運命に導かれた、そのさき
こんにちは、Miriです。
わたしのnoteを見つけてくださってありがとうございます。
以前より記載している内容の続きになります。
以下の記事には、妊娠、出生前診断、中期中絶の内容を含みますのでご注意ください。
わたしのお腹の中に来てくれた第2子の小さないのちは、17週でお空に帰りました。
妊娠12週に出生前診断として胎児ドックを受けた結果、赤ちゃんに重い心臓に疾患がある可能性が高いことが分かりました。
純型肺動脈閉鎖症 または 重症肺動脈狭窄症 の可能性がある
右室低形成、動脈管が細く血流は逆行性である
高圧の右室内圧により三尖弁逆流を認める
疾患に伴い、左優位の胸水を認める
2週間後の妊娠14週に、赤ちゃんの心臓の成長に合わせて、専門の医師に再度診察してもらう予定となりました。
その時には、今後の方向性は見えてくるだろうとのことでした。
その日まで、私たちはなるべく普段通りに過ごしました。
夫とともに赤ちゃんに声をかけたり、お腹の撫でたり、絵本を読んだり、たくさんの愛情をかけました。
3歳の長男に「お腹の中に誰がいるの」と聞くと、「赤ちゃん」と言ってくれました。
優しい、穏やかな時間を過ごしました。
でも心のどこかで、赤ちゃんの命についてどうするのかという考えは消えませんでした。
この時点ですでにわたしは、このまま妊娠を継続し、出産し、育児していくことが難しいと思っていました。
しかし、せっかくわたしのお腹に来てくれた、かけがえのない命です。もちろん、産んであげて、可愛い赤ちゃんに会って抱きしめてあげたい。
生後の手術がうまくいけば、生きていける可能性も十分にあります。でも、その後生きていくのに大変なことばかりを考えてしまいます。多くの困難が待ち受けているはずです。
疾患を持つ子供と生きていく私たちの人生が大きく変化すること、赤ちゃん自身への身体の負担、手術をした後の不透明な予後、長男への負担…。
育児は綺麗事ではない、と誰かに言われたことがあります。
今のわたしには、自信をもって産めるとは言えませんでした。
疾患を持つ子どもを育てている方はたくさんいらっしゃいます。
それでも疾患を持つ子を育てることに困難ばかりを想像してしまう、わたしのわがままなのです。
わたしはこの子を産まないという、赤ちゃんの命を選択することを考えていました。
毎日心の中で葛藤しました。
今わたしのお腹の中で一生懸命生きている、そのいのちの選択を考えてしまう自分自身が嫌になりました。なぜ私たちの子供がこのようなことになるのだろう、と神様と運命を恨みました。現実が変わらないことに絶望しました。
夜寝る前になるととめどなく涙が出て来ます。眠れたとしても悪夢を見ることが増えました。夜中にふと目覚めてしまい、そこから深く眠れなくなりました。夜中に声をあげて泣くようになりました。
夫はそんな気持ちに寄り添い、そっと抱きしめてくれて、一緒に泣いてくれました。
長男はいつも通り、可愛い笑顔でお喋りをしたり、歌を歌ってくれたり、私たちのそばにいてくれます。長男の存在が、私たちの心の支えでした。
どんなに苦しくても、辛くても、長男のために生きていかなくてはいけない。現実から、逃げてはいけない。
妊娠14週
妊娠14週になりました。
午前中は産婦人科クリニックでの妊婦健診でした。そこのクリニックには、赤ちゃんの疾患のことや今考えていることは伝えていませんでした。
超音波検査ではお腹の中で元気に動いている姿が見えて、心臓もしっかり動いていました。妊娠14週としては問題なく、健診を終えました。
夕方、実家に長男を預けて、胎児ドックのクリニックへ向かいました。
診察まで少し時間があったので、夫と一緒に海が見えるカフェに立ち寄りました。
夕陽が綺麗に映えていました。
温かいカフェラテを飲みながら、海の匂いと風にあたって、夫とお腹の赤ちゃんと穏やかな時間を過ごしました。
心臓専門の小児科医師により、超音波検査が開始されました。
丁寧にじっくり、赤ちゃんの心臓を見てくれて、1時間以上は診察してくれたと思います。
