意志を持って歩いていく
昨日、セッションを受けた時に録音していた
音声を聞き直した。
会話の内容は覚えているようで覚えていないし、
メモをすることに夢中になりすぎると、
セッションへの集中力が欠けてしまうからだ。
集中力が欠けると、
聞かれていることの本質が見えなくなったり、
自分が感じていることを言語化する際に
言葉の表現が適当になってしまうことがあって、
それが残念なのだ。
なので、可能な限り録音して、
セッションに集中できるようにしている。
さて、録音していたものを聞き直して、
自分で自分に驚いたことがある。
自分がどうしたいのか。
ということが、全く伝わってこないのだ。
それっぽいことは話しているのだが、
言葉がふんわりしていて抽象的だし、
なにより、
言葉にエネルギーがない。
熱意が感じられない。
「ねぇ、本気で考えてないよね」
と、自分で自分に問いたくなる。
(セッションで実際、そう聞かれたしね。)
悩んでいる風(ふう)
頑張っている風
迷っている風
大変風
忙しい風
を装って、巧妙に逃げている。
それがひしひしと伝わってくる自分の声。
何かを決めて進みたいと思い、
でも決められないということに悩み、
お金と時間を費やして相談をしてみても、
決めることができないというのは、
決めるつもりがない
のだ。
私もカウンセラーなので、それはわかる。
(なぜ自分事となるとわからなくなるのだろうね。)
もちろんそれは無意識。
だからこそ、それが意識化できるまで、
同じところをぐるぐると回って繰り返してしまう。
実のところ、根本では問題が解決してしまうと困るのだ。
解決してしまったら、行動せざるを得なくなるし、
現実に直面せざるを得ない。
それはなかなかエネルギーが必要だし、
時に痛みを伴うこともある。
だからこそ、のらりくらりと言い訳をして、
直面しないように避け続けてしまうのだろう。
過去にそれに似た体験をしたことがあると、
なおさらかもしれない。
けれど、一度こうして言葉にすることができて
自分の外側に出すことができた瞬間から、
気付きとなり、
意識化に変わり、
癒しが始まる。
そこからは自分の意志次第だ。
楽な方に、傷つかないように、
今まで通りのルートを選びたくなる。
でもそのルートは、
今まで歩んだ道と同じ景色だ。
それを見続けたいならいい。
それを体験し続けたいならいい。
でも、もう次の景色を見に行きたいのなら、
別のルートを歩めるような選択が必要だ。
だからこそ、何度も何度も、
自分自身に問い直して、選び直すのだ。
自分はどうしたいのか。
そのためにこの選択は正しいのか。
そこに自分の意志があるのかどうか。
それは自分の中にしかない判断軸。
そしてそれは、直感かもしれないし、
分析の時も、熟考することもあるだろう。
正解などない。
正しさとは、自分にとっての美しさかどうかだ。
美しく生きること。
自分の意志をもって歩いていくこと。
私はこれから、この点を実に大切にして、
日々を丁寧に生きていこうと思うし、
そういう思いを綴っていこうと思う。