コーヒーとチョコレート
2024年10月7日(月)
ここ最近ずっと鬱っぽさが酷くてどうしようもなかったが、今日は気持ちがいくぶん晴れている。
昨日などは仕事が暇だったので英語のテキストをぱらぱら開いて勉強でもと思いながら、どうしても気持ちがどんよりしてしまって、夕方頃には布団に横たわって目を閉じてしまった。
これはいよいよ心療内科で薬をもらわないとだめか、と思ったが、今日はすっきりだ。鬱心と秋の空だ。
夕方寝てしまう癖をやめて、なるべく今日の日付のうちに寝て、脱スマホ依存、一日一回は外を歩く、などを実行して健康に気を付けよう。ということで、さっそく少し歩いてきます。
2024年10月8日(火)
ダニーロが夢に出てきた。
ダニーロの故郷でのガーデンパーティを俯瞰で見ているような映像で、私もそのパーティに紛れ込んでいる。そんなわけはないのに私もいる、という感じで、自分も参加しているその様子を高い建物のテラスみたいなところから俯瞰で見下ろしている。
ダニーロはほかの誰かにプロポーズして、結婚したことになっている。きっと新しいパートナーもいるはずのそのパーティに、私もなぜか紛れ込んでしまっている。
シーンは切り替わって、なにかの発表会のような感じで私とダニーロが登壇していて、ダニーロがポケットから何かを取り出してあたかもパカッと結婚指輪を出すかのような仕草をするので、私が勘違いをして左手を差し出した瞬間、ポケットから取り出したものは水鉄砲で、私は顔にピュッと水を吹きかけられダニーロも観客も大喜びして笑っているシーンだった。
私の感情が映像になった夢だったと思う。
Why?という文字がたくさん浮かんだのが印象的だった。
どうしてダニーロは、私とは一緒にいるための努力をしてくれなかったのか。どうして私にはできなかったのに、ほかの誰かにはきちんとプロポーズをして、一緒にいる約束をしたのか。
どうしてあの時ちゃんと私の話を聞いて、一緒に考えてくれなかったのか。約束をしてくれなかったのか。今一緒にいられないのは、ダニーロが私に向かい合ってくれなかったからだ。
裏を返せば、一番向かい合って欲しかった時に逃げたということは、ダニーロにとって私は、どうしても一緒にいたい相手ではなかったということなのだ。
こうして永遠とも思われるほどにダニーロのことをnoteに書き続けているのは、もうすでに終わったことだと頭で理解していても、消化できない思いが消えずに残っていて、その未解消の思いを表し昇華させたくて書き続けているのだ。
それにしてもずいぶん印象の強い夢だなと思っていたら、ダニーロから何ヶ月ぶりかでメッセージがきていた。「どう、元気?」だけのいつものやつ。
私はこういうことがよくあって、ダニーロにかぎらず久々に夢に出て来たなぁと思ったその人から手紙が届いたり電話がきたり、ということがある。
私はあの件でずいぶんと傷ついたんだ、と改めて思った。
一度に大きな衝撃があったというよりは、なんとなくうやむやにされてじわじわと終わりを実感するタイプの別れだったので、笑いながら日常をすごし、忙しく仕事をしていて、改めて自分の心の傷の大きさを実感したことはあまりなかった。ダニーロは目には見えないようなスローペースで引き下がって、ゆっくりゆっくりと後ろを向き、そして去っていったからだ。でも、毎回noteを開けばそんなつもりはなくてもダニーロのことばかり書いている自分がいる。
もうダニーロを追いかけているわけではなく、癒えない傷の処理に時間がかかっているのだと思う。
あそこまでやったのに私は選ばれなかった、という卑屈な思いと、Why?の連呼。私が婚姻の書類を手にギリギリまでダニーロを追い詰めても(追い詰めたから)果たせなかったことを、ほかの誰かがすんなりと果たしているとしたら。
努力は必ずしも望む達成を連れてくるわけではない、特に相手がいる場合は。むしろ逆効果にすらなる時がある。それはわかってはいても。
ダニーロじゃなくてもっとそんなに苦悩しなくてもすんなりとうまくいく相手がいるよ、とよく聞くなぐさめも、ひねくれ切ってしまった私にはストレートに響かない。相手ありきのことに関しては幸せを手にいれることに全く自信がなくなっているので、パートナーも欲しいし結婚もしたいのに、行動に移せない。
そんなに傷つきやすかったり引きずるタイプならもっと相手を慎重に選べばいいのに、というツッコミはありつつ。
