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私に流れ込む奇跡
2024年11月24日(日)瞑想のやり方
瞑想っていいらしいということは常々聞いていたけれど、怖くてできなかった。怖さの理由は、私の根っこのネガティブさや怖がりが顔を出して、目を瞑ると心配事や怖い映像、黒歴史など嫌な記憶がどんどん浮かんできて瞑想をダメにしてしまう気がして、敬遠していた。でも興味はあった。
私の好きなミディアム、リカコさんのブログで瞑想のことを書いていて、これは瞑想をはじめるチャンスだ!と思い、セッションを申し込んで瞑想のやり方を聞いた。
リラックスして目を閉じる。自分の身体の周りにオーラがあると想像してみて、とリカコさんからガイドがある。そのオーラの色を、オレンジにしてみて、次はピンクに、とリカコさんから指示が入る。想像で、身体のまわりのオーラを想像して、リカコさんのガイドのとおりに色を変えていく。うまくいってるかどうかはリカコさんが「いい感じに薄いピンクになってきましたよ」とかコメントをくれるので、それで把握する。オレンジはうまくいかなかったようだ。
頭のうしろと右眉のあたりにくすみがあるので、それを祓ってみましょう。風が吹いてくすみが散っていくイメージで。リカコさんのガイドでそれをやってみるがなかなかうまくいかない。喉元から胸元にかけてもくすみがあるので、祓ってみましょう。リカコさんのガイドでくすみを祓っていく。このくすみは失恋の傷心によるくすみだろうと思った。
「じゃあ次はオーラの色を青にしてみましょう」と言われて、私はコンロの青い火を思い出して想像した。コンロの青い火が私の身体の周りを取り巻いているような。するとリカコさんが「コンロの青い火をイメージしましょう」といったので驚いた。
コンロの青い火という具体的なイメージがうまくいったようだ。次は緑にしてみて、と言われてしばらくすると「今、見える世界がかなり白っぽくないですか?」と声をかけられた。そういえば瞼の裏が乳白色だ。リカコさんに「いま、入りましたね。瞑想状態です」と言われ、そう言われればそんな気がした。ふわっと浮いて軽くなったような。リカコさんが「この状態を数分キープしましょう。音楽をかけますね」と声をかけた。
このように、自分の意識は保ったまま、ゾーンに入るというのか、ちがう次元に浮遊する感じ。これが瞑想か。今までも特に意識はしなかったが、この状態になっていたことはある気がする。自分でそれを瞑想と認識していないだけで。
「はい、では泉に浮かんでみましょう」自分が青い泉にぷかぷか浮かんでいる。「なにをやってみたいですか」と聞かれた。表現したい、というフィーリングが浮かんできた。きっとこれが私の本音なのかもしれない。
リカコさんのブログで私の瞑想体験を取り上げてもらった。リカコさんはもうかれこれ10年ぐらいお世話になっている、年に多い時で2回ぐらいお世話になっているミディアムだ。
リカコさんから瞑想を教わってから、何度かお風呂の浴槽で自分でも瞑想をしている。うまくいっているかは、わからない。
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今日は昼に入院中の家族の見舞いに病院に行って、帰り道に気持ちがすっかり落ち込んでしまって(鬱っぽさは急におとずれる)、そこから気分は急降下。下がる一方だ。失恋の感情が悪化してひどい鬱状態になってしまった。
それでもお風呂に入ろうと、頑張ってベッドから身体を起こした。普段はシャワーだけなのだが、今日はなんとなく浴槽に浸かって、このあいだ習った瞑想をやってみた。目を瞑って意識を集中させていると、飛行機が飛ぶ音が聞こえて来た。意識をそこに乗せた瞬間、「あ、今入った」と感じた。たぶんだけど今、瞑想状態だな、と。飛行機の音をトリガーとしてゾーンに入ると、まぶたの裏に機内の自分が写った。どこに向かうのだろう。私は私の持ち物をバッグに入れて、どこかにそれを運んで世界に見せようとしているイメージだ。
それから、喉と胸のくすみを払おうとしたら、「手放したくない」という言葉が降りてきた。そうか、私、失恋から立ち直りたくないんだ。喉と胸のくすみは失恋の傷。痛みを手放してしまうのが嫌なんだとわかった。「大丈夫だよ。私の記憶にも相手の記憶にも、全部刻まれてるから」と言葉に出してみた。
2024年11月30日(土)行動に勝る開運なし ―ぬくみさんとの出会い―
