値札を堂々と確認できなかったのは、貧乏がバレたくなかったから
最近買い物をしていて、ふと「わたし、変わってきたな」と思ったことがありました。
それは、少々高そうなお洋服や雑貨のお店に行っても、堂々と値札を確認できるようになったこと。
これまでだったら、「これ素敵だな、欲しいな」と思っても、「すごく高かったらどうしよう」「お店の人に、『あの人値札を見てあわてて商品を戻したな、お金ないんだな』と思われたら恥ずかしい」とくだらない被害妄想を抱いて、こっそりと一瞬で値札を盗み見る、みたいなことしかできませんでした。
でもここ最近は、ゆったりと値札をめくって、「ふむ…この金額か🤔」と考えることができるようになりました。
それは、いままでは「値札=わたしがその商品を『買えるかどうか』を試してくるもの」だったのが、以前よりお金を稼げるようになったことで、「値札=その商品に『それだけの価値があるかどうか』をわたしが判断するもの」に変わったからだと気づきました。
ふうん、その値段なんだ。買えるよ?買えるけど、その値段相応の価値があるかどうかはわたしが決めるから。って。
わたしはべつに高級な服もアクセサリーもバッグも買わないので、身につけているもののレベルは学生時代からあまり変わっていません。だから、お店の人から見えるわたしの外見は昔とほとんど同じであるけれど(引き続きボンビーガール(?)に見えているかも笑)、単にわたしの内面の余裕が変わったことで、値札をゆったり見るということができるようになったんだなと思います。
誰かと比べて極端にお金持ちになったわけではないし、いつになっても貧乏性は直らないし、高いものにさして関心も湧いてこないけれど、でも、ずっと感じてきたあの肩身の狭さを最近感じずに済んでいるということは、ようやく一人前の大人になれた気がしてなんだかうれしいです。