スティグマ(偏見)を受けた経験談と周囲の未来について
スティグマについて
みなさんは、スティグマという言葉を耳にしたことはあるだろうか?
スティグマとは、差別や偏見という日本語に対応し、主に【人種、ジェンダー、知能、健康、社会階級、精神疾患など個人の持つ特徴について、周囲から否定的な意味づけをされ、不当な扱いを受けること】を指す。
LGBT理解増進法の制定が進められている昨今、スティグマが身の周りで見え隠れしていることを、SNSを通してより実感している。
私のこと
私は、 LGBTQの当事者である。
且つ、障がい者でもあるので、偏見の目に晒される機会は比較的多い。
しかし、反対に、学生時代は自分が優れていると錯覚するような、子どもながらの特権階級を感じたこともある。
その両面を経験した立場で、話を進めていこうと思う。
社会が変わることについて
LGBT理解増進法に対して、SNSでよく見かけるのは、女性の風呂・トイレ問題だと認識している。
【自称、性自認女性の男性が、本来違うにも関わらず、女性の固有スペースに入り込むのではないか】ということらしい。
こういう法律ができようとする時、いつも生まれる意見だと感じている。
心配は、もちろんしていいと思う。
リスクを考えるのは大切なことだと思う。
しかし、現実を考えると、どうだろう?
各大浴場や化粧室を備える施設が、そんなことを横行させておくと思うだろうか?
今既に多数の一般人が心配していることを、諸施設の管理担当が思いつかないのだろうか?
そんなことはないと思う。
対策として、診断書を必須にする場合や、今後、それに準じた公的証書ができるかもしれない。
私の話で言うと、障害者手帳を施設利用の際に見せることで証明することも多々ある。
それがあることによって、私は人権を損害される感覚もない(個人差はあると思うが)。
今の社会が全く変わらないで、新たな法律だけ制定されると思っていないだろうか?
人々の変化や成熟に応じて、社会やルールが試行錯誤して変わっていく。
今までの社会もそうして歴史を刻んできたのではないだろうか?
社会がまったく変わらないことは、人類の衰退をも意味すると思う。
身近なところで言うと、例えば、歴史がある学校は、校則も時代に応じて少しずつ変わってきたはずだ。
【変わる】と言うことは、時に怖いと感じるかもしれないが、避けなければいけないことではない。
私はむしろ変化は、したらいいと考えるほうだ。
日本は政治的にも新しいものを取り入れたり、改新するスピードが遅い。
おそらく、国民性がそれを望んでいるところもあると思う。
しかし、現代は鎖国状態でない。
グローバルな世界で、ある程度各国が歩み寄ることは、避けて通れない世界になっているのだ。
これは、令和の時代で異論できない事実だと考える。
机上の論争で、「もしこうなったらどうしよう」「こんなことが起こるかもしれない」と議論するのも、大切なことだ。 しかし、実際に施行されなければわからない不具合もある。
それは、あなたの勤める会社でも同じようなことが言えるのではないだろうか?
そしてその後、あなた方はどうするだろう?
試行錯誤して、改善案を出すのではないだろうか?
その仕組みは規模が国になっても同じだ。
リスクを考慮することに私も異論はない。
ただ、そこで立ち止まるのは、違うと考えている。
スティグマの実体験
次に、私が実際に受けたスティグマを記載しようと思う。
そして併せて、周囲の理解が深まってくれると嬉しいこと、こうなったらいいな、を望みを込めて記載していく。
一般の方からしたら、些細なことかもしれない。
ただ、当事者は敏感に感じることもある。
先日、ショッピングモールにいたとき、とある夫婦に【ヘルプマーク】を指さされ、コソコソと少し怪訝な表情をしながら見られたことがある。
ヘルプマークは近年だいぶ知名度が上がってきたと感じている。
だからこそ、どんなものかなんとなく知っていて、上記のような反応が生まれたと思っている。
いろんな人に知られてきたのは大変嬉しいことだ。
だから、私はもう一歩、こういう理解が深まってくれたら私(障がい者)は嬉しい、ということをここに書き留めて、それこそ理解増進に貢献できたらと思う。
①自分の行動は、当事者(話のタネ)にとって思っているより聞こえたり、察することができるということを頭に入れておいてほしい。※カクテルパーティー効果が近いと思う。
個人的な意見だが、気になることがあれば、役所に行ったりして聞いてもいいし、国のウェブサイトを閲覧するなどして、知識を蓄えてくれると嬉しい。
知識は、悲しきかな、受動的な状態では正しいものが入ってこないことが多い。
また、SNSだけに固執したりすると、過激で一方的な書き込みも多い。
何事もバランス、そして物事を俯瞰してみて、自分で判断することをしてみてほしい。
②ヘルプマークを持つ人は、それぞれ工夫をして、有事の際に【何を支援してほしいか】をあらかじめ記載して持ち歩いている人が多い。
これは、ヘルプマークの裏や付近につけている人が多いと思う。
有事の際は、発作でしゃべれないこともあるかもしれないが、そういう知識を持ってもらうことで、より正確な支援につながると思う。
学生時代の私
小学生の頃は、勉強も難しくなく、大人数が100点を取り、運動神経がいい人がチヤホヤされる環境であることが多いと思う。
それが中学に上がると、スポーツもそうだが、テストに順位がつき、みんなの価値観が少し変わってくる。
その価値観に、私は見事にマッチしたのだ。
具体的には、テストは学年順位でトップ3に入っていたり、1年生で生徒会に入ったりした。
スポーツは得意ではないが、特別劣る項目もない。
真面目なタイプの子から、やんちゃなタイプの子まで、友人関係を築ける。
今思えば、恐らく最後の広い交友関係が、大きく物を言わせていたように感じる。
生徒会にいて、大人びていた私は、先生の信頼を得ることも容易く、時に教師側が自分の思うように動いてくれることもあった。
いわば、中学時代の私は【特権階級】にいたのかもしれない。
今振り返ると、その頃の私は、例えば勉強ができない子の悩みがわからなかった。
友人が少ない子の苦手なところを理解できなかったと思う。
どんなに寄り添おうと思っても、当事者になってみないとわからないことは絶対にある。
その時、私は、彼らに歩み寄っていただろうか。
これからの社会
どんなに当事者でないとわからないと言っても、余裕のある者が、耳を傾ければ支援できることもあったに違いない。
中学生という子どもの世界でも、言えることだ。
ぜひ大人のみなさんには、自ら進んで視野を広げてみてほしいし、私もそうしたいと思う。
その一人一人の意識改革が、世の中からスティグマを減らす一歩につながると考えている。
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