妊娠初期の超音波検査には私自身は自信がないため、不安な思いでエコー画面を見ていました。右室が成長していて欲しい、肺動脈が見えてほしいと願いながら。
長い診察の後、説明を受けました。
今回の診察で分かったことは、
機能している心室は左にある心室のみで、右心室は非常に小さい
房室弁は僧帽弁のみで1つ。三尖弁はほとんど開いていないか、小さくて機能していない
今回の診察で分からなかったことは、
肺動脈が確認できなかった
肺静脈が確認できなかった。妊娠週数の限界でもあると思われる
今回の診察のみでは診断名は分からず、治療のこと、生後の予後のことについては説明できないとのことでした。
妊娠17週となる4週間後に、再度診察予定となりました。この日には、超音波検査で心臓がよく見えるだろうと、この子の診断名や治療、予後のことを説明できるでしょうとのことでした。
診察で分かったこと、そして分からなかったことを明確に説明してくださり、とても信頼できる医師だと思いました。
そのような医師に巡り会えて、丁寧な診察を受けられていることに、心から感謝しました。
クリニックを後にして、長男の待つ実家に帰りました。
変わらない愛おしい長男の笑顔が待っていました。普段は甘えてこない長男ですが、帰ってきた瞬間に走ってきて、私と夫を抱きしめに来てくれました。
母のおいしいご飯を食べました。やさしい時間でした。
眠る前、長男の寝顔を見て、夫に抱きしめられながら、嗚咽しながら泣きました。ひたすらに涙を流すことしかできませんでした。
右室や肺動脈が成長していてほしかった。しかし、この子の心臓が重症であり、手術や治療が必要になるであろう、厳しい現実は変わりませんでした。
誰も悪くないのに、自分を責める気持ちが消えません。どうしてわたしの子どもなのだろうと思ってしまいます。
そして、赤ちゃんのいのちの選択を現実的に考えることにしました。
「母体保護法」という法律により、中絶手術が受けられるのは妊娠22週未満(妊娠21週6日)までとされています。
妊娠12週を過ぎたあとの妊娠中断は、中期中絶と言われます。妊娠11週6日まで受けられる手術とは異なり、妊娠12週以降は経膣分娩をすることになります。
妊娠週数が進むほど、分娩時の母体への負担や、こころへの負担も増えてくると言われています。妊娠週数が早いほうが負担が少ない可能性もあります。
ですが、4週間後の診察までは、この子をお腹のなかで育ててあげたいと思いました。夫も、同じ気持ちでした。
つらい気持ちが増えるだけかもしれない。でも、ちゃんとこの子に診断名をつけてあげて、夫婦で納得した上での妊娠中断をしたいと思いました。
お腹の中で正期産まで育ててあげたい、この手で産声をあげる赤ちゃんを抱きしめてあげたい。
その気持ちは消えません。でも、私たちの考えに変わりもありません。
妊娠中断をすることが正しい決断なのか、それは分かりません。間違っているという意見があってもおかしくないと思います。
夫婦でたくさん悩み、苦しみ、そして決めたことは、わたしたちの「答え」だと思います。
そして、一生この気持ちをわたしたちが背負っていく。
妊娠17週を迎えるまで、赤ちゃんは一緒に生きてくれました。
お腹のなかでは、手足を動かしたり、ぐるぐると動き回って、お腹の中では楽しく過ごしてくれていたのかなと思っていたいです。
仕事をしているときは、気持ちは切り替えられていました。
直属の上司に報告し、今後のことも相談しました。休暇をとることもできると言ってくれましたが、わたしは仕事をしているほうが、何も考えなくてすむので楽な気がしました。
夜は、やはりいろいろと考えてしまうので毎日泣いてました。
身体は疲れているので寝付けるのですが、夜中にふと起きてしまうこともありました。その後はなかなか寝付けなかったり、悪夢をみることが増えました。
夜中でも泣いていると、夫はすぐに起きてくれます。
何も言わず、抱きしめてくれました。
長男は寝る前になると、わたしのお腹の近くに、お気に入りのおもちゃやぬいぐるみを置いてくれます。「赤ちゃんにあげる」と笑顔で言ってくれます。お腹をさすってくれたり、絵本を一緒に読んだりしました。
わたしが嬉しくて泣いていると、わたしの頭をよしよししてくれます。
普段はわがまま怪獣さんな長男ですが、こんなに心優しい子に育ってくれた。お兄ちゃんになったら、赤ちゃんにもこんなふうに一緒に遊んだりしてくれてるのかな。
穏やかでしあわせな気持ちと、それが叶えられない現実への苦しみが、入交
じっていました。
休日は夫と長男と赤ちゃんで、家族でお出かけをしました。
買い物したり、ご飯を食べに行ったり、遊んだりしました。
わたしと赤ちゃん二人で、ふたりきりでお出かけもしました。
かけがえのない今を、一緒に想い出をたくさんつくりました。
妊娠17週
妊娠16週、妊婦健診を受けているかかりつけクリニックを受診しました。
赤ちゃんの現状を報告し、胎児ドックでの再診を受けたあと、中期中絶を考えていることを伝えました。
このクリニックで中期中絶できることを確認しました。
妊娠17週になり、胎児ドックのクリニックでの再診察日を迎えました。
同じ医師に、丁寧な診察をしてもらいました。「今日は心臓がよく見えます」と言ってくれました。
診察を終えて、説明を受けました。
本日の所見としては
右室が小さい
肺動脈が細い。肺動脈弁がふさがっている
動脈管が逆方向に流れている
右室と冠動脈がつながっている
そして診断名は
純型肺動脈閉鎖症(心室中隔欠損のない)
右室低形成
冠動脈類同交通
治療方法は今後の右室の成長状況によって異なる可能性があるが、おそらく右室は成長していかず小さい状況ため、フォンタン手術になるだろうとのことでした。
この手術を扱っている病院が限られており、県外での病院での出産になること。
出生後すぐにNICUに入院し、プロスタグランジンを使用して動脈管を閉鎖しないようにする。
生後1ヶ月、生後半年、体重が10kgになる2歳くらいに分けて、手術を受けることになる。
フォンタン手術の成功率は9割ほどである。
術後に様々な課題があり、フォンタン術後症候群と呼ばれる。長期的課題が出てくるかは個人差があり、予後は不良となる可能性がある。
医師からの丁寧な説明を受け、夫婦で現状を理解し、納得することできました。
そして、わたしたちの気持ちに寄り添ってくれました。
このような厳しい状況であるからこそ、医師は中立した立場で話す必要があると。どのような決断をしても、ふたりで決めたことなのだから、赤ちゃんは理解してくれると話してくれました。
信頼のできる医師に、この子の心臓をしっかり診察してもらえたことは、わたしたちは幸運なのだと思いました。
夫と再度、赤ちゃんのことについて話し合いをしました。
わたしたちの決断は、この子は産まないことにしました。
出生後、適切な治療、手術を受けていけば生きていける可能性はある。
しかし、術後の経過は不透明なこと、フォンタン術後症候群は予後が不良なことを考えました。
この子が成長したとき、わたしたちが必ず生きている可能性は絶対ではありません。
フォンタン術後症候群を発症した場合、この子の心身に大きな負担をかける可能性があること。そのときに苦しい思いをさせてしまう可能性があること。
わたしたちがこの世にいない場合は、この子を支えるひとが長男となる可能性があること。長男には長男のためだけの人生があること。
純型肺動脈閉鎖症のお子さんを育てている方のブログを拝見しました。
その方の生き方を否定するわけでも、予後に必ずフォンタン術後症候群が起こるとも言うわけではありません。
わたしたち夫婦が考え抜いた決断というだけです。
赤ちゃんにとってはわたしのわがままです。赤ちゃんは生きたいはずなのに、生きていくことができなくなってしまいます。いのちの選択をしたわたしを、恨むかもしれない。
今後二度と妊娠できなくなるかもしれません。産まないというこの決断を、のちのち後悔するかもしれません。
それでも、この苦しい思いを、後悔を一生背負っていくと、そう決めました。
わたしたちの決断を家族に伝えました。
職場の上司に現状を伝え、分娩のために休暇をもらうことにしました。
かかりつけのクリニックに、中期中絶をする決断を伝えました。
翌日から、分娩のための処置をすることにしました。
そして、分娩の日を迎えることになります。
Miri