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こころ

 ご自愛まつり、第三弾。
 今日は「心の整理整頓でご自愛」がテーマ。


 薄明光線はくめいこうせん、というらしいです。

 雲の切れ間から太陽光が帯状に伸びて見える自然現象。

 私、これが好きなのです。
 きれいだな、と思います。

 チンダル現象のひとつらしいですが、チンダル現象がわかりやすく説明されている文章にお目にかかったことがありません。

 コロイド粒子に光が当たると、光が散乱して光の道筋が明るく見える。
 この現象をチンダル現象という

わかったような、わからないような
そもそもコロイド粒子がわからないとわからない説明

 英語ではcrepuscular rays(発音できません)。

 キリスト教圏では「ヤコブの梯子ジェイコブスラダー」ともいうらしいです。旧約聖書に出て来るヤコブの話が元ネタとなっています。

 兄を出し抜いて長子の特権を得たヤコブは、兄エサウの反感を買い、逃げる途中で野宿した時、夢を見ます。天に続く階段を天使が上り下りしている夢で、彼はそこに神の存在を感じ、信仰と出会います。

 その夢から「天使の梯子」「天使の階段」、ともいうらしいです。
 様々な画家が絵画のモチーフとして取り上げています。
 なにやらホラー映画のタイトルにもなっているようです。

 気のせいか神はいつも兄より弟が好きな気がするのですが、そんなことありませんか。笑

 実際、そのまんまの「ゴッドレイ(神の光)」という名称もあるようです。

 レンブラントが好んで描いたので、レンブラント光線ともいわれますし、日本語では「光芒」という呼び方も。
 『フランダースの犬』のパトラッシュとネロのあのシーンを思い浮かべてしまう人も多いかもしれませんね。

 スピリチュアルの世界でも「吉兆」とされているようです。

 好き嫌いが分かれるスピリチュアルですが、5年前、10年前と比べると、社会の「受け入れ方」が変わって来たと感じます。

 昨今の状況を見聞きするに、心になんらかの問題を抱えたとき、避けて通れないものになっているとも思います。

 有意義で自分の糧や救いとなるものもありますが、この世には手を変え品を変え、誰かの弱みにつけこむ人々も少なからずいて、宗教と信仰と迷信と洗脳と脅迫と治療をごちゃごちゃにしたり、お金儲けの手段にする人もいます。

 見極めが肝心だと常々感じます。

 私はスピリチュアルが嫌いではなくむしろ好もしく思っていますが、闇雲に傾倒しないし、宗教を信仰もしません。

 でもスピリチュアルもいいよねというと少々勘違いされることも少なくありません。それこそ、宗教とどこがちがうの、とか。

 玉石混交の中、スッキリさせる手段はないかなと思っていたところ、整理収納アドバイザーの井田典子さんの本を友人のサツキさんに教えてもらってから、これだ!と思うようになりました。

 井田さんは整理整頓に「だわへし」を提唱しています。

 だ 出す
 わ 分ける
 へ 減らす
 し しまう

 収納に関してはこんまりさんなど多くの方がいろいろな方法を提唱していますが、井田さんの「だわへし」を知った時は、「これはすごい、あらゆることに応用できる」と思いました。
 特に、雑多に提供される世の中の情報について、この原則は有益だと思いました。

 中でも「わける」が重要で、ものごとを「わける」には冷静な心と学びが必要です。

 たとえば、ひとくちに宗教と言っても、一神教から多神教からさまざまで、宗派ひとつひとつが違います。

 絵画などの芸術分野や文学作品に接するときに必要な知識でもありますし、海外の方と接するときにその方の国の宗教のことは知っていたほうがいいこともあります。

「わける」ができれば、様々なことを混同することがなくなると思います。そこで初めて、「減らす(選び取る)」ことができるように思います。

「しまう」かどうかは、その人次第。
 必要なければどれも選ばない、という選択肢だってあります。

 闇雲に恐れて敬遠したり嫌悪したりする前に、まず何があるかを知る(「出す」)ことも、とても大事だと思います。

 私は観音様をお参りしますが、観音様を信仰しているわけではありません。仏教に帰依しているわけでもありません。

 どんな気持ちでお参りをしているかというと、例えば観音様なら、観音様がうまれた歴史に畏敬の念をもって参拝します。
 人生を精一杯生きた過去の人々のたくさんの「心」「思い」「願い」が寄せられて、観音様というイメージや概念、姿かたちをかたどった絵や像が生まれ、それを大切にした人がいたからこそ、後の世に受け継がれてきたのだと思います。
 彼らの信心を尊重し、彼らの人生があったから今の私たちがあることに感謝する、そんな気持ちでお参りをします。

 そしてスピリチュアルには、自分と向き合うための、大切なエッセンスがあると思っています。宇宙におおいなる力を感じ、自分の内面をみつめる感受性は、人生を豊かにすると思います。
 自分だけでなんとかできることなんてたかが知れていて、自分の力ではどうしようもないことは存在します。

 「天使のはしご」には、素直に「ラッキー!」。

 茶柱が立った時、「お」と思うのと同じ感覚。

 それが「今日も頑張ろう」とか「いいことあるといいな」という前向きな気持ちに繋がるなら、こころにとっていいことじゃないかな、と思います。

 迷信を信じるなんて馬鹿げてる、という人もいます。
 でも科学やお金を信じてバカげたことをする人も大勢います。

 人は強く無い。でも弱くも無い。
 強くなくていいし、誰にでも立ち直る力があるはず。

 対象がなんであっても、信じる、って本来は、とてもとても難しいこと。

 心が弱ったときは自分を信じられずに自信を失うし、よそのものを信じすぎてもやっぱりよろしくない。

 なんでもそうですが「過ぎたるは及ばざるごとし」。

 こころの整理整頓も、ご自愛のひとつかな、と思います。







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