Fan Letter10 Re:grace☆藤井風
私が風さんを知ったのは、ブログを始めたころだから、2年前だったと思う。
それから気が付けばたくさん、風さんのことを書いていた。
ブログでも、noteでも書いていたのだが、こちらの記事は案外、風さんのことだと気づかれていなかった。
だいたい、私はタイトルが遠回しなことが多い。
カムシン=熱風が「燃えよ」と「風」が結びついた連想だということも、書いてない。
藤井風のセカンドアルバムが出た!という率直なタイトルにすればよかったのだろうが、そこはなんというか、ガツガツ行きたくない、ストレートより婉曲さを好む自分の性質が災いしていることは自覚している。
10月に最新シングル「grace」が出て、「ああ~grace、grace」と思って(歌って)いたのだが、何の記事にもしないまま、ここまで来てしまった。
これまで藤井さんは何度もライブを開催しているし、ファンならライブに行くべきなのかもしれない。
「鎌倉ほのぼの紀行」の相棒、空ちゃんからも、
「藤井風のライブとか、行きたいと思わないの~?」
と、とても不思議そうに聞かれた。あんなに熱心に語るのだから、ライブに行きたいと思うのが当然ではないかという。
機会があれば行ってみたい、かもしれない、が、まあ、私は日常、藤井風さんの音楽に包まれていれば満足である。
ライトノベルとアニメに「Re:ゼロから始める異世界生活」というものがある。略して「リゼロ」と呼ばれている。
これは突如異世界に行ってしまった主人公が、何度も何度も悲惨な痛い死に方をして、そのたびに死んだ時より少し前の時間に戻る、ということを繰り返す、時間をリピートする物語だ。
悲惨な死に方をするくらいだから悲惨な未来を彼は知っていて、それを回避するためにリピートした人生をやり直す。何度も嫌になるほどやり直す。そうするといろいろわかるようになる。気づくようになる。
自分のことも、人のことも。
主人公がやたら老若男女問わずモテるので微妙、という声が聞こえるが、しょうがない。
人生何周もしてたらそうなる。
同じような設定の小説にケン・グリムウッドの「リプレイ」という小説がある。
これは40代で死ぬ主人公が、必ず18歳に戻る。これを何度も死ぬほど(何度も死んでるんだが)繰り返す。前の人生の記憶を保持したまま人生を繰り返して、あらゆる可能性を試す。
最後は人生を達観し、精神的に超越した成熟を果たす。お金儲けも、学歴も、職業も、彼女も、結婚も、すべてをやり直しつくすなかで、最愛の人と出会う。果てしない繰り返しにさすがに倦み疲れる中で、その人の存在が光り輝く。愛こそが魂の救いなのだ。が、その人との最高の人生も40代の「その日」に終わると、またほぼふりだしに戻る。
なぜにリゼロとリプレイを持ち出したのかというと。
藤井さんの歌詞は、人生を何周かしているひとの歌詞だと思うからだ。
あ、ちょっと、そこの方。ひかないで。比喩ですよ。
彼の歌詞と音楽には成熟を感じる。
青春を歌ったりしているが、彼はその渦中にいない。
いや、肉体的にはそこにいるのだが、魂はもう何度目かのアオハル。
どこの先生ですか。
どこの宇宙のかたですか。
何なんw
やば。
実際、タイトルはそのまま「何なんw」「やば。」という曲を作っている。だからずいぶん青臭く若い人の歌だろうと思うかもしれないが、間違いない。
彼は「何度も墓までいってる」。
純粋性、超越性、というのはカリスマの条件だ。
ある意味危険だ。
無条件に酔いしれてはいけない。
私はつまり、うかつに近寄れないのだ。
最新シングルは「grace」。
MVで、風さんはインドにいる。
ぼろぼろの服を着てるのに信じられないほど輝きを増していて怖いほどだ。だいたいこのジャケ写。濃ゆいインドの方々の中にあってひときわ目立つ。身長などもろもろ計算のうちなのだろうが、それにしたってああた、インドの方はほんと、濃いから。顔だけじゃなくて存在が濃いから。その中で際立つとか尋常ではない。
「grace」は、最初にタイトルを聞いたとき、有名な「アメージンググレイス」のグレイスなのだと思った。
グレイスとは神の恩恵、「恵み」のことだ。
アメイジンググレイスの歌詞を作ったのは牧師さん。
当然この「グレイス」は「キリスト教の神の恩恵」である。
ところが風さんは、見事にアジアの汎神にその恩恵を広げてしまった。
彼の祈る神は自分自身の内なる魂。
どこぞのお仕着せの神ではない。
梵我一如である。
ヨーガでも必ず、アーサナの前に内なる魂に祈る。
それを神と言っていいのかわからない。
少なくとも偶像崇拝の対象ではない。
外側の神ではないのだ。
だから信仰とは言えないのだが、神という言葉を使う以上、誤解は免れないはずだ。しかし彼はそれすら恐れない。
彼は魂の解放を歌っているのだが、はっきり言って、人間は死ぬ前にこの境地に至れば御の字なのである。無明のまま死ぬのが普通なのだ。
ラブソングも歌っている。人生何週目かだから、たぶんこれから出会う(かまたはもう出会っている)最愛の人を知ってる感じだ。
10年前なら、彼と彼の曲は大衆に受け入れられただろうか。
一部の人は反応したかもしれない。でもきっとなんらかのレッテルを張られただろう。今、こうした時代になって、いろいろ言う人はいるけれど、人類の受け皿はずいぶん広く深くなっているのだなと改めて思う。
風の時代に突如現れ、内なる神に祈り、音楽によって天と人と地をつなぐ人。
えっ
まさか
これがアジアの純真・・・チガウ
私は「あたしに会えて良かった」という彼の言葉と音楽に心を震わすが、彼の近くに行くのは、ちょっと我を失いそうで怖い。
おばちゃんこう見えても結構、いろいろ経験したのでこういう耐性は強い方なのだが、彼に関しては平常心でいられる自信がない。
いやちょっと、光が眩しすぎて・・・
それで私は、ライブにはいかないことにしている。
遠くから見守っていきます。合掌。