愛とお金の関係性
相手のためにお金を使うということは、愛が存在することの裏付けとして信用に値すると思うのです。
今回は、夫にがっかりした話。
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今、私は夫と2人で暮らしているが、冷蔵庫は独身時代の極小冷蔵庫を使っている。要冷蔵の調味料が幅を利かせているのもあり、まともに食材を入れられるのは2段しかない。
食事はほぼ自炊しているので、冷蔵庫は常にパンパン...食材を冷蔵庫に入れるのには毎日苦戦している。平日に料理を作ったり買い物をするのは100%私で、土日も半分以上は私が負担しているので、私にとっては切実な問題だった。
なぜ今もまだ(※結婚してから3年も経つ。)それを使っているかというと、以前住んでいた家はメゾネットタイプの家で、大きな冷蔵庫を搬入できなかったのである。
だが今般の引っ越しで、晴れて大きな冷蔵庫を置くことができるようになった。なんなら家の選定にあたって、大きな冷蔵庫が置けることは一つの大きな基準であった。
だからこそ、私は引っ越して早々に冷蔵庫を買い替えたいと思っていた。そして夫と共に、家電量販店に冷蔵庫を見に行ったのである。
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これは家電あるあるだと思うが、大抵の家電は新型の家電のリリースと共に「型落ち」の家電の価格がグッと下がることが多い。店員曰く、冷蔵庫はジリジリと下がることが多いとのこと。買いたいと思っていた冷蔵庫は、今年1月に発売されてからジリジリと7万円ほど値下げされたらしいものの、私たちが見に行った時期は特段お買い得な時期ではなかった。
夫はこれに不満だった。
来年に新商品が発売されれば、又は年末商戦まで待てば、あと数万くらいは安くなるのではないか、今買う必要はないのではないか、と。私は極力早く買いたかったので、値段が下がるかどうかも分からないし、そこまで待たなくてもいいのではと言ったが、夫は納得しなかった。結局その日は冷蔵庫を買わず、帰路に着いたのである。
私もその日は「確かに3年間小さな冷蔵庫でやってきたのだから、そこまで急がなくても良いか」と一定の納得をしていた。しかし、昨日、「あのときの夫の考えは、家事を負担している妻を軽んじる発想だったのだ」とふと感じた。
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私たちは共働きで、2人とも正社員で働いている。ただ、残業は私の方が少ないので、私が家事を負担している。私も平日の帰宅は8時くらいになるが、そこから料理をして、夜遅くに帰ってくる夫に温かい料理を出しているのだ。自分で言うのもなんだが、まあまあ頑張っていると思う。
私はいつも、日曜の夕方から作り置きをつくる。(平日は仕事で忙しいので、作り置きがあるのとないのでは雲泥の差がある。)
大抵、多少は夫も手伝ってくれるのだが、昨日、夫はこれに全く参加しなかった。一昨日に1人で遊びに行った荷物の片付けをしていて、時間がなくなってしまったのだ。(私は土曜日の夜から「意外と片付けに時間がかかるから、早めにやっておきなよ」と言っていたのに、結局動かなかったのである。)
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昨日の夫の行動、そして冷蔵庫を買い渋った夫の行動から、きっと夫は私のことを心の底から労う気持ちが無いのだと思った。日々の家事に感謝していれば、そんな行動を取るはずがないのだ。夫にとっては、妻よりも何よりもお金が大切なのだと思った。
※なお、冷蔵庫のお金を出すのが夫・私のいずれであるかは未定である。(私が夫に「買わせようとしている」訳ではない。)また、共働きなこともあり、幸いにも現状お金にとても困っているということはない。
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愛があればお金はいらない、だとか、愛とお金のどっちが大事?だとか色々言われるが、そうじゃないと思う。
愛とお金は両立する。愛があるからお金を使うし、お金を使うから愛があることを証明できる。
お金と愛を切り離すことなんて、きっとできないと思う。お金があれば何でもできるからこそ、何にお金を使うかはその人にとっての優先順位を正直に映し出すのだ、残酷なくらいに。
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