いまだにまだ、ダニーロのバカ、と一人部屋でつぶやいている。
2024年10月9日(水)老いと美容とからだの変化について
生理がきた。毎回生理がくるたびに、あと何年の付き合いかなと思う。ありがたいことに私は生理でも寝込んだり、学校や仕事を休まなければならないほど重くなかったので、生理はむしろ自分が女として生まれた実感や、生きている実感などを感じて妙な幸福感を覚えたりもする。自分をいじめすぎだろうと自分でもおかしくなるほどに自虐が止まらず落ち込んでいて、ふと下着が赤く汚れると、なぁんだ生理のせいだったか、と安心する。そういえばここ数日むしょうにチョコレートが食べたくなって、分厚いミルクチョコを買ってきてばりばり食べていたのだがこれも生理の前兆だったようだ。
髪型を変えるのが好きで、若い頃はベリーショート、それより短いピクシーヘア、髪の色もこだわりつくして雑誌の切り抜きを(スマホなどなかった昔だから)何枚も美容院に持参して、微妙なニュアンスの髪色を忠実に再現してもらったりしていた。今宿麻美さんのヘアスタイルが大好きで、今宿さんを切っているスタイリストさんの美容室まで通っていたこともあった。あんなにヘアスタイルで楽しめていたのも、元気な髪の毛があったからだと今になっては思う。
44歳の私は、「ショートバングスに胸の下まであるロングヘアなんていいな」なんて思って頑張って伸ばしているのだが、まず胸の下までが遠い。髪の毛が永遠に伸びない。三か月前の写真を見ているが、長さがほとんど同じだ。鎖骨ぐらいからずっと止まっている。
そしてこれはつい最近、誰かがふと私を撮ったスナップで気づいたのだが、髪がかなりうねっていた。それもナチュラルなおしゃれパーマ風などでは全くなく、大雨の中歩いてずぶぬれになってしまったような(別に濡れてないのに)ボリュームもなければぐにゃぐにゃの、一言で言えば汚い頭だった。自分の中ではまとまりのあるストレートのセミロングの想定だったから、驚いた。認知の歪みも甚だしい。家を出る前にちゃんと鏡を見ているはずなのに、時間の経過により自分でも気づかないうちに大雨の中を歩いてきたみたいに変化してしまうのだろうか。怖い。
実はコロナ禍のときに髪を伸ばしたことがあった。その時はなぜか髪がぐんぐん伸びて、コロナ禍で美容院へ向かう足も遠くなったこともあり、念願の「胸の下まで」を達成した。記念に写真を何枚も撮ったが、今見返しても自分でもかなりいい感じだと思う。母親の悪口がうるさくて(うちの母親の病的なルッキズムに関しては今度また書くかも、書かないかも)自分でも自信がなくなってきてバッサリ切ってしまったのだが、あの快進撃が私の髪の毛の最後のがんばりだったのだろうか。
あれから3年ぐらい経つうちに、髪質が変化してきた。あまりの伸びなさに自分の見た目に飽きてしまう。そして髪に艶がなくなってきた。髪を下ろしているとバサバサでうねって汚い印象に。しかも私は今インナーカラーをしているので、「綺麗とは言えない髪をなんとか色で工夫してみました」感がみすぼらしさを増している。髪が汚くておろせないので、結局おだんごヘアで誤魔化している。おだんごヘアにインナーカラーの金髪がまじって、いじわる婆さんみたいである。あと頭皮がむちゃくちゃ痒い。かきむしると白いフケが舞っている。
こんなふうに、何をしても徹底的に似合わなくなってきたのは、老いによる頭皮と髪の劣化だと今日気づいた(遅)。
この夏、なんとなく美容に力を入れようと思って買った美容本のヘアケアのページを開くと、髪を綺麗に保つには髪の洗い方からまず気を付けなければいけないらしい。シャンプー前の乾いた髪の状態でしっかりとブラッシング。そのあと湯でしっかりと頭皮と髪の汚れを浮かす。シャンプーはしっかり泡立てて泡に汚れを持っていかせる。すすぎ残しがないように、じゅうぶんにすすぐ。風呂上りはタオルドライとヘアミルク(濡れた髪にオイルは厳禁らしい)のあと、すぐにしっかりと乾かす。生乾きで寝るのも厳禁。これを今日から守っていきます。
2024年10月10日(木)
