Room
最近はまたSATCばかり見ている。AND JUST LIKE THATを日本で独占配信しているサービスにさっそく加入してしまった。90年代に始まったSATCも全シリーズ見られるので、仕事が終わればベッドに転がり込んで、繰り返しみたエピソードを凝りもせずに何度も見ている。何も考えずにただボーっと見ていられる動画やSNSに何時間も時間を割いてしまう。
AND JUST LIKE THATでキャリーたちは50代になっていた。ミランダ役の演技が鼻に付く。キャリーの目はつり上がり表情もきつい。若い頃はよかったがロングヘアが彼女のシャープな顔には魔女のように見えるので、ボブかショートヘアがいいのではないだろうか?映画版SATCⅡの頃からその傾向が出てきていたが、キャリーのメイクが濃くなり、ドレスアップがだんだんと大げさになっている。彼女たちのライフスタイルもセレブリティのそれで、もう私が共感できる隙は全くない。残高が少なくてローンが組めないと嘆いていたキャリーはもういない。日常的にキャリーがかぶっている巨大な帽子は滑稽だし、スカートはどんどん肥大化していてまるで毎日がラグジュアリーブランドのランウェイだ。ちがう、そうじゃない。
ただの白シャツにジーンズ、またはシンプルなビスチェにシガレットパンツ。なのに4人の女仲間の誰よりもおしゃれ。なんといってもトレードマークのハイヒール。NYの街に溶け込んでいるのにキラリと目立つ、TVシリーズ時代のキャリーがやっぱり好きだ。あの頃の彼女のファッション(とライフスタイル)が見たくて観ているようなものだ。私もNYのど真ん中のアパートメントに住みシティライフを謳歌する小金持ちライターになってみたい人生だった。
当時、憧れで見ていたのに、憧れは現実のものにはならず、いまだ憧れのまなざしでラップトップの画面を無表情でみつめている。
Twitterも一度開くと無限に時間を費やしてしまうし、たとえばSATCは暇つぶしにコミックのページを繰るかのように次々とエピソードをクリックして、金曜の夜は気づけば土曜日の明け方になっている。
ここ一ヶ月の仕事の忙しさとそれに伴う人間関係の色々で、脚に蕁麻疹をつくり、鬱が劇的に悪化した。どうしても薬に頼りたくないので、ほんとうは朝早く起きて散歩をしたり、夜のスマホと夜更かしを辞めたりして自己治癒したいのだが、鬱がひどすぎて逆にそれができないので、また薬の力を借りようと思っている。薬で少しエネルギーが戻ったら、朝の散歩をやってみようかな(意思が弱いので自分に期待はしていないが)。朝の散歩は鬱に本当にいいと聞いた。
どんなに鬱が酷くても、逆に鬱だからか、部屋は常にきちんと片付いた状態にしている。私にとって自分が身を置く場所が片付いていないことはとてもストレスだ。物はいつも定位置にないとフリークアウトするし、小さなゴミも嫌だからすぐに捨てる。ゴミ箱のない空間は不安になる。前の晩、仕事を終えて片づける気力のなかった散らかったままのデスクは、次の朝いったん綺麗に片づけてから新しい一日を迎える。多少散らかった状態のままでもパソコンを開けば仕事はできるが、散らかった状態がとにかく嫌いだ。
それは執念に近いものがあるが、逆にこのこだわりで鬱が救われている面もある。散らかった状態が嫌いだ。鬱が重すぎてお風呂に2日入れなくても、部屋だけはある程度片付いた状態を保っている。
子供の頃から外遊びが嫌いで、一人部屋にこもって絵を描いて遊んでいた。今これを書いているデスクは小学校にあがるときに親に買ってもらったオカムラのジュニアデスクだが、物がいいので今でも傷を愛しながら人生をともにしている。私の形見はこのオカムラのデスクなのだが、大きすぎてお棺に入らないのが問題だ。
朝起きると窓を開け、花の水を取り替え、部屋に軽く掃除機をかけ、軽く拭き掃除をし、コーヒーを入れてパソコンの電源を入れる。
今、綺麗に片付いた部屋でコーヒーをのみながら、白檀のお香を焚いてこれを書いている。部屋は私のシェルターだ。この世知辛い世の中で唯一、自分を守ってくれる場所なのだ。