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同志社大学の魅力:建物と歴史、そして新島襄の足跡

こんにちは、鈴木実麻です。

今回は、私の母校である「同志社」について書きたいと思います。
私は同志社中学校・同志社高校・同志社大学とエスカレーターで通ってきました。
正直、真面目に勉強した記憶はあまりないのですが、、、先生方にも友人にも恵まれ、とってもノビノビと育てて頂いたなと感じております。

京都の中心地に位置する同志社は、洗練された歴史、美しいキャンパス、そしてキリスト教精神に根ざした教育で知られています。

今回は、同志社大学の象徴的な赤レンガの建物、歴史、創設者である新島襄、そしてキリスト教教育について詳しく紹介できたらと思います。


1,同志社大学の建物

同志社大学のキャンパスは、歴史的な建造物と近代的な施設が調和しています。特に注目すべきは、「同志社礼拝堂」と「クラーク記念館」です。

①同志社礼拝堂

1886年に完成した建物で、同志社大学のシンボル的存在です。この礼拝堂は、中学生の時、毎朝礼拝に通ってました。讃美歌や聖書を通じて、とても正して頂いた記憶があります。結婚式や音楽会などの特別なイベントも開催されます。礼拝堂は、新島襄が掲げたキリスト教精神の象徴でもあります。

②クラーク記念館

1904年に建てられたレンガ造りの建物で、現在も講義や会議に使用されています。この建物は、日本の近代建築の初期の例として貴重な文化財となっています。外観の美しさだけでなく、内部のステンドグラスや木製の装飾も見事です。

キャンパス内には、その他にも「新島記念館」や「寒梅館」などの歴史的な建物が点在しており、訪れる人々に同志社大学の豊かな歴史を感じさせます。私の学生時代は、良く老夫婦が散歩されていたり、スケッチされていたりもしてました。

2、同志社大学の歴史

同志社大学の歴史は、1875年に新島襄が設立した「同志社英学校」に遡ります。新島襄は、日本の近代教育の礎を築いた人物であり、アメリカ留学から帰国後、キリスト教精神に基づく教育を日本に根付かせることを目指しました。

新島襄の教育理念は、「自由主義教育」と「国際主義教育」を掲げ、個人の自由と創造性を尊重し、国際的な視野を持つ人の育成を重視しました。この理念は、同志社の教育方針にも受け継がれていたと感じます。

「自由と責任はワンセット」この教えも、同志社の教育で徹底的に教えられてきたと思います。全ては自己責任であると。

3、新島襄の足跡

新島襄(にいじま じょう)は、同志社大学の創設者であり、日本の教育に大きな影響を与えた人物であると思います。彼は1843年に江戸で生まれ、1864年に日本を脱出してアメリカに渡り、キリスト教徒としての信仰を深めました。アマースト大学で学び、1869年に日本に帰国後、教育者としての道を歩み始めてます。

新島襄は、帰国後すぐに同志社英学校を設立し、キリスト教に基づく教育を提供しました。彼の教育理念は「徳性を高めること」と「知識を広めること」を重視し、生徒たちに自己の能力を最大限に引き出すように教えました。また、彼は女性教育の重要性を強く訴え、同志社女学校(現・同志社女子大学)の設立にも尽力しました。

※キリスト教教育の重要性

新島襄が同志社大学を設立する際に特に力を入れたのが、キリスト教精神に基づく教育でした。彼は、教育を通じて道徳的な価値観を学生に教え込むことの重要性を強く信じていました。そのため、同志社大学では設立当初から、キリスト教の教えをカリキュラムに取り入れ、学生の精神的な成長を促進しています。

中学生の時から、聖書の授業は凄く印象的で覚えています。人として大事な道徳的な部分を徹底的に叩き込んで頂いた記憶があります。キリスト教精神を尊重する学風は、学生たちが他者を尊重し、社会に貢献する人材へと成長するための基盤となっていると感じてます。

まとめ

同志社大学は、その歴史的な建物、新島襄の教育理念、キリスト教精神に根ざした教育、そして長い歴史に裏打ちされた教育の質の高さで知られています。
キャンパスを訪れることで、日本の近代教育の発展を感じることができ、新島襄の足跡を辿ることで、彼の教育への情熱と影響力を実感できます。これからも多くの優れた人材を輩出し続けるでしょう。

私も新島襄の意志をしっかりと引継ぎ、同志社魂を胸に、世の中に貢献できるように尽力します。

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