歌詞をよく聴いて、強い想像力を喚起する小説のような歌詞に、さらに曲の世界に引きずり込まれ、何度も繰り返し聴いてしまいました。

 私が『ロビンソン』を聴いたころにはすでにデビューして4年経っていたスピッツ。遡ってアルバムを聴くことなく、『ロビンソン』を収録したアルバム『空の飛び方』から聴き始めました。
 そしてそこで「青い車」に出会いました。

 「青い車」は(一見)爽やかな曲です。

 君の青い車で海へ行こう
 おいて来た何かを見に行こう
 もう何も恐れないよ

 これを聴いた時、なぜかひとつの物語が降りてきました。
 その時書いたのが私の短編集『白熊と光』にはいっている「青い車」です。幸運なことに、ピリカさんから朗読してもらっています。

 ピリカさん、よくぞこの長いお話を朗読してくださった、と今も感謝でいっぱいです。30年も前に書いたお話が、30年後に自作の文庫本になり、それを読んだ人から朗読してもらい、多くの方に聴いていただけるなんて、誰が想像したでしょう。想像を絶する未来とはこのことです。

 きっと想像した以上に
 騒がしい未来が僕を待ってる

『チェリー』より
確かに待ってました

 どんなお話かは、良かったら『白熊と光』を読んでいただくか、すまスパの朗読を聴いていただければと思います。

 歌を聴いて、物語ができる。
 こういう経験は、そこまで多くありませんし、こんな風にタイトルからしてそのまんまの物語ができたのは初めてで最後です。

 こうまではっきりくっきりとした姿を取らないまでも、スピッツの歌にはとの歌にも「物語」があって、その「物語」が心に降り注ぐのかもしれない、と思います。雨のように。そして何となく懐かしいような寂しいような気持ちになってそれが心を潤すのです。

 草野マサムネさんの歌詞は童話のような隠喩や暗喩が多いのに、どういうわけかまっすぐに心に届く気がします。草野さんが詩人、詩的、文学的と言われるゆえんだと思います。

 以前、海人さんが正岡子規の最後の句と漢詩について書かれた記事へのコメントに私は、正岡子規の最後の漢詩には「乾いた諦念」があるような気がすると書きました。

 草野マサムネさんの声には「乾いた郷愁」を感じます。 
 人生何周目かのようなどこか突き放した「なつかしさ」のある声。喜びも悲しみも憎しみも苦しみもみんな愛おしいね、みたいな感情を、宇宙の片隅で美しい絵本やアルバムでみているみたいな。どこか遠く、天の上から聞こえてくるような感じ。

 歌詞には、さっき「詩や文学」、と言いましたが、宮沢賢治を感じる方も多くいらっしゃるようです。たとえば『流れ星』に出てくる、「すぐに消えちゃう君が好き」「本当の神様が同じ顔で僕の窓辺に現れても」という歌詞も、魂や命を光の明滅、現象として描いた宮沢賢治の詩の世界とどこか通じているような気がします。

 草野さんが”自分は「死」と「性」しか書かない”、とおっしゃっているのは有名ですが、草野さんの「死」も「性」も、決してそのままの形で直接歌詞になることはなく、「あれ?これって、そういうこと?」と思わせる、絶妙な言葉選びが素晴らしいと思います。
『流れ星』の中の歌詞「君の心の中に住むムカデにかみつかれた日」にも性と死(毒)のイメージが絡んでいます。

 対比する意味を持つ言葉の組み合わせも多い気がします。大きさ、色、心象。それもひとつひとつはファンタジックだったり爽やかだったりと、じめじめしていない乾燥した感じをもつ言葉の組み合わせ。その言葉によって暗示されたイメージが姿を変え、心に降る慈雨になるなんてとても不思議です。
 頭の中に映像が浮かび、雪が桜に、アニメーションのように自在に変化していく感じ。そういえば『優しいあの子』はアニメーターが主人公の朝ドラの主題歌でした。
 なるほど「変換」こそがスピッツの持ち味なのかなと思ったりします。

 いやいや。これ以上、余計な考察なんてやめましょう。

 スピッツの曲ではほかにも好きな曲が色々ありますが、『点と点』がとても好きです。もしかしたら一番好きな曲かもしれません。『点と点』が好きな人なんて聞いたことがないので、もしこれを読んで自分も好き!と言う方がいたら教えていただきたいです。
 とくに、

 ナイルのほとりにいた
 前世からの鼻歌
 やっと気付いてくれた
 ふりむいて笑いました
 まっすぐに君を見る
 ナナメの風ん中
 どうでもいいことなんて無くなる

 というところがなんか滅多やたらに好きです。
 ナイルにいた記憶をくすぐられるからでしょうか。笑
 もう踏み出したらヤバいギリギリなのに、もう踏み出すことは決まってる。好きになっちゃいけない人なのにメチャクチャ好きになっちゃったんですね。一緒に行っちゃいけないのにその人に一緒にいこうよって言われるんですよ。業。カルマですね。そういう危うさがたまりません。

 どうしても初期の歌が多くなりますが『渚』も好きです。
 『猫になりたい』『猫ちぐら』など猫関係の歌も好き。

 割と最近で言えば『紫の夜を越えて』はインターステラーみたいで好きです。

 『流れ星』から少し遠くに来てしまいました。
 シロクマ文芸部さんのお題のおかげで、今日はスピッツ祭りになりそうです。

#シロクマ文芸部



 とても久しぶりの「シロクマ文芸部」への参加になります。
 小牧部長、よろしくお願いします。




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