ネット依存をやめて、ぐんぐん調子が良くなっている。外的要因で落ち込むことはあるし鬱は相変わらず急に襲ってくるが、自分との対話の時間が増えたことで、自分が変わってきていることを感じている。
長年克服できなかったネット依存から脱したのはある本がきっかけだったが、一度離れるともう戻りたいとは思わない。理由もなく無意識に開いていたものだったから、理由がないとわかれば戻る理由もない。
でもコツはあって、SNSのことをとことん悪く言うことで、戻る気持ちを殺している。別れた男のことをとことん悪く言うことで未練にけじめをつけようとするのと似ている。
SNSにハマると馬鹿になる、思考力が下がる、自分の言葉を忘れる、などなど。実際はまったく事実と異なり、SNSを上手に使って、自分の生活や人生に活かしている人は大勢いる。つまり自分はSNSを活用できなかったというだけの話なのだが、依存を絶つためにはSNSに悪者になってもらっている。
大谷一生さんとの出会いは一週間前だが、今日も素敵な出会いがあった。今日はそのことを書きたい。
大谷さんの絵との出会いを書いた日記。私はあの日の帰り道に花屋で買った薔薇の鉛筆画を描いて、気に入りの額に入れてトイレに飾っている。いくつか描きためたらこの薔薇も一緒に、どこかにアップするつもり。次はどんな絵を描こうかな。
今日は皮膚科に行った。長年私のアゴにいて、痒みのある大きなホクロをついに除去する施術に行ったのだ。帰りに遅めの昼を食べて、妹の誕生日のプレゼントを選びにいった百貨店の催事で、私がずっと探していた感じのごついターコイズのリングを売っているポップアップがあった。ケースに入ったリングたちから好きにはめてみていいと言われて、次々と選ぶリングがどれも8万、10万。どれも素敵だけれど買えないわ、と言うと「お客さんのお目が高いのよ、安いのも中にはあるわよ」と店主が笑った。それに気を良くして、どんどん試し付けを楽しんでいた。
私がひとつの15万円のターコイズリングを気に入ってしまって、でも15万円は今すぐ出せるお金じゃないから、次にお会いできるまでにお金を貯めておきます、と言ったのだ。店主はネイティブアメリカンのハンドメイドのターコイズジュエリーを現地で買い付けて、主に都内の百貨店や催事で販売している。「実は私、作家なんです」とその店主の女性が言った。するとビジネスパートナーのもう一人の女性がサッと私に一枚のチラシを差し出してくれた。こう書いてある。
株式会社NUKUMI 代表取締役社長 ぬくみ ちほ
NY市立大学にて文化人類額と美術史を専攻。帰国後、執筆活動のためネイティブ・アメリカンの地をメインに海外と東京を行き来する。著作本、翻訳本、共著本を15冊出版。
どこからそんな話になったのか全く思い出せない。でも、おそらく私が、ぬくみさんがNYに留学していたということや、執筆活動のために海外と東京を行き来しているエピソードなどに興味をもって食いついたのだと思う。でもそこからどうしてそんな話になったのか、全く思い出せないのだが、ぬくみさんがこう言った。「私は学校で講演などもやってたの。ある講演でこんな話をしたの。あなたの胸の中に火がある。みんなそれぞれ胸の中に火を持っている。その火に挑戦してみて。やりたいことを、やってみてと。あなたの中にも火があるはず」
私は驚いた。数日前のモーニングノートにこう書いたから。
火を育てるように、情熱を育てよう。火は放っておくと消えてしまう。風を入れて大きくしていこう。
こんなことを書いたばかりだった。「あります、私の中にも火が」芸術大学を出て、やりたいこともあったけれど自分で諦めたこと。そこから、アイデンティティを失ったまま会社員をやっているけれど、本当は海外で暮らしてアートをやりたいこと。気づいたら、ぬくみさんに全部話していた。ぬくみさんは、人をオープンにさせる何かがあった。ぬくみさんは力強くこう言った。「じゃあ、やろう。くすぶってるんだから」と。そして、自力で海外に行く方法やアドバイスをたくさんくれた。「あとは調べて、行くだけだよ。お金は用意しよう」そう背中を押してくれた。年齢やお金。できない理由を並べているのは自分だ。ぬくみさんはこうも言った。「私の中にもまだ火があるの。だから実現させるつもり。また本を書きたいの」
ぬくみさんと話していて、また同じフィーリングがあった。大谷さんと話している時に感じた「これは、ぬくみさんを通じて誰かが私にメッセージを送っているな」というインスピレーション。
