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2. 地味で大きな変化

ご飯を食べながら、唐突に質問をする、ということをよくする。

今日も朝ご飯を食べながら、同じメニューを食べている夫に聞いた。


結婚してからの時間の中で、私が一番変わったことってなぁに?


しばらく何の反応もない、沈黙の時間が続く。

この沈黙の時間は、夫が頭の中で情報を整理したり、どんな言葉で伝えようかと考えている時間、らしい。

私にとってはこの沈黙の時間があまりにも長く感じて、初めの頃はいつもイライラしていた。

もっと早く言葉にできないの?って迫ったりもしていたなぁ。
(あぁ、若かったわたし)

いつもの夫のその時間を、安心して待っている自分に気が付いて、私も成長したもんだ、なんて感じていた。


「不安が、ないでしょ?今。それじゃないかなぁ。」


考える時間が長い割には、ものすごく少ない言葉の数で表現するもんだから、いつも拍子抜けする。

なんか、もっと、話してくれたらいいのに。

と、思わなくもないけれど、的を射ていることが多いから、おぉ…となる。そして、図星過ぎて、あいたたたぁぁぁ…となることも多い。


そう。
まさに。

不安がない。

これほどまでに的確な言葉が返ってきて、ぐうの音も出なかった。


結婚した12年前、長い婚活の末に出会った彼と結婚がトントン拍子に決まって、乗りに乗っていた時期だったけれども、まだまだ私の原動力は「不安」だった。

そしてそこからまだまだ、不安を原動力にして私は生きてきたんだなぁと、しみじみと想いを馳せる。


私はガチの婚活を経ての結婚だったけれど、そこまでして結婚をあきらめられなかったのは、結婚したいという思いが強かったのもあるけれど、結婚しなかったら絶望しかない、という不安を払拭したくて、それこそが原動力であったのも事実。

ちなみに、なぜそこまで結婚がしたかったのか?という根拠はいまだよくわからない。でも、実際、結婚しない人生というものが全く描けなかったことは事実。周囲がうるさかったからとか、プレッシャーがあったということではなくて、純粋に自分がそうしたかった、ということは間違いない。


人生最大の不安であった、結婚しない人生ではなく、結婚した人生を歩むことになったら、今度はまた違う不安材料を探し始めた自分がいた。

子育てがどうだ、仕事との両立がどうだ、自分の時間が確保できないからどうだ、本当にやりたいことがどうだ、なんだ、かんだ。


そして私は、すべてをやった。

不安を言い訳にできる材料を一通り言い尽くして、もう言い訳することがなくなった時に、もう、この何もできないちっぽけな自分に降伏するしかなくなっていた。


私は何もできないし、何も持っていない。そして役に立たないし、わがままだ。

その自分に降伏する。

そう、その自分を認めて受け入れることしか、道は残されていなかった。


そして私は、少しずつそれを重ねてきたのだろう。


何もできず、何も持たず、役に立てず、わがまま。

でも、そんな私と共に過ごしてくれる人たちにたくさん出会えて、今ここを生きている。


それを幸せと呼ばずに何と呼ぶのだろう。


何もできず、何も持たず、役に立てず、わがままだけれど、

何でもできるし、すべてを持っているし、
与えることができて、受け入れることもできる、

そんな自分がいることも知っているから。


できる自分を知っているからこそ、できない自分に優しいまなざしをむけることができるんだ。


そしてそれをいつも見守っていてくれる人がいるからこそ、私は今日もわがままに、自由に飛び立っていけるのだ。


私は、もう不安はない。

今の私の原動力は、信頼だ。


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