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硝子レンズは無色透明 1

2024/03/10 ビッグサイトにて開催されるJ.GARDENで発行予定。
オリジナルBL小説「硝子レンズは無色透明」の進捗を公開します。

プライベッタープラスに掲載しているのとほぼ同じ内容です。

テーマは「メガネ」
今回のJ.GARDENの特設ジャンル「メガネ」に合わせて絶賛執筆中です。


~あらすじ~
眼鏡工房で働くアンリは、金持ちから搾り取ることが生き甲斐と言って憚らない。
ある日、ブルジョワの放蕩息子として有名なジャンから眼鏡の注文が入る。
お金のためにと屋敷に通い詰めるうちに、アンリは少しずつジャンに惹かれていったが、ジャンが黒魔術師ではないかと疑われ始めて……

アンリ
19歳
結構な遠視。手元作業に眼鏡は欠かせない。
眼鏡工房の親方の養子で、口が上手いので最近は営業ばかりやっている。
好きなもの、お金。嫌いなもの、お金が減ること。

ジャン・コンスタンティン
24歳
眼鏡コレクター。すでに八本持っているが、もっと増やしたい。
新しいもの好きで学問・芸術・テクノロジーなんでもござれな多趣味浮気もの。学者の家系だが、黒魔術に関わっているとの噂がある。



「本当に一人で持って行くんですか? そういうの、見習いのあたしがお供するもんじゃ」
「いいから、お前は製作の方をちゃんと手伝えって。早く硝子を扱えるようになりたいんだろ?」
 アンリの大荷物を見て、職人見習いのミレーヌが声をかける。最年少の自分が荷物持ちをするべきだと。
 彼女の指摘はもっともだが、アンリの意見は違った。
「これは商談のための仕込みでもあるんだ。この量をお一人で運んで来られたのですか? って聞かせるところから話が弾むんだよ」
 今日の商談相手は変わり者で有名な若様だ。
 若様と言っても、貴族ではない。第三身分だが金持ちで、金で土地や官職を買った一族だ。最近はそこらの貴族より、こういったブルジョワジーの方がよほど金を持っている。
 アンリは今回もしっかりと客の情報を仕入れていた。
 新規顧客の名はジャン・コンスタンティン。学者の家系で、ジャン本人は周辺国を放浪し、最近まで隣国アエスティ王のサロンにも出入りしていたらしい。
 噂によればかなりのハンサムで、男女共に引く手数多。最新の機械や芸術が大好きで、金に物を言わせて買い集めるのが趣味だとか。
 いい趣味だな。
 アンリはにんまりと笑みを浮かべた。
「勝負なんだよ、勝負。相手をうんと言わせれば俺の勝ち、首を振られたら負けなんだ。今回は俺一人で行くのが勝ち筋なんだよ」
「また若は勇ましいこと言って。女癖が悪そうなドラ息子のとこに、ミレーヌは連れていかないって素直に言えばいいのに」
 パトリックが口を挟む。彼は年長の職人だ。喋ると白髪交じりの豊かな口髭がフサフサと揺れる。
「だからそれも策のうちだってこと。ミレーヌが百戦錬磨のブルジョワから言い寄られて、波風立てずに商売の話が進むもんかよ。面倒ごとはごめんだね」
「まあ、若はそういうあしらいが上手いからなあ」
 眼鏡を一から作る客は金持ちばかりだ。
 金が余っている人間はたいてい時間も余っていて、若くて見目の悪くない相手ならとりあえず粉をかける癖がある。その悪趣味の対象は、多くの場合男女の見境もなく、なんなら背徳的な方がいいという阿呆な理由で、わざわざ既婚者や出自の悪いものを囲おうとする。
 アンリはそういう遊びをいなすのが得意だった。
「たまには引っかかってやったらどうだ? 貢いでもらえばいいじゃないか」
「ちゃんと貢いでもらうぜ。俺のほしいものをな」
 見本のフレームをありったけ入れた木箱を持ち上げる。
 特別大柄ではないが、腕っぷしには自信があった。修業時代は鉄くずも井戸水も、見習いが全部運ぶのだから。職人は腕力がなきゃやっていられない。
「じゃあ、いってきます!」
 アンリが欲する貢ぎ物は、もちろん、なるべく高額な眼鏡の注文だ。

「アンリ」
 工房の集まる通りから、馬車道への角を曲がろうとしたところだった。
 薬局の女主人に声をかけられる。
「頼まれてた痛み止め、手に入ったよ」
 アンリが頼んでいたのは、出所が確かなローダナムだ。よく効く薬だが、混ぜ物や偽物も多い。多少値が高くてもしっかり仕入れしてくれるよう、近所の薬局に依頼していたのだ。
「帰りに寄るよ。これからお客さんの家で商談だから」
「待ってるよ。おまけにいいお茶を付けてあげる。これは親方じゃなくて、あんたのためだよ。いい人が見つかるよう祈祷してある茶葉だから、お願いしながら飲むんだよ」
「あはは、それは気遣いどうも」
「そろそろいい年なんだから、浮いた噂を流しなさいよ。その方が親方も喜ぶよ」
「どうかなあ。義父さんは恋愛するより仕事しろ、って言いそうだけど」
 帰りに寄ると、もう一度約束してアンリは再び通りに出る。
 嘆かわしい。
 アンリは溜息を吐いた。隣国アエスティは哲人と名高い王が学問と科学を推進しているのに、我が国サン・ラヴァンドゥは前近代的だ。
 街はいつも呪術で揉めている。違法な呪物の取引が行われたとか、無許可の占い師が営業しているとか、勝手に降霊会をやったとか、そんな馬鹿馬鹿しいニュースばかり。かと言って信心深いわけでもなく、資金繰りに困った神殿がこぞって「秘品」と称したガラクタを売りさばく始末。
 アンリは自分をかなりの現実主義者だと思っている。呪いとか祈祷とか、そんなものに効果があるとはとても思えない。呪物に違法も適法もないに決まっている。どちらも意味がないのだから。
 今は科学の時代だ。
 
