鑑賞と観賞 Ⅱ
昨日の記事の続き
以下は6/15日に公開した「書くことは魔術行為、その神秘」
という記事の全文再掲である。
身バレ対策の一環ですでに削除済である。
(まったくの無駄な努力で、激しく後悔している。。)
「書く」という行為は本当に不思議だとおもう。
自分の意志とは無関係な、
なにか不思議なちからの働きを感じる
言葉を紡いでいるうちに、
普段認識している以上の世界が開けるというのか
不思議なちからにより、
オートマティックに言葉が紡がれていく時、
普段とは違う意識状態になり、
洞察は澄み渡り、
さまざまな物事が解明されていく。
書いている時、わたしは日常を送っている意識とは、
まったく違う意識状態、特殊な集中状態になっている。
おそらく、これは楽器演奏や歌、絵画制作など創作全般に通ずるのではないか。
書いたものというよりも、書かれたものと表現した方がしっくりくる。
書かれたものを読み返すとき、
わたしのなかでその時の、感覚やリズムが繰り返されるのだ。
内面に流れる特殊なリズム、そのリズムとの共鳴が起こる。
そのときの特殊な意識状態の追体験を楽しんでいるのかもしれない。
他者によって書かれたものも、
内容以前に、文体のリズム、その文章に流れるエネルギーの質や個性で判断しているのかもしれない。
自分のエネルギーとの相性も大きい。
自然な流れとリズムが存在しているのか?
なにより本人が新鮮な気持ちで、楽しんで書いているのか?
わたしは、自然な生命力が宿っている、軽やかな文章が好きだ。
圧のない流れが好みである。
だから自分の記事も、楽しい時のものは特に読み返すことが多いのだろう。