美容のことを書いたばかりなのだが、母親に顔をまじまじと見られて「60代に見える」と言われてしまった。生理で血液が全部奪われて顔は土色、貧血気味でふらふらなのに次々とくる仕事を息も絶え絶えでさばき意識は朦朧、かったるすぎて昨日は風呂をキャンセルしたのでボサボサの脂っぽい頭。仕方がなくおだんごヘアに束ねていたゴムをほどいた瞬間を見られてしまったのだから、そりゃ60代だと思う。顔のまわりのインナーカラーが余計に疲労感を演出してしまっている。
顔面に張りがなくなり、やせ型なので顔の下垂は目立たないが、よく見たらそれでも下垂している。頬がこけ、笑うとしわくちゃだ。最近歳をとったなとすごく思う。恋愛でもしてドーピングしないと自力だけで美を保つのは難しい。
2024年10月11日(金)statue 概念
自分が持ってうまれたボールをただ磨く。大事に大事に。人と比べて小さいとかしぼんでるとか色が悪いとか好きとか嫌いとかは考えない。まず人と比較して自分のボールがどうとかいう概念を捨てる。好きとか嫌いとか色がどうとかは絶対思って当たり前だけど変えられないから仕方ないので、その色をどう素敵に見せるかという方向に意識を向ける。他人は自分がうまれ持ったボールをその人なりに磨いたり活かしているので、自分が持っているボールと違うし磨き方もちがうものを見て「自分のは…」とか思うことは実はナンセンス。自分のボールが今どうか、ということだけを見ていればいい。ボールは芸術作品のようなもので自分次第で削ったり足したり磨いたりして遊べばいい。人のボールをけなしたり変えようとしてくる人とはプライベートでは徹底的に避けたほうがいい。余計なお世話だからだ。
2024年10月12日(土)
ダニーロに恋人ができていた。土曜の長い昼寝から目が覚めて、いつもは開けることのないイタリアのファミリーグループチャットをふとのぞいてみた。イタリアのファミリーグループは50人ぐらいの大所帯なので、元カノの私がいまだにまぎれていることなど誰も気にしていないだろう。
GifアニメのBuongiorno!のやりとりがほとんどの中、ダニーロが可愛い女の子とふたりで写った写真をアップしている。ダニーロが女性と親し気に写っている写真の多くは、ただの友達とか、レストランに来たゲストということばかりで(ダニーロはシェフ)、いつもは気にしていないのだが、この写真は明らかにちがう。ダニーロの表情だ。嬉しそうな、照れているような、「表情がある」顔。隣でダニーロに寄り添う女の子は一目すぐ見ていい子だとわかる性格の良さそうな、そして可愛い子で、この子も満面の笑顔で嬉しそうだ。ラテン系かな。私より10若いダニーロよりもさらに若そうだ。おそらく20代だろう。
もう一つぐらい彼女と写っている写真がみつかればクロだなと思い、タイムラインをさかのぼると、もう一つ、またまたダニーロがちょっと調子に乗って嬉しそうな、彼女とのツーショットがあった。クロだった。
ショックは否めないけれど、よかったなとも思った。いい子そうだな。仕事ばかりしてるダニーロにいい子がみつかって、幸せそうでよかったなと思った。写真のダニーロがコックコートを着ているから、同じ職場の子だろう。
何度か書いてるかもしれないけど、2021年の夏にダニーロの弟が事故死して、イタリアまで葬式に行ったときに「このまま一緒にいてほしい。このまま結婚しよう」みたいなこと言われたんだよな。ダニーロが絶望の中、私が葬式に来てくれたのが嬉しかったのだと思う。私はその時とりかかっていた仕事が楽しかったので断って日本に帰国。そのままダラダラ遠距離を続けてたんだけど、22年の夏に完全に破局したんだわ。
この仕事楽しい!っていう仕事にやっと出会えたのに、またそれをダニーロの都合で手放すの?という思いがあったのと、20年コロナ禍にスイスまで行って大いにすれちがったあれがトラウマで、この人に振り回されるばかりの人生どうよ…と踏み切れなかったのだった。
ダニーロ、ほんとに根がいい子なので、彼によく似合ういい子そうな相手が見つかって本当に良かった。
いつかダニーロとその子が健康な子を産んで笑ってる写真を見るんだろうな。私もなんとかして自分の幸せを探すよ。
数日前に見た鮮烈な夢とその残夢はこれの予兆だったのか、と思った。あれがあったから、急にダニーロと彼女の写真を見ても衝撃が薄かった。
しばらく放置していたダニーロからのメッセージに返信した。私は元気だということ、それから「よかったね、私も前に進まなきゃ」と。私はダニーロに本当に愛されていた記憶がしっかり残っているので、大丈夫。若々しく綺麗でいよう。