1リットルの涙では足りなかった
こんにちは、Miriです。
わたしのnoteを見つけてくださってありがとうございます。
以前より記載している内容の続きになります。
以下の記事には、妊娠、出生前診断、中期中絶の内容を含みますのでご注意ください。
17w5d
わたしたちのところにやってきてくれた次男は、出生前診断で純型肺動脈閉鎖症の診断を受けました。
わたしたちは、この子を産まない、中期中絶をする決断をしました。
17週5日を迎えました。
かかりつけの産院にて、1日目の分娩処置を受けました。長男を実家に預けて、夫は仕事を休みそばでつきそってくれました。
分娩処置としてはラミナリアとガーゼを挿入しました。挿入時の痛みが怖かったですが、違和感くらいでした。医師や助産師さんは優しく寄り添ってくれました。
実家に帰り、痛みやラミナリア脱出はなかったのでいつも家族と通り過ごしました。
本当に明日分娩をするのか、実感は湧きませんでした。
長男はお気に入りのおもちゃをお腹の上にたくさん乗せてくれたり、おしゃべりをしてくれました。
夫とともに、何度もお腹の赤ちゃんに向けて話しかけたり、お腹を撫でました。
家族4人で過ごす時間が愛おしくて、でも苦しくて、ただひたすらに涙が出ました。
17w6d
夜は少しだけ眠って、とうとう分娩の日を迎えました。
青空が綺麗な、少しだけ肌寒い朝。
夫がかかりつけの産院まで送ってくれました。お腹の赤ちゃんに、いつも通り優しく声をかけてくれました。
産院の陣痛室に案内されました。
昨日挿入していたラミナリアとガーゼを抜いて、ミニメトロとプレグランディン膣錠を挿入しました。
夫の付き添いができるとのことでしたので、夫も陣痛室に来てもらいました。
プレグランディン膣錠は、1時間ごとに挿入していきました。
1、2錠目の挿入後は特に変化は感じず、夫と話をしたり、眠って過ごすことができていました。
3錠目から下腹部痛が規則的になり、4錠目では下腹部痛が増強していき、声が漏れるようになりました。
分娩室に移動しました。
下腹部痛は強くなっていますが、まだいきみたい感じはありませんでした。
ブスコパンを筋肉注射して、自然ないきみが出てくることを待ちました。
分娩室は、3年前に長男を出産した場所です。
でも今は、中期中絶のために分娩室にいます。この子の産声は聞くことができません。
自分たちで決めたことなのに、後悔と心苦しさが消えません。
なぜわたしの子どもがこのようなことになるでしょうか。
夫と助産師さんは、そばに付き添って優しく声をかけてくれました。
夫の手を握って、涙を流しながら、この苦しさに耐えるしかありませんでした。
生まれる時は、せめて赤ちゃんが苦しみませんように。綺麗に生まれてきてほしい。
それだけを願っていました。
それは突然やってきました。
いきみたい感じと臀部への違和感が持続するようになり、赤ちゃんが下りてきていると思いました。
15時54分。
わたしは産声のない出産をしました。
身長21.5cm、体重169gの小さな赤ちゃん。
死産証明書は性別は不明と書いてありましたが、胎児ドックで見てもらった時に男の子と言ってもらったので、男の子と思うことにしました。
胎盤を出す処置のために、麻酔を使用することになり、わたしは眠りました。
処置が終わった後、わたしたちのところに赤ちゃんを連れてきてもらいました。
エンゼルボックスに入って、花で囲ってもらった、可愛い赤ちゃん。
長男にそっくりな顔つき、手足の指がしっかりしていました。
夫に抱き抱えられた、赤ちゃんがそこにはいます。
目を閉じて眠っているように見えます。
でも産声は聞こえません。呼吸をしていません。
この子は、生きていない。
わたしは死産をした。
生まれてきてくれてありがとう。
会いたかったよ。やっと会えたね。
お腹の中で育ててあげられなくてごめんね。
本当にごめんね。
そんな思いで胸が締め付けられて、引き裂かれそうになりました。
ひたすらに涙が溢れて、わたしは声をあげて泣きました。
1時間ほど休んで、帰宅できることになりました。
死産証明書を受け取り、母子手帳には分娩結果を記載してもらいました。
エンゼルボックスに入った赤ちゃんを大きな保冷バックに包みました。
夫の運転する車に乗って、赤ちゃんと一緒に産院から実家に帰る道。
