わたしの推しは、わたしだ
わたしの仕事は楽しく勉強する方法を発信することで、だからわたしのフォロワーさんには小学生や中学生や高校生がたくさんいる。
そしてこのくらいの年齢の子たちにもれなくいるのが、「推し」だ。
YouTubeで質問コーナー企画を行うと、必ずといっていいほど「推しはいますか?」という質問がたくさん来る。きっとみんな素敵な推しがいるんだろうなぁ、と微笑ましくなる。
だけど、わたしの答えはいつもつまらなかった。
「推しはいないんです」
わたしは特定の対象に対して夢中になることがあまりない。テレビや映画、YouTubeなどを観ていて「この人素敵だな」と思う人は何人かいるけれど、その人のグッズを買ったり、イベントに参加したりということはしたことがなかった。
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2024年9月11日、わたしはフリーランス4周年を迎えた。
インフルエンサーの仕事は外からはきれいな部分や順調な局面のほうが見えやすいのか、「ご活躍だね」「どんどん影響力を広げているね」と声をかけてもらうことが多い。だけど、実際には体力も気力も尽き果てて動けなくなっている時期のほうが多いし、がんばれない自分に嫌気が差すこともしょっちゅうある。一年の半分くらいは不甲斐なさと自己嫌悪に落ち込んでいる気がする。
いつもいつも一体どうやってこの憂鬱から立ち直ってきたのだっけ、ともう何度目かわからない憂鬱にやられながら過去のnoteを開いてみた。すると、毎月の活動記録と気づきを記した「月報みおりん」や、フリーランスになってからの葛藤や発見を書き留めた記事がたくさん出てきた。
あぁ、がんばっていたんだな、と思った。
「ごきげんな勉強法」を世界に届けるために、そして自分との賭けに勝つために。
いまもがんばっているつもりだけど、独立してから1〜2年の間のがんばりはいまよりさらに烈しくて、なんというか切実だった。振り返ってみると、まぶしいなぁ、って思う。
あの質問の答えが、唐突にわかった気がした。
「推しはいますか?」
そう、わたしの推しは、わたしなのだ。
しんどくても、負けそうになっても、だましだましのペースでも、「みんながごきげんに勉強を楽しめる世界」を目指して、なんとかかんとか少しずつ前へ進みつづける。そういうわたしを、わたしは、全力で推してきたんだ。
それは自己愛や自己陶酔というよりも、自分で自分を応援しなきゃやってられない、という感じだった。わたしはフリーになった日から、一体何度「がんばれわたし、大丈夫だよ」と声に出してつぶやいたことだろう。
がんばれがんばれがんばれ。
大丈夫大丈夫大丈夫。
思えば、会社員のころだって、学生のころだってそうだった。しんどいとき、力が湧かないとき、わたしを推して励ましてくれたのは、わたしだった。
今日も思いどおりに動かない身体を引きずって、まったく理想どおりにならないスケジュールを呪いながら、わたしはわたしを推す。たとえこの先誰からも支持してもらえなくなってしまったとしても、わたしがあなたを推しつづける。だから大丈夫。大丈夫だよ。