
「恋人が欲しい」と「好きな人が欲しい」
大学時代、友人がよく「恋人が欲しい」とつぶやいていた。
私はその度に、何となく違和感を感じて、「好きな人が欲しい、でしょ?」と返していた。
だって、「恋人が欲しい」とは、単に「誰でもいいから付き合いたい」という欲求のように聞こえたから。
「好きな人が欲しい」の方が、もっと心に響くものがあると思ったのだ。
彼女は「恋人が欲しい」という気持ちに、少女マンガ的な感覚を抱いているように見えた。
当時の友人は「付き合うこと」が目的ではなく、自分の心を満たしてくれる相手がほしい。相手にドキドキして、ロマンチックな気持ちになりたいという気持ちが色濃い感じ。
だから、彼女の「恋人が欲しい」という言葉がどうしても私にはしっくりこなかった。
しかし、今考えてみると、大学時代の友人は単に恋愛をしたいだけではなく、「恋人がいる=大学生らしい、青春してる、大人、かっこいい、後ろ盾がいる」というある種の社会的なステータスを求めていたのかもしれない。
「恋人が欲しい」という言葉には、どこか安心感や社会的な期待が含まれている気がする。
それは、まるで「一人でいるのはもったいない」と言いたいかのように。
もし今、恋人がいない私が「恋人が欲しい」と感じる理由を挙げるとしたら、それはきっと寂しさから来ているのだと思う。
なにかを失った空虚さを埋めるような、少しだけ甘えた気持ち。
やっぱり「人生の相棒」が欲しいという願望が心の中にあるのだと思う。
相手と一緒に将来を描いていくことに安心感を感じるし、自分を理解してくれる存在がいることが、どこか心地よい。
恋愛という経験は、まるで自分が立派に社会の一部になれたかのように感じるのかもしれない。
「恋人が欲しい」という感情は、一時的な安堵やこの世界に自分がいる証の一つのような。
そういう満足感を求める側面も持っているんだろうなと思う。
一方で、「好きな人が欲しい」は、まるで少女マンガの世界に飛び込んだかのようなときめきを欲してるのだと感じる。
これは、純粋に「片思い」を楽しみたいからだ。
好きな人がいるという事実そのものがワクワクするし、その人とのちょっとした出来事や駆け引きで胸が踊る。
友達とキャッキャと恋バナをして、まるで自分が映画やマンガの登場人物になったかのように、ドキドキしながらその瞬間を過ごすのだ。
でも、「好きな人が欲しい」という表現は、大人になった私から見ると少し幼稚な気がした。
どこか楽しくて、可愛い部分がある。恋愛を通して、自分の感情をピュアに表現したくなる瞬間は、もうとうに過ぎ去ってしまった。
理想の恋愛関係について考えると、私はやはり「恋人」としての安定した関係が理想だと思う。
人生を共に歩んでいく相手がいて、良い時も悪い時も支え合い、理解し合える関係が一番大切だと感じるからだ。
相手にとって、私がどれだけ大切な存在で、私がその人をどれだけ大切に思えるか、その絆を深めていきたい。
実際に私は旦那に対して、ずっとそのように思っている。
恋愛は、ただ付き合うだけが全てじゃなくて、お互いに理解し合いながら、支え合って成長できる関係を築くことが大事だと、今は思う。
よく考えれば、もしかしたら彼女はそういう関係を築くことに憧れを抱いていたのかもしれない。
彼女には結局恋人はできることはなく、そのまま大学を卒業した。
あれから長い年月が経つが、どうか今の友人の隣にそんな「人生の相棒」がいることを願う。
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