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家族の風景 実家の片づけ①
先日、三年ぶりに帰省してきました。
三年前は子供の受験があって「受験が終わったら帰るね」と言っていたのに、まさかの世界的感染症流行下となり、帰省を中止。
その後は、我が家のリフォームや引っ越しなども重なり、長縄飛びでタイミングを見計らい繩の上下をみつめるような二年間になりました。
流行が下火になった、とは言い難い状況とはいえ、当初に比べたらワクチンも普及し、特効薬はないにせよ効果的な薬もある。
個々人・企業が感染症対策もしっかりするようになったおかげで、ようやく「気を付けて行動すれば大丈夫」という状況になってきました。
さらに、この春は単身赴任していた我が家の夫が帰宅。
それでようやく、私だけでも実家に行くことができるようになり、このたびやっと、両親と妹夫婦に会うことができました。
よくぞ、元気で暮らしていてくれた、という思いでいっぱいです。
感無量でした。
再び会えた喜びも大きかったのですが、実は今回は、それと同じくらい大きな目的が存在しました。
姉、みらい(52)の三年ぶりの帰省。
これを待ちうけていた妹、セイラ(50。もちろん仮名)。
実家は戸建て。
両親は元々、比較的整頓好きで、ゴミもきっちり捨てる真面目な性格のふたりなので、家が汚い、ということはありません。
今回も、久しぶりに行くので心配はしていましたが、飾り棚には季節の飾りが飾られ、花瓶には活き活きとした花が活けてあり、乱雑なところは見られませんでした。
しっかり暮らしているな…よかった。
内心そっと、胸を撫でおろした私。
が、我々家族は知っています。
納戸と物置の中間のようなガレージの上が、混沌だということを。
そして元・姉の部屋が、姉が嫁ぎ先に持って行かなかった荷物&度重なる引っ越しの時に実家に預けた荷物のせいで、無秩序状態であることを。
田舎ですので、家は案外広く、当然ながら物を置くところがあります。
戦中生まれの父は、81歳。思い出や物を大事にするタイプであり、そういう世代でもあります。
大切にしていた仕事の資料や、娘たちが幼いころの服・靴・鞄、学用品の果てまで、全くと言っていいほど捨てていません。「断捨離」ブーム以来、片づけ好きな母(77)が「もうそろそろ、捨てましょうよ」と促しても「入れる場所があるし、邪魔になっていない」と取っておいたモノたちが段ボールに山となっています。
私は私で、結婚した当初、東京の(最初の住まいは東京だった)狭いマンションには色々入らないからと、それまでの人生で発生した荷物のほぼすべてを放置したままにして出ていき、その後、妹も、同じようにして家を出ました。
それから、早幾年。
家族全員、気になりながらも「まあ、まだいいでしょう」「置くところがあるうちは」とついつい、先送りに。
しかし、いよいよ両親が高齢となり、そこに感染症の流行が追い打ちをかけ、親のみならず子も次第に体力が衰えていく中、このままではいけないと立ち上がったのが妹でした。
実家の家を片付ける困難について書かれた本は沢山あります。
実用書も数多く見かけますし、著名人や作家の方々もよく本にされています。
これは、放置すればするほど、時間が経てばたつほど厄介になる問題。
妹は、遠く離れた場所に住んでいる姉と違い、実家の近くに住んでいるので、たびたび実家を訪れ、これまでの経緯をつぶさにみています。
片付けよう。
今、ふたりとも元気で納得できるうちに、片づけたほうがいい。
そう決意した妹。
そこでまず、自分の荷物を撤退。その後、着々と片づけに着手しようとしたのですが、なかなか両親のモチベーションが上がらない。
特に父は、これまで大切にしてきた物を手放すということに抵抗があり、なかなかうんと言ってくれなかったようです。
こうなったら姉だ!
長らく来れなかった姉が今こそ帰り、
姉自ら片づけることでテコ入れだ!
と、妹が思ったかどうか。
今回帰るにあたって、妹から地道な根回し活動をされていました。
そろそろ、帰ってこれないだろうか。
帰るにあたり、今の状況はこれこれこうなので、ぜひとも片づけを推進したいのだ。
妹は実家を訪れた折々に、着々と自分のものを処分していました。問題はガレージの上と、あとは何よりもお姉ちゃんの荷物なの、と。
もちろん、わたしとて、このまま放置でいいと思っていたわけではなく、気になり続けていた問題。
妹の根回し作戦が功を奏し、私の帰省で「いまが、そのときだ」という思いが、全員の心の中に芽生えていたように思います。
やっと会えた!
久しぶり!
元気でよかった!
のあとは、「ちょっとお姉ちゃん」と、早速、妹が進軍開始の合図。
かねて用意の軍手とエプロンを装着し、まずはガレージ上の娘たちの荷物から片づけに取り掛かったのですが…
案の定、
「わー、これ懐かしい~」
「こんなのあったねぇ」
「あ、これ。探してたんだよぅ」
「このときさぁ…」
などと寄り道をしまくる姉。
母は「そうねぇ」「そうだった」などと乗ってくれるのですが、父は悲し気な、寂し気な顔で佇んでいます。
そして妹は…
「はいはい。それ燃えないゴミね」
真顔で指示だし。
「あ、それは燃えるゴミ!袋違う」
「それは燃える。燃えない。資源。はいこれは燃える」
私の「わぁ~懐かしい」なんて全く相手にしてくれません。
「それはいいから、次」
「あーあったね、懐かしいね。はい、燃えない」
あいづちに、感情ナシ。
えーこれ、どうしようかな。捨てる?捨てない?などという問いには、問答無用に、
「それ燃えないゴミ」。
そのうち私も、観念しました。
妹、真剣なのね…
わかったわ。私も頑張る。
無言でうなずき、その後は無駄口を叩かず黙々と作業しました。
妹が無情なわけではありません。
この作業は、娘の私たちがしなければ、両親にはできないことだと腹を括っているのです。
このところ、腹を括らざるを得ない事態が、彼女の身の回りでいくつも起こっていました。
そんな妹の姿を見て、両親も色々と考えていたのだと思います。
その後は次々と昔の箱を開け、分別していきました。
幼稚園バッグや水筒、母の手作りバッグ、小学校のランドセル…
懐かしいばかりではなく、劣化してぼろぼろなものも多くなっていました。
虫がいるだの埃が舞うだのと言いながらなんとか作業を進めましたが、ちょっと妹がその場を離れると、
「これ、燃えるの?燃えないの?リサイクル?セイラがいないとわからない!」と、右往左往してしまうのでした。
足かけ二日がかりで、段ボールにして10箱(大小あり)、袋も4、5袋くらいにまとめました。
地域には自分で直接持ち込むことができる処理場があるので、妹夫婦が手分けして持ち込んでくれることになりました。
また、売れそうな本や音楽媒体などはブック〇フなど買い取りに持って行くとのこと。
キリがないので、メルカリなどで手間をかけて「売る」ことは考えないようにしようと話しました。
もちろん、この帰省1回だけでなんとかなるような話ではないのですが、とにもかくにも、始めることというのがいかに大事か、というのを痛感しました。
あんなに片づけや捨てることを嫌がっていた父でしたが、それでも途中からは段ボールを下ろしてくれたり、手伝ってくれたりしましたし、妹が処理場に持って行くときはつきそってくれるといい、「必要な片づけはしなければいけないと思っていた」と言ってくれました。
捨てた中には納得できないものもあったかもしれませんが、ひとつひとつ段ボールを開けて、家族全員で目視確認しながら作業したのが良かったように思います。
とにかく、できるだけ楽しい話をしながら作業するのを心がけました。
この「片づけ」もまた、家族の思い出になるはずだから。
ある意味では、新しい家族団欒の形だったようにも思います。
この年まで、そしてこのご時世でさ、親がふたりとも元気でいて、一緒に片づけられるなんてこんなに幸せなことは無いね。
久しぶりに妹と布団を並べてそんな話ができたのも、幸せなことでした。
片づけの続きは、また次回。
このお話の続きも、また次回。
♬「家族の風景」ハナレグミ
※2023年5月メディアパルさんの企画に参加します。