値札のない世界
さて、とある町にやってきたナムとカドゥ。
ふたりの目的はこの町で有名なツアーに参加すること。
しかし、どうやら様子が変です。
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カッパドキアでは毎日雨が続いてしまい、恐ろしい値段になっている気球ツアーに参加しました。
高かったけど参加して本当によかった。そして、お値段以上にちょっと得したことがありました。
飛行時間が大幅に伸びたのです。
私達の乗った気球は着陸地点が見つからず迷走し流され続け、飛行時間をオーバーしてかなり遠くに着陸しました。足場の悪い草地で、スタッフたちが息を切らしながら必死で気球を着地。
そのまま肩で息をしながら、
「ハァ、ハァ、ハァ……では、カンパイ」
と言ったのに吹き出してしまいました。
私達よりもスタッフがすごい勢いでシャンパンを飲み干してました。のどが渇いていたんでしょうね(笑)
値段のないサービス
日本にも時価という言葉はあります。
しかし値札に慣れた私たち日本人にとって、値札がないものを毎回交渉して買うのはかなり骨が折れるもの。
そう、値段が決まっていない商品やサービスは旅において思いのほか多いものです。
値段が決まっていないものを買う時、値札に慣れている私たちはつい、ぼったくられていないか、損していないか、騙されていないかなど警戒をしてしまいます。
これは、正しい値段があるものだという思い込みから来るのかもしれません。
値段がないことが多い国は、本当に一文無しになって困っているときには、無償で誰かが助けてくれる国でもあります。たくさん持っているならたくさん払う。ないのなら助けてもらう、そういう感覚があるようです。
イスラーム圏の人たちと話したとき、もし財布を落としてしまっても、イスラームの世界では旅は続けられるんだよと教えてくれました。(同胞ならそうかもしれませんが、日本人の私にもその法則が当てはまるかは分かりません)
自分が納得した値段が適正価格
では、どうやったら心穏やかに旅ができるのか。
私は、物の値段ではなく、経験や時間にお金を払うという発想で旅をするようにしています。
他のお店でもっと安く買うことができる商品でも、例えばお店の人が一生懸命選んでくれたり、楽しく交渉できたり、そこでいい時間が過ごせたなと思ったら、少し高くても良いと思うこと。
例えば、民族楽器を買った場合。毎日そこに通って楽器を教えてもらったりします。楽器は少し高めに買ったけれども、その代わりにレッスンとセッションをする時間が得られたというわけです。
ネパールのポカラでは、お店で演奏していたら町の人たちが集まってきて本当に楽しかった!
雨が降ってきたらトゥクトゥクの値段が上がるのは当たり前。
そして現地の人の相場が3ドルなら、4ドルくらいは許容範囲。
往復で2ドル儲けた運転手さんは、夕飯にビール1本つけれるかも知れない。
チャーターしてもう少し多く渡せたら、彼は今日、家族にケーキを買って帰れるかもしれません。
物売りの子供たちから何か買うなら、2つか3つ買ったら安くしできるか交渉してもいい。1日で1個売れるかどうかの商売なら、一度に3つも売れたらお母さんに褒められるでしょうね。
損得だけで値段を見ると結構疲れます。
だから、ほんの少しぼったくられてるくらいがいいのかも知れません(笑)
自分が納得してその値段でいいと思ったのであれば、それが自分にとっての適正価格ですね。
だから、公共の交通など、値段が決まってあるものをちょろまかす輩に、私は厳しくしちゃうんですよね。
私が納得して選んだ価格ではないから。
行きと帰りでバス代が違うとか、海外旅行あるあるだと思うんですが、なんで値段が違うんだ?と聞いたら「午後は高いんだ」とか「荷物代だ」とか適当に誤魔化す人もいます。(しれっと差額を返してくる人もいますけど)
そんなとき、周りの乗客が私を見ていたら、たいていは私が間違ってます。
みんながバスの集金係を見ていたら、集金係が嘘を言っています。
判断に悩んだときは、少し大きな声で交渉して周りを見てみるといいですよ。
そうして取り返したのが、日本円で50円程度だったりするんですけどね。
それもまた旅の思い出。
英語翻訳:富田梨恵
ネイティブチェック:Shōn Sensei