私は15万円のリングはあきらめて、8000円の小さなターコイズのピアスを買った。私がピアスをつけて帰りたいと言うと、ぬくみさんは「3回息を吹きかけて」と言った。ターコイズは私を守ってくれるし、願い事を伝えたら聞いてくれるのだと。
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最近寝る前に毎晩読んでいる本に書かれていて始めた習慣の、モーニングノート(モーニングページが正しいのだけれど、モーニングノートがなんだかしっくりくるから、ま、いっか)をやりはじめてから、奇跡を引き寄せている。
今、これを書きながら、オスカー・アイザックの「ある結婚の風景」を観るともなく観ていたら、ジョナサンがセラピーにモーニングページを利用していると告白するシーンが出てきた。むこうではメジャーなセラピーメソッドなのかしら。
不思議なもので、私の情報源のほとんどすべてだったSNSをやめてしまっては情弱になるのじゃないかと怖かったのだが、デジタルデトックスをして私に流れ込むように入ってきたのはまるで神様が私に引き寄せたような不思議な出会いと、生きている感覚だ。
2024年12月1日(日)
最近はShigeo Watanabeが弾くZigeunerweisenばかりを繰り返し繰り返し聴いている。さみしい。私は寂しさには打ち勝てない。抗おうとしても無理だ。こいつとはしばらく格闘し続けなきゃならない。誤魔化せない。アトピーとか鬱と同じで、うまくつきあっていくしかない。
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窓を開けたら冬の快晴の風が気持ちいい。最近は目覚めてすぐにSNSを開く習慣はすっかりなりをひそめて、まずはモーニングノートを書く。ペンを走らせていると自然に目が覚めるので、休みの日も午前中に起きられるようになった。日曜日。風の匂いを感じながら窓際のベッドで本を読んでいる。ささやかな幸福を感じる瞬間だ。そうだ、昨日買ったYANAKA COFFEEのドリップ珈琲を淹れよう。昨日買い足した蓮の花のお香も炊いた。
今はモーニングノートを教えてくれた本と並行して、ロバート・ハリスのEXILESを読んでいる。これは私の愛読書で、もう何度読み返しただろう。このタイミングでまたこれを読んでいることにも意味がある気がする。なぜなら大失恋を迎えて、これからまた私の人生の新たなチャプターを描き直さなければいけないこのタイミングで、ロバート・ハリスは私に「人生で達成したい100のことリスト」を書いてみることをすすめているからだ。
100のリストはこれまで何度となく途中まで書いては忘れ去っていた。ちゃんと100書いてみよう。
僕に言えることは、「自分の道を行く」ということは、実際に旅に出るか出ないかという問題ではないということだ。自分らしく生きたいと願い、行動に出た人間は、みなその時点で、地図も羅針盤も役に立たない、長い航海へとすでに旅立っているのだと思う。要はそんなことを願い、行動に出られるかどうかということではないだろうか。
まず第一歩、踏み出すことだ、と僕は思う。その第一歩からすべての道は始まる。そして旅の途中、忘れてはならないのは、「自分らしさ」を、現実の社会で生きる大変さのせいで歪ませたりしてはいけないということだ。
人間にはすべて、自由に、溌溂と、情熱的に、つまり自分らしく生きる権利があるんだ、と僕は信じてきた。この思いが僕を常に支えてくれたし、砂漠の中、闇の中での道標になってくれた。
もうひとつ言えることは、どこにいようが、何をしようが、自分に忠実に生きていく者には運が味方してくれる、そして同じようなハートを持った仲間が集まってくるということだ。つまり「自分の道を行く」という旅は、決して苦悩だらけでも、孤独なものでもないということだ。
人はよく未来に対して不安になるが、誰にもはかり知ることのできない、未知なるものに不安になっても仕方ないと思う。あたりまえのことだが絶対とか保証とかいったものは、こと人生に関しては存在しないからだ。そして存在しないからこそ、自分次第でどんな人生だって手に入れられるのだ。時には不安になることもあるが、何年生きてきても自分にどんな未来が待っているのかとわくわくする。僕らしい生き方がどんな形になって僕の顔に現れ、僕らしく生きていることがどんな運命を呼び寄せるのかと、不安と期待の入り混じった、じっとしていられない気持ちにいつもなる。
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