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女性が仕事をして「母」をやること~簡単じゃないんです

 生きていることは大変だと思います。そもそも人間は直立二足歩行をするだけでも大気の圧力を受けているわけです。人が生きるということは基本は一人で生存できるようにしなければならないのですが、息をして食べて排泄が出来れば生存は可能ですが、やはりそれだけなら生きる意味を問わずにはいられない。

 欲望があり自分が望むものを手に入れるのであれば仕事をしてお金を稼ぐ。お金を稼ぐのには社会のルールの中に身を置く必要があるので、個人経営だろうと会社員であろうとお金を得るための代償として自分の時間を使っている。

どんな仕事だって大変なんです。雑誌とかで見るような素敵なライフスタイルがあって、仕事も家庭も充実してます。なんていうのはなかなかないと思います。

 いまでこそ、中間管理職になれば細かい事務作業はないけれど打合せや問題解決のための取り決め、運営管理や部下の事務処理の管理をする。会議の場にいないということは、それだけで職務を全うできず失格になってしまう。
別に自分がいなくても大丈夫なんていうことは無く、話が変わってしまうことになると自分のやってきたことが木っ端みじんになる思いです。
 職場の理解というのはあるけれど、それは気持ちの上で少し楽になるだけ。業務的には決して楽ではなかった。かといって子供が熱を出したなんて連絡が入ると、速攻帰らなければならない。

中には、夫が帰るべきか自分が帰るべきかと揉める夫婦もいた。ある夫婦はともに管理職だったため、会議の欠席ができない母親は会社に残り、夫が迎えに行ったが家に帰った後は子供を残してまた会社に戻ったそうです。母親が帰るまで、子どもは一人でいるしかなかったということでした。

子供がかわいそう

そういう言葉が聞こえてきた。実際その子はあまり話をしない子供になっていた。こんなふうに考えると、夫婦で仕事を仕事をすることで子供が理解して「いい子」に振舞うことにどこか不自然さを感じてしまう。いい子にしないほうがいいかもしれない。

子供はいい子じゃなくても大丈夫です。物わかりのいい子なんて本当はいないのですから、それを受け止めてだめなものはだめ、やれることはやる。何度も学校の先生に呼ばれました。息子たち二人ともです。

でも、それが大きな問題だとは思わなかった。やってはいけないことをしたときは激怒したけれど、あとは大したことじゃない。いつか自分で考えて生きるのだから、何がいけない事なのか考えさせた。

学校で怒られたからって、どうってことない。

他人にどうこう言われる必要はないと思います。一生懸命子育てしていれば、子どもってわかってくれます。きちんと説明してわかる年齢になれば、ちゃんとわかってくれる。今、私の息子たちは大人になりました。かなり家事を手伝ってくれます。二人で交代で。感謝です。  

身体は二つ無いのだから、どこかを手を抜かないと無理なんだと思う。
職場に行けば、性別に関係なく評価をもらえたのでやればやるだけ信頼ももらえたように思う。でも家に帰ると「お母さん」として子供たちに接する。

家に帰ると服を着替えると同時に仕事の顔もとってしまう。
だから家に帰ると私は本当に間抜けなのほほんとしたお母さんになってしまう。夫の前ではなんとか「いい奥さん」でいられるようにしていた。だってそのほうが楽しいからです。

 今思えばどうやってできたんだろう・・・なんて。もう一度やれって言われたらもう無理だなって思うくらい一生懸命で大変だった。
 良くしたもので人の人生で同じことを繰り返せない(年を取るということ)というのは、役割としてやるべきことはそう多くはないということだと思います。でも、「人生やり直せたら」なんて言う言葉があるけれど、今度は失敗しないという前提でも、過ぎた時間は戻せない。
 だから知恵をつけたら、新しい自分になって新しい時を迎えるように出来ている。そうやって積み重ねていつの日か「おばあちゃんの知恵袋」みたいになるんだよね。

毎日迷ったりこれでいいのかとか、些細な言い合いだってあるし・・・

何もないなんて言う日はありません。平穏無事な日々というのはある意味我慢の積み重ねだと思います。お互いが優しい言葉をかけられれば、うまくいくと思う。

ある男性…「うちは先に帰った方が夕飯を作ることになっているんですよ。だから家の近くまで来て、電気がついていなかったらどこかで時間をつぶすようにしちゃうんですよね・・・」ってこれを聞くと女性たちは怒るでしょうね。でも、私はわかるなぁ・・・なんて思いました。

 今の時代男の子も女の子も家に帰ると夕飯があって当たり前。そうやって会社に勤めて、やっぱり家に帰ると自分が育ってきた環境と同じだったらなおいいわけです。そこで、今までの役割論になるわけで、「お母さん」が作ってくれた夕飯、洗濯もぜんぶやってくれてて、家の掃除もいつもお母さんがやってた。という環境で育ったご子息・お嬢様が沢山います。

だから結婚すると、どっちがやるか・・・ってなる。ただ認識論というか経験論というか「お母さん」のお仕事のような感覚は双方にあります。で「女性」の仕事になってしまう。

 家事が嫌いじゃないのであれば、いいけれど女性だって得意不得意がある。掃除が好きでいつもきれいにしていたい人もいれば掃除は苦手だけど料理は好きという女性もいます。得意なことならあまり苦にならない。私は料理が好きなので、まさに後者ですが、仕事で遅くなると「帰ったら夕飯が出来てたらいいなぁ・・・」と思うこともあります。

大事なことは互いに文句を言わないことでしょうね。疲れるもん。

簡単なようで簡単じゃない。

女性は最初からお母さんとして生まれたわけじゃないから。結果的に性の役割どおり行っているけれど、学びながら成長しています。夫からだったり子供からだったり・・・

女性の皆さん

最初からいい子でもないし、いい女でもない。いいお母さんでもないしいい妻でもない。いつの日かそういわれる日が来るかもしれないけれど。すべては結果論だと思います。

自分としてはどういわれたいか・・・ではなくどうありたいかだけです。


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