日々の営み ~地に足のついたルーティーン。それ自体の楽しさ。

「あー、メダカのえさやるの忘れちゃった!」
そう言いながら、私がちょっと遅れた午後にメダカにエサをやっているのを見て、息子が言いました。
「自動エサやり機にすればいいのに。」
旅行に行くときセットした自動エサやり機を見ていて、息子はそれが便利だと思ったのだろう。

咄嗟に私はこう答えた。
「でも、エサ自分でやらなくなると、ママ、メダカのこと忘れちゃうから。
メダカが元気かなーとか病気になってないかなーとか見なくなっちゃうから」

その会話が、後になっても何度か頭に浮かんで、もやもや頭を巡っているうちになんとなくわかった。
「私は、メダカのお世話をするのが好きなんだ」

メダカは、
犬みたいになでなでして気持ちいいわけでもないし、
甘えてくれるわけでもないし、
まあ、正直そんなに可愛いものではない。

でも、それほど面倒くさいと思わずに1日3回エサをやって、
週に1回水を変えて、
変わりはないかなーと一日に何回も目にかけるのは、
世話すること自体が好きだからなんだと思う。

そこには何の見返りも期待していない。
期待しているとしたら、元気に生きていてくれることだけか。
エサをあげて、毎日ぱくぱく元気に食べてくれて、気持ちよさそうに泳いで、夜になったら水槽の中で静かに休んでいる。
そして、気づいたら、なんかちょっと大きくなったかもとか、なんか体が赤くなってきてかも、とか変化が分かるとより嬉しいかもしれない。

世話している、育てている、元気にしている姿を見る。
そのルーティーンを回しているだけで、特に何かを獲得しようという目的はなくて、それでも嬉しい、やりたいという感覚がある。

目的は何か?と常に問われる今の世の中にあって、
自分でも、目的が不明確なもの、ゴールがはっきりしていないことは
よくないこと、みたいな感覚があるけれど、
目的はない、
けれど、地に足のついた活動
日々の営みを回しているということ、
それだけで満たされるものがある。

この日記を書いていることもそう。
特に書いて、お金をもらおうとかいうことではない。
何かを作り上げようとしているのとも違う。
書いて、自分の内面の解像度を上げる。
人間って、こういう面もあるんだなーと気づく。
人生って面白いな、温かいな、と思えるようになる。
もし、どこかで誰かが共感してくれたとしたら、それはおまけのようなものとして嬉しい。
そういうルーティーンというか、営みが好きで、自分の日々に根差しているような気がする。

自分の内面とつながる喜び。自分の本心を知る喜び。
なんとなく感じている違和感を少し理解できたなと感じる喜び。
その状態自体が、自分の人生を満たしている。

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