誕生日が少し好きになってきた話
こちらはnoteなので、ライブ告知というよりは誕生日にまつわる話と、作品制作の話をメインにしようと思う。
11/3に50歳の生誕祭ワンマンライブをやる予定なので、ポスターを作りました。
アニメ映画か?と思われるようなイラスト、デザインにしてみました。
イラストは鉛筆で描いたもので原画のサイズはこのくらい。
自分や出演者の姿に少し似ている人々を描いて、少しだけデジタルで色を付けました。あまり原画を殺さない程度に。
私は、曲や詞、絵、デザインなど、作ることを中心に生きてきたので、顔写真などで済ませるのは何か違うなと思ってね。
今回のサポートメンバーも、学生の時からの付き合いの方もいるし、新たな出会いになった方もいます。そういう人たち、それから当日に会場に来てくれる方々のすべてが私の50年間を作ってくれた人たちだなと思って、たくさんの人を描きたいなと思いました。
そう、誕生日。
バースデーライブなるものは、アイドルしかやってはいけないのでは?という変な思い込みがあって、今までやったことはなく、しかも誕生日もできるだけ公表しないできました。
私は誕生日が嫌いです。歳を取るから…ではありません。
誕生日はろくでもないことしか起こらないからです。
たくさん仕事をして深夜にクタクタになって帰宅しても、何でもない日だったら、自宅で適当なもので作った夕食をひとり食べるのも悪くない。
でも誕生日だとちょっとわびしい気持ちになる。
誕生日なんてなかったら、こんな気持ちにはならないわけですよ?
であれば、誕生日なんて好きになるわけないでしょうが!
バブル崩壊後の大学生の頃、うちがとても貧乏なときに、誕生日だからと両親とリンガーハットに行ったんですよ。そこで母が困った顔をして「3人で4,000円しかないの。足りるかしら」って。
リンガーハットですからね。足りますよ。大丈夫よ、お母さん。
母がバイトを2つ掛け持って、朝から晩まで働いて手にしたお金ですから、リンガーハットでもありがたいです。
でも、家に帰ってちょっと泣きました。
私のバイト料で、もっといいところ連れて行った方がよかったなあと。
最初の結婚をした時に、相手の誕生日には毎年いろいろお祝いをしましたが、私には3年目くらいにはもう何もしてもらえなくなりました。それでも最初はさほど気にしていないつもりだったのです。
でも、自分の誕生日にちょっと豪華なご飯を作ったとき。それに気が付かれずにさっさと手を付けられたときに、小声で「誕生日おめでとう、わたし」と言った自分になんだか情けなくなって、本気で誕生日が嫌いになりました。
ある年の誕生日に、配偶者は知人のライブに出かけました。
ああ、今年もそんな感じかーと思って、私も知人のライブに行くことにしました。そこで音楽を聴きながら食事をして、とてもいい誕生日だったな、こうやって自分のために時間を使えばいいのね!と思いました。
でももしかしたら配偶者も誕生日を覚えてくれているかもしれない…だとしたら、遅くに帰るのも悪いかなと思って、シンデレラのごとく挨拶もそこそこに帰宅をしました。
日付が変わる前に家につきましたが、家は真っ暗。
あら、取り越し苦労だったわと思ったのですが、日付が変わってから帰宅した配偶者がなんと誕生日を覚えていたのです。そして「ケーキでも買おうと思ったんだけどね」と言ったのです!奇跡だわ!
そのまま、何日経ってもケーキは来ず。そういえば10年間、あの人は一度も私にケーキなんぞ買ったことなかったなと気が付いて、誕生日が嫌いどころか存在しないものになりましたよ。
まあその相手に貯金と不妊治療の助成金を全部使いこまれて、その数か月後に離婚しましたけどね。ふふふ。
それなのにライブなんてやるような心持になったのは、冒頭で書いたようにお世話になった人たちの顔がよく見えるようになってきたからです。
半世紀に出会った様々な人たちの顔を思い出し、周りの人たちを見て、いい人生だなと思えました。
あと、今の夫が私の誕生日を大切に扱ってくれるので、祝ってもいいかなという気持ちになれたのかもしれないですね。
みなさんそれぞれの記念日があることでしょう。
私の同級生たちもみんな50歳ね!
同世代の人たちならもっと楽しんでもらえるんじゃないかな?というラインナップで演奏します。
ご来場、お待ちしております。
詳細、ご予約はこちらhttps://musiee.jp/event/654064
※ペンネーム等、本名以外での予約も可能です