夜空に綺麗な月が光っていました。
わたしは死産したという現実を嘆いて、泣いて、泣いて、泣きました。
実家に着くと、長男と実父母が迎えてくれました。
長男の変わらない笑顔にほっとして、父が「一緒に帰ってきたか」と言ってくれて、母の美味しいご飯を食べました。
温かい場所があることが嬉しくて、また涙が出ました。
亡くなった赤ちゃんの皮膚は暑さに弱いので、冷房の効いた部屋で、保冷剤をたくさん周りに置いて、火葬の日まで過ごしてもらうことにしました。実家の私の自室にしました。
夫と一緒に、エンゼルケアをしました。
小さな身体を優しく抱っこをして、名前を呼んで、話しかけて。たくさん写真・動画を撮影しました。
小さいけどしっかりとした手足の、手形と足形をとりました。臍帯を少しだけ切らせてもらいました。
ガーゼで清拭をした後、可愛い洋服と帽子を着せました。
赤ちゃんの洋服は「にこにこ257の会」さんに事前に連絡し、快く送っていただいたものを使わせていただきました。
長男にそっくりで、とても可愛い。でも生きていない。
その現実を見ることが苦しくて、辛くて。
花に囲まれている赤ちゃんを見つめながら、二人で涙を流しました。
その日は少し痛みがありましたが、分娩の疲れもあってすぐに眠ってしまいました。
近くに赤ちゃんがいてくれる、安心感のようなものがありました。
分娩翌日
朝起きて、お腹の中にはもう赤ちゃんがいないと痛感しました。
赤ちゃんに会いに行くと、昨日と変わらずそこにはいてくれました。赤ちゃんを囲っている保冷剤を交換しました。
この日は、火葬の手続きに必要な書類をもらうため区役所に行きました。
12週以降の分娩の場合、胎児は死産となります。
死産届を区役所に提出し、「墓地、埋葬等に関する法律」に基づき火葬をする必要があります。戸籍は作られません。
夫、長男と一緒に車に乗っていきました。
区役所に死産証明書を提出し、火葬許可書を受け取りました。この紙に、わたしの子供が亡くなったという現実がありました。
長男は歌を歌ったり、好きなアイスを食べて笑顔を見せてくれたり、楽しいドライブの時間にしてくれました。
家には、赤ちゃんが待ってくれている。
天気の良い空と風を感じながら、少しだけ哀しみを忘れられるくらい、心穏やかな時間が過ぎていきました。
帰ってきて少し休んだら、夕方が近づいていました。雲が薄くて、昼の月がもう出てきていて、穏やかに風が吹いています。
赤ちゃんに外の空気に触れさせてあげたいと思い、実家の庭に赤ちゃんを連れていきました。
夫の腕の中で眠っているような、赤ちゃんを見つめました。
静かで、空気が気持ちが良くて。言葉にならない哀しみが溢れてきて、涙が出ました。
たくさん話しかけて、名前を呼んで、外の世界を見せてあげました。
父に、親子3人の写真を撮ってもらいました。
長男はまだ昼寝をしています。夢の中、気持ち良さそうに眠っています。
長男には、直接は赤ちゃんを見せないようにしようと夫と決めていました。
寝ている長男の横に、そっと赤ちゃんを置きました。兄弟そっくりな寝顔です、愛おしさと苦しさが胸を締め付けました。
家族4人で、家族写真を撮りました。
一生忘れることのできない、幸せな家族の時間を過ごすことができました。
夜は家族みんなで、お腹いっぱいのお鍋を食べました。
その後、夫と赤ちゃんと一緒に過ごしました。
エンゼルボックスには、折り紙や家族写真、夫とわたしそれぞれが書いた手紙を入れました。
夫とわたし、それぞれの手紙を赤ちゃんに向けて読みました。
夫の想い、わたしの想い。
泣きながら、赤ちゃんに向けて話しました。
明日は、火葬の日です。
赤ちゃんとのお別れが近づいていることは分かっていました。少しだけ、赤ちゃんを見ることが辛くなりました。
今になって、もっと抱きしめてあげれば良かったと後悔が少し残ります。
でも会うのが苦しくて辛かった、ごめんね。
火葬の日
この日も清々しく晴れていました。
分娩前に夫が火葬場に電話していて、予約をとってくれていました。
夫の運転で火葬場まで行く途中、赤ちゃんは助手席に乗ってもらいました。
家族での最後のドライブ。
火葬場が近づくほど、赤ちゃんとのお別れが近づいてくる。その現実から逃げるように、赤ちゃんにたくさん話しかけました。