 コンスタンティン邸はすぐに分かった。
 目印は南国風の赤瓦の屋根。周囲のほとんどが黒いアルドワーズの屋根なので、明るい赤い屋根は嫌でも目に付く。
 アンリは敷地の端に着いたところで、一度荷物をおろし、内ポケットのケースから眼鏡を取り出した。眼鏡屋が接客で眼鏡をかけていないなんておかしいし、アンリは細かい文字を見るには眼鏡がないと辛い。部屋の中での商談では欠かせないのだ。
 続いて手鏡で顔周りを確認、少し乱れた髪を撫でつけておく。最近手に入れたこの手鏡は使い勝手がいい。ポケットにちょうど入る大きさで、鏡面の歪みもほとんどない。
 よし、と己に声をかけて、コンスタンティン邸へと足を踏み入れた。今日も注文を取って帰るぞ。
「いらっしゃい。待ってたよ」
 ジャン・コンスタンティンは噂に聞いて想像したよりうんといい男だった。
 緩く波打つ黒髪と太い眉は、いかにも南国の血を引いている。それでいて瞳だけは青みがかった灰色だった。
 洒落者らしく、服装はアンゲル風のシャツとトラウザーパンツに、東洋風のガウンを羽織っている。ガウンのシルクの艶やかさが当家の財力を感じさせ、アンリはにやけそうになるのを誤魔化して頭を下げた。
「このたびはラコルデール眼鏡工房にお声をおかけいただき、誠にありがとうございます。私はアンリ。工房主の養子でして」
「まあ、まずは座って。堅苦しいのは苦手なんだ」
 窓際の椅子を手で示して、まずコンスタンティン氏が座った。アンリも正面に腰かける。
 どうやらここは噂の通りで、貴族のようなマナーや伝統より、気軽で自由な気風を好むらしい。遠慮しすぎるより、彼の好みに合わせて振る舞うのが良いだろう。
「それはフレームの見本かな?」
 氏はアンリが抱えていた荷物を、子供のような潤んだ目で見つめた。早く中身を見せろと、言われなくても要求が分かる。
 話しが早くてありがたい。
「初めてお目にかかりますので、なるべく沢山お持ちしてみました」
 テーブルを借りて木箱を置き、蓋を開けると、彼の瞳は一層輝いた。雪の日の湖面のようで、寒そうな色だが神秘的でもあった。笑顔は子供っぽく人懐こい。
「本当に種類が多いね。これは悩むなあ」
「今回はどのような用途の眼鏡をお求めですか?」
「とりあえず読書用を新調したいんだ。しばらく家を空けてるうちに父が蔵書を増やしててね」
 それなら、とアンリはおすすめのフレームを選び出す。
 読書用眼鏡は需要の高い品だ。神官も学者も行政官もみな、細かい文字を読むために眼鏡が欠かせない。
 コンスタンティン氏はいくつか手に取って眺めたあと、アンリがかけている眼鏡にも目を向けた。
「それもいいね。フレームはずいぶん細いのに、テンプルはこめかみなんだ。変わったデザインだねえ」
 詳しいな。アンリは素直に感心した。
 最近は金属フレームの細い者が流行りで、多くの場合は紐で耳にかける。それが最も軽量だからだ。しかしアンリがかけている眼鏡は、こめかみ部分で顔を両側から挟み込む少し古い形である。フレームの細さと、幅のあるテンプルの見た目がアンバランスに見えるので、変わったデザインだと指摘したのだ。
「私はよく眼鏡を掛け外しするもので、お客様の前でも髪が乱れにくいように作ってみたんです。短時間の装用なら痛みもありませんよ」
「やっぱり長くかけてると痛くなる?」
「そうですね、二時間もすると、多少は。家でゆっくり読書をなさるなら、ライディンググラスと似たデザインをおすすめしております。見た目にもすっきりして、コンスタンティン様のお顔立ちにもきっとお似合いになるかと。レンズの見本もありますので」
「ジャン」
 突然のことにアンリは目を開いて顔を上げた。
「ジャンって呼んで。家名で呼ばれるの、そんなに好きじゃないんだ」
 コンスタンティン氏は頬杖をついて、アンリの顔を覗き込んでいた。
 驚いたが、こういった要求も慣れたもの。アンリはすぐに表情を戻して頷く。
「では、ジャン様と」
 アンリが答えると、コンスタンティン氏――ジャンは歯を見せて笑った。目尻にしわが寄る。
 軽薄な色男ではないものの、なるほど、これはさぞやモテるだろう。こうして親し気に笑いかけられると、彼とお近づきになったと思い込みそうだ。熱を上げてしまう人が多いのも無理はない。

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