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「育児」は「育自」- 長女の誕生日に思うこと

今日は長女の誕生日です。
11年前の今日、私は母になりました。

生まれた時には、両手で軽々抱っこできた長女。
今では私の胸ほどの身長に。後数年で私の身長は彼女に追い越されそうです。

子供は日々たくさんの事を吸収し、どんどん成長していきますが、親の成長はゆっくりです。
「親」になるということは、とても難しく。
私は親業を11年もやっていますが、常に新たな課題に遭遇し、今も日々右往左往しています。

長女が赤ちゃんの頃、子育ての先輩から伺った言葉。

「育児」って言うけど、
本当のところは「育自」だからさ。

当時は、「?」と思うところもありましたが、10 年以上育児をしてみた結果、
「子供を育てる」ことを通じて「自分を育てている」ことをひしひしと実感する今日この頃です。

こんなはずじゃなかった!
子供が可愛いと思えない

ミルクの匂いがする可愛い我が子を抱いて、
幸せに微笑む母
我が子は何よりも大切で目に入れても痛くない

みたいなイメージを抱いていたのに

子供が生まれた瞬間から、私の現実は「想定外」ばかりでした。

自分がコントロール出来ない小さな生き物
でも、この人の生命を守らなきゃいけないのは私(とダンナ)
というプレッシャーは想像以上に重く

ちゃんとやらなきゃ、やらなきゃ
が先になってしまい、
子供が可愛いと思えませんでした。

長女は、赤ちゃん時代から
寝ない
自分の意志がはっきりある
自分が納得しない場合、親の言うことは聞かない

状態だったため、
様々な局面で私は彼女と衝突しました。

彼女は、ただ自分に与えられた人生を懸命に歩んでいるだけなのですが

私は、「可愛いくて、愛しくて、目の中に入れても痛くない」とは到底思えず

思い通りにいかないことばかりにイライラし、細切れ睡眠で寝不足の中、ほぼ一日中抱っこ。体力的にもしんどい日々でした。

知人、友人やメディアの語る「育てやすそうな子」のエピソードを聞いては、落ち込んでいました。

そんな状況なので

「なんで、この子が自分の子なんだろう?」
「なんで、こんなに辛いんだろう?」

怒りや悲しみやイライラ、不快な気持ちがドロドロと湧き出て、止まらない。

我が子に対して今まで感じたことのないような怒りを感じたり

もっと育てやすい子に変えて欲しいと
心底願ったり

この子のこと、好きになれるのかな?
愛してないのかな?

他のお母さん達は、子供が可愛いと思えるのかな?

こんな母親に育てられてる長女がかわいそう


子育てを楽しむ境地とはほど遠く
葛藤ばかりの毎日でした。


私が愛せないのは子供ではなく、自分だった

怒りや悲しみやイライラばかりの自分を何とか変えたい
長女の心に消えない傷が残ったらどうしよう

と、色々な学びに手をつけました。

本やネットからの情報収集
保育園の先生や友人へ相談
働くお母さん(限定ではないですが)が話し合う場のボランティアに参加
オンラインコミュニティで知り合った方々との親子イベントに参加
コーチングを受講
などなど。

彼女との関わりを通して体験したたくさんの学びから

私が腹が立ち、怒りを感じるのは、

私の中の嫌いな部分、受け入れたくない部分
私が本当はやりたい、願っているけどできないことを
彼女が体現しているから

である事が、最近になってやっと理解、納得できるようになりました。

私が愛せない、認められないのは、
子供ではなく、私自身でした。

子供に向き合い、育てる過程は、
私自身の内側をみつめ
私自身の思い込みやあるべき論を見直し
心の底の願いに向き合う
時間でもありました。

育児を通して、自分自身を育てなおしているのだなぁ。
改めて感じます。

人生に必要な体験

全ての人が親になるべき
とか
子育て経験は、何よりも大切
とか
いう考えは全くないですが、

子供を育てる体験は
少なくとも私の人生には必要な体験なのだと思います。

喜びと楽しさだけの快適な体験ではなく、
自分自身の闇を直視せざるを得ないような不快な体験も多々あります。

でも、

母になる前には知らなかった生命の神秘や不思議をリアルに体験できたこと
母になる前には味わったことのなかった激しい感情を味わえたこと
母になる前には想像したこともなかった自分自身に出会えたこと
母になる前には考えられなかった人たちとの交流関係ができたこと
母になる前には考えられなかった社会への関心が湧いたこと
母になる前には考えられなかった人、物、事に価値を見出したこと

挙げればキリがないけれど、

子育てを通じて得た体験や学びは、私にとって掛け替えのないものです。

自分ではコントロール出来ない大いなる存在
過去から、今、そして未来に向けて続いていく生命の繋がり
を感じ、
子供達が生きていく社会を、より生きやすい社会にしたい

自分の事だけでなく、
自分をとりまく世界に目を向け、向き合うモチベーションが湧いてきたことも、
子育ての体験に寄与するところが大きいです。

私の人生には、母親になるという体験が必要だったのだなぁと
心の深いところで感じます。

子供を授かってよかった
母になれてよかった
です。

自分自身には到底コントロール出来ない、
生命の不思議
神様の采配に
感謝します。

そして、これから

子供達にとっては良い母親ではないかもしれないけれど
思い描いていたような愛し方は出来ていないかもしれないけれど
自分の内側の痛みをえぐられるような体験が今後もあるかもしれないけれど
これからも子供達に懸命に向き合い、様々な体験を分ちあい、共に学んでいきたいと思います。

母としての人生を与えてくれた子供達に改めて感謝を。

彼女達のこれからの人生が、実り多き時間になりますように。

生まれて来てくれて、ありがとう。
これからも末長くよろしくね。


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