火葬場に着いてから、夫と赤ちゃんと写真を撮りました。
赤ちゃんはたくさんのお花に囲まれながら、変わらない可愛い顔をしていました。ああ、これが最後なんだなと思いました。
火葬の手続きをしながら、現実が苦しくて涙が止まらなくなりました。
もう一度この手で抱きしめれば良かったと後悔もありますが、この時は夫の抱っこで十分だと思いました。
炉前室でエンゼルボックスを置いた後、お焼香をして、係の方にお別れですと言われました。
胸が詰まって、何を言えばいいのか分からなくなりました。ばいばい、ありがとうとだけ話しました。
エンゼルボックスのまま、赤ちゃんは火葬炉に入っていきました。ゆっくり閉じていく火葬炉の扉を前に、声をあげて泣きました。
目の前で起きていることが受け入れられない、信じられないくらいの喪失感が襲ってきました。
わたしの前から、大切な我が子が居なくなってしまった。
本当に火葬されてしまった。この手から居なくなってしまった。
わたしも連れて行って、そう思ってしまいました。
火葬が終わるまでは待合室に案内されました。目の前が涙で溢れて、歩くのが精一杯でした。
喪失感と哀しみが溢れて、声にならない想いに涙が出てくるだけでした。
夫に抱きついて、夫と一緒にたくさん泣きました。
何で私たちの子どもなんだろう。
自分たちで選択した決断。
それでも、一緒に生きていて欲しかった。
30分ほどで火葬は終わり、その後に骨上げをしました。
17週であり骨は残らないと思っていましたが、大腿骨のような骨があり、5・6本の骨と、遺灰を骨壷に入れることが出来ました。
骨壷を抱いて火葬場を出て、車に戻って夫と泣きました。
さっきまで赤ちゃんがそこにはいたのに、手元には御骨だけになりました。
清々しい青空の下で、骨壷を胸に抱き締めて、現実に私たちの前から居なくなってしまったことを実感しました。
いくら経っても、わたしには涙を止めることが出来ませんでした。
たたひたすらに苦しい、辛い、哀しい。
そして、ごめんね。
その後、予約していたお寺に水子供養に行きました。
静かで落ち着いたお寺、とても優しい住職さんでした。
供養の時間になり、仏様の前には骨壷に入った次男が置かれていました。
その厳かさと静けさ、でも骨壷に入っている次男を見守ってくれているように感じました。
お焼香、南無阿弥陀仏を唱えて、次男のいのちが、穏やかになってくれることを願いました。
その間も、涙は止まりませんでした。
住職さんは、私たちの想いを汲んでいのちの話をしてくれました。
不思議と次男がそばで聴いてくれている気がしました。
最後にお地蔵さんの前で線香を上げて、またお参りにきますと思いを伝えました。
車に戻ったら、安心感と空虚感が混じった想いになりました。
次男の供養ができた安心感と、手元には御骨に入った骨壷だけの喪失感。
涙は枯れたはず。それでも静かに涙は伝ってくる。
哀しみと苦しさは消えません。
でもきっと、きっとそばで見守ってくれると思えました。心は永遠に繋がってると信じたい気持ちになれました。
夫も同じ気持ちで、私を抱きしめてくれました。
わたしたちの長い1日。人生で一番泣いた日、一生忘れられない日になりました。
火葬してから
火葬した日の夜は、ふと喪失感と哀しみが溢れて嗚咽しながら泣いたり、何も考えられなくて部屋の明かりを見つめてたり、明け方の4:30くらいまでは寝付けませんでした。
こんな日が毎晩来るのかと思うと、怖くなりました。
でも朝起きて骨壷を見たら、やっぱり涙は出たけど、そこに次男はいてくれる気がしました。
夫は1週間休みをとってくれて、わたしのそばでたくさん泣いてくれました。
わたしが泣いていると、すぐに抱き締めて、優しく声を掛けてくれました。
愛してると言ってくれました。
苦しさと哀しみを共有してくれて、わたしの心を支えてくれています。
この人と生きていきたいと、心の底から思える大切な人です。
今夜眠れるのかも不安で、明日の精神状態がどうなるのかも分からない。
仕事に復帰できるのかが分からない。
職場の上司、夫や両親も、いつまでも休んでいいと言ってくれました。
両親には本当に感謝しています。
夫、長男の食事や身の回りのことをしてくれて、長男と一緒に遊んでくれて、たくさん気を遣ってもらいました。
母からは「無理しないで。だめだったらいつでも帰っておいで」と言ってもらいました。
安心して帰って来れる場所があることが幸せだと、涙が出ました。
長男は変わらず、楽しく過ごしてくれていました。
数日でもお喋りがもっと上手になって、トイトレを頑張ってくれています。
私が泣いていると、なんで泣いているのと寄り添ってくれる。気を使わせてしまって申し訳ないくらい、優しいお兄ちゃんです。
次男のことを認識しているようにも思えました。
寝る前に骨壷を撫でて、「次男くん、おやすみなさい」と言ってくれました。
直接教えた訳ではありません。
妊娠中はお腹に赤ちゃんがいるんだよ、と何となく分かっているくらいだと思ってたのに、次男の名前まで覚えていました。
胸が苦しくなるほど、その優しさに涙が出ました。
長男を保育園にお迎えに行った時、夜空に半月が綺麗に見えていました。
長男がふと、「お月様綺麗だね。赤ちゃんねんねしてる」と話してくれました。
「赤ちゃんって次男くん?」と聞くと、「うん」と。
その言葉の意味を分かっているのか、正直わかりません。
でもその言葉が嬉しくて涙が込み上げてきて、外だからぐっと堪えました。
なんて優しい表現をするんだろうと思ました。
その言葉に次男はお月様でねんねしてて、私たちのことを見守ってくれている気がしました。
次男はお空にちゃんと行けて、のんびり楽しく過ごせているのかなと思いました。
それを長男が私たちに教えてくれました。
長男に「お月様で赤ちゃんがねんねしてる」と言ってもらってから、夜お月様を見上げるようになりました。
綺麗に夜空に照らされていると、少し穏やかな気持ちになります。
気持ちよく寝ているのかな。私たちのことを見ていてくれているのかな。
きっと、私たちのそばにいてくれている。
自宅に次男を連れて帰ってから、次男のスペースを作りました。
骨壷。象型の可愛いおりん。両親がくれた胡蝶蘭が綺麗なプリザーブドフラワー。手形と家族写真のアルバム。ぬいぐるみで囲んで、静かに置いてあります。
長男は次男のために、ミニカーやお菓子を飾ってくれました。おりんを鳴らしてくれます。ぬいぐるみをとんとんと撫でて、寝かしつけをしてあげるような仕草があります。
赤ちゃんと思ってくれているのかな。
毎朝骨壷を見て、現実は変わらないことに絶望します。
その現実を少しずつ受け入れられ始めている気もしていました。
哀しみは消えず、死んでしまいたいと思うことは何度もありました。眠れない日、一緒に逝ってしまいたいと思ってしまう夜が何度もありました。
でも、長男のために生きていかなくてはいけない。
長男の存在は、わたしが生きるための心の支えでした。
産後検診を終えて体調は問題なく戻りました。
少しずつ眠れる夜も増えて、気持ちは安定してきたと思いました。
仕事は2週間おやすみをしていましたが、仕事復帰することになりました。
不安はありましたが、仕事をしていない焦燥感が強く、復帰することにしました。
翌日職場に行き、午前中仕事をしました。
ですが、そのまま復帰することはできませんでした。
Miri
最後に
手紙を残させてください。
みなとくんへ
みなとくんがママのお腹に来てくれてから17週間だね。
ママのお腹の中は気持ちよかったですか。苦しくなかったですか。
ママとパパ、お兄ちゃんの声は聞こえていましたか。
みなとくんに心臓に病気があることが分かって、たくさん悩んで、泣いて、みなとくんとお別れすることにしました。
もうすぐみなとくんに会えるね。
でもママのお腹の外では、生きていくことができません。
みなとくんに生きて会いたかったです。みなとくんと生きていきたかったです。
みなとくんの命の選択をママがして、本当にごめんなさい。
ママのわがままだから、ママのことを嫌いになっちゃうかな。
生まれてくるときは、みなとくんが苦しくないといいな。
優しくて温かいおそらの世界に行ってくれたらいいな。
たまに夢の中でママに会いにきてくれたら嬉しいです。
ママがおそらに行ったら、会ってほしいな。
みなとくんは私たち家族の大切な次男です。
一生、今の気持ちを忘れずに、みなとくんと一緒に生きていきます。
ママのお腹の中を選んでくれて、育ってくれて本当にありがとう。
みなとくんと過ごせた17週間、本当に幸せでした。
心から愛しています。大好きだよ。
ママより