美意識が守るもの
もしかしたら、良心以上にひととしての行動倫理を支えているのが、
その個人の独自の美意識やポリシーなのではないのかと、感じている。
美学というと、なんかとても崇高なイメージだが、
単純にダサいことはしたくないという、ひととしての矜持というか美意識である。
どこに美意識の重きを置くのか、その独自の感性やポリシーが個性だとおもう。
わたしは、自己愛をテーマにした記事をたくさん書いているけれど、彼らは本能としての優越欲求に忠実で、その言動は金太郎飴に例えられるように
個性とはいえない。
優越欲求は誰もが備えてはいるものだが、「いや、そこまでしてまでは・・」とその本能的な欲求にブレーキをかけるのが恥の感覚、美意識だ。
「現実や事実を捻じ曲げてまでは。。」
「ひとを傷つけてまでは。。」
「大嘘をついてまでは。。」
「自分よりも弱い立場のひとに対してまでは。。。」
人間としてそこまではしたくないな、そこまでは落ちたくないよと
踏みとどまるのが、良心と同時に美意識のちからだとおもう。
美意識、美学、そのポリシーによってひととしての信頼や信用が守られる。
尊厳が守られる。
ひとから恨みをかっていいことなど、何一つない。
保身や嘘でかってしまう他者の恨みや憎しみの想念から、さらにはそのことで生じる業、カルマを積むことからも守られる。
将来、未来の自分も守られているのである。