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カメレオンのように擬態し、オウムのように真似る

 最近、方言のことを、〇〇ことば、と表現するのをよく見かけます。

 京都は昔から京都弁とはあまりいいませんね。
 京ことば、の方がしっくり。
 中心地、みやこだったからでしょうか。

 江戸時代、花街における「ありんす」などの「廓詞くるわことば」が、日本中から売られてくる少女たちの方言を隠す共通言語として必要だったように、「世界の創造」に「言語(語尾)の統一」は非常に有効です。

 私の記憶が確かならば、アニメやアイドルなどがキャラクターの個性を際立たせるために語尾に「おじゃる」「ナリ」「だっちゃ」「ぴー」などをつけ始めた頃から徐々に、方言の捉え方が変わっていったように思います。

 〇〇ことば、と表現するのは、田舎の言葉と馬鹿にする風潮が薄れてきたからかもしれません。今はむしろ「方言を聞きたい、できたら話したい」と思う人の方が多いのではないでしょうか。
 後付けの「独特語尾」であれば仲間内で、あるいは自分が創造主となっていくらでも話せますが、方言というのはその土地で育まれ育った人にしか許されない特権です。
 方言が独特であればあるほど、親しみと愛しさが増し、羨ましい。

 かく言う私、東北生まれ、東北そだち。
  子供の頃はテレビの中で「田舎弁」「ズーズー弁」と馬鹿にされたりすることが多くて、嫌だなぁと思っていました。
 関東以西の言葉には、ずいぶん憧れたものです。

 しかし、幼い頃私は、なぜか意味もなく綺麗な標準語を喋っていたそうな。

 なぜならば、生まれてからしばらくは、あまりに、あまりに田舎過ぎて周りに人がおらず、テレビと父母からしか言葉を聞かなかったからだそう。

 しかも、父と母は同じ県内なのに違う地方出身で、互いに使う言葉が違い、話が通じないので結婚後しばらくは標準語で話していたらしいのです。なんのこっちゃですが、時代を遡れば遡るほど、田舎あるあるです。

 かくして、幼稚園に上がる頃には、関東から引っ越してきた子と思われていたらしく、謎に都会人疑惑が持たれていた、とのこと。

 田舎すぎるとそんなことに…
 そして、テレビ…恐ろしい子。

 ひょっとしたら私は「テレビ出身」と言ってもいいのかもしれません。

 ところが、幼稚園のある時、突如聞いたことの無いほどの強いお国訛りを話し出し、家族を驚かせたと言います。

 私に地元方言を授けたのは、幼なじみのタケシちゃん(仮名)でした。

 タケシちゃんとは小学校二年生までよく一緒に遊んだのですが、三年生のある時突然、タケシちゃんが「プイッ」とするようになり、幼馴染の密月は終わりを告げました。

 タケシちゃんと遊んでいたころまでは、バリバリの方言使いでした。

 それ以後、私は方言を「もらう」ようになります。

 接する時間が長いと、無意識に、イントネーションや話癖、その他諸々、強い影響を受けてしまうのです。

 カメレオンのように擬態し、オウムのように真似するだけの私の方言は、結局ホンモノになることはありません。
 方言にこだわりのある地方の方は、私と話しているうちに、「似てるけど違う」ことにだんだんイラついてくるかもしれません。
 「似て非なるもの」というのは、相手を苛立たせるものです。

 すぐ感化されるので、朝ドラをみているだけで伝染しますもらってしまいます

 この前までは、大阪(風)や岡山(風)のことばでしたが、今は沖縄(風)。

 朝ドラ後、15分ほどで消失します。

 実家に戻ると周囲が話す度合いに応じて方言を話しますが、それがいっこうに安定しない方言なのです。

 「それ風」に話すことができても、本当に話せるようには絶対にならず、ヨソモノ感がより強まるのは間違いない。
 この調子で、語学に長けたらいいのですが、そうは問屋が卸さない。

 いつのときも「~風」なだけ。

 この度、アリエルさんの『世界の家窓から』の企画のお誘いを読み、うわぁ、これは面白そう!と思ったのですが…

 しゃんぴぃさんと同じで、我が家の家窓からの風景も、個人情報丸出しとなり、バッチリ場所を特定されてしまうような景色しかないのです。


 その上、実家のある地元の方言も、今住んでいる地域の方言(関東)も自在に使いこなすことができず、いっそ独特語尾ごび路線を貫いたほうがいいのかなと今、悩んでるカポ。(←前にカカポの記事を書いたのでカカポを使ってみた)。

 しょうがないので、少しでも雰囲気が伝わればと、例の「小学二年生の日記」から引用してみます。

 このころまでは頻繁にタケシちゃんと遊んでいました。
 ギリギリ、私の方言黄金期の最終年くらいです。

 この日記を読むと、当時、言うほど標準語を使っていなかったように思うのですが、周囲の人が皆「標準語を良く解し使用していた」旨証言するので、バイリンガルだったのでしょう。

 きょう、じてんしゃで、パンやさんに、おかあさんといもうとと、でかけました。そのかえりみち、おかしやのまえで、おかしやのはちをわってしまいました。
 わたしはびっくりして、
あやまってくっべ
 とおかあさんにいったら、おかあさんが、
んだね
 といって、おかしやにはいって、あやまりました。そうしたらおじさんが、
「あとで、べつなはちにいれるからいいよ」
 といいました。
 わたしはあんしんしてうちにかえりました。

 「あやまってくっべ」、というのは、あやまりに行きましょう、ということ。
 「んだね」というのは、そうですね、という意味です。
 「べつなはち」というのは、別の鉢、ということ。

 あ、おかしや、は、お菓子屋さんのことです。

 東北のどの辺の言葉か、というのはご想像にお任せいたします。

 っていうか…
 なぜまた、鉢を割るような事態になったのか…
 そっちのほうが問題。

 せっかくなので、私に方言を教えてくれたタケシくんの登場回を。

 きょう、学校のかえりのときに『ユタとふしぎな仲間たち』のけんを、みんなにわたしました。わたしはうちにけんがあるので、もらいませんでした。
 タケシくんが
なんじからいぐんだ(何時から行くの?)
 といったから、わたしは
「あしたの6じから8じはんまでだよ」
 といったら、
あさだが。ひるだが。よるだが(朝なの?昼なの?夜なの?)
 ときかれたから、わたしはこころのなかで
ひるなんかあるわげないべ(昼なんかあるわけないでしょ)
 とおもったけど、
「よるだよ」とこたえました。

 あっ。今気づいたけど、これかな。
 この件が、私とタケちゃんを引き裂いたのか⁉

 『ユタとふしぎな仲間たち』というのは、演劇で、学校で鑑賞券を配っていたのですね。割とどこにでも出回っていて、我が家でもどこからかもらった券があったのだと思われます。
 タケちゃんはもしかしたら、一緒に行こうと思っていたのかも…
 それを「昼の6時なんかあるわけない」とにべもなく…

 とはいえ、この日記の前後にタケシくんにいじめられて泣かされたりもしているので、たぶんこの時も「一緒に行きたい」ではなく、彼は単にチケットを確認するのが面倒で「一日の中のどの時間帯か」というざっくりした情報だけ欲しかったのだと思われます。 

 まあ、若干不穏な風が吹いていたころの日記でしょう。

 でもこれを読む限り、自分の「心の中の声」もちゃんと方言ですね、私。

 ちなみに、画像はインコです。
 カメレオンとオウムを検索したら、目がチカチカしてしまいました。

 結構何とも言えずドギツくてエグいのね、カメレオンもオウムも。

 なんかさらに申し訳ないので、家窓近くのサンスペリアを撮ります。
 名前はバルタンです。カシャ。

バルタン星人の手に似てるので命名されたカポ

 ※アリエルさんの企画、「中間まとめ」の記事では、個性あふれる皆さんの記事をまとめてくださっています!「アリエルさんの感想を読むと無性にその記事を読みたくてたまらなくなる